2019年に劇場で見た日本の実写映画3本の気になった方々 

 

凪待ち 豪華版 Blu-ray

凪待ち 豪華版 Blu-ray

  • 出版社/メーカー: Happinet
  • 発売日: 2020/03/03
  • メディア: Blu-ray
 

 とにかくいろんな事を考えさせられましたが

 個人的にはここ数年の日本のアニメ以外の映画ではほぼトップクラスの脚本ではないかと感じています。演出もそれを十二分に活かしていることは間違いありません。もしこの映画に何か今の社会を映すリアリティを今ひとつ感じない人々がいるとするならば、世代間の違いや都市と地方の違いといった面、ギャンブル依存症といった特殊な人々の実情とそれらを取り巻く現実の実態(私自身は香取眞吾クン?の演技も含めて非常にリアルな表現だと感心しました)に興味が無いもしくは嫌悪感のみのタイプの方達にはウケない映画だということなのでしょう。しかしながらそれでも尚の事気になるのは香取クンに追っかけられた、地元の賭け場の仕事しているお兄さん役の人があまりにも「ゲロ」を吐きすぎなのではという驚きでありました。何故あそこまで吐くっ、演出の仕込みであれほど吐ける筈もなければ熱演のあまり食事してわざわざ吐いたとしても、やり過ぎ・・・とにかく皆さん躰には気をつけてね。

 

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小説 ホットギミック ガールミーツボーイ (小学館文庫)
 

DVD早く出ないかなっ

 山戸結希監督の映画はいつか長い文章で書きたいなと思っているんですが、どう書いて良いか判らないところが正直有ります。それに私のようなここ数年久しぶりにシナリオを書こうとして城戸賞に応募しているだけの50過ぎの専業主婦の映画ファンが女性監督の映画に対して評価が甘いとは(男性陣からはともかくとして)自分自身では思ってません。ただ山戸結希監督作品がひたすら凄いと思うのは乃木坂46堀未央奈を始め清水尋也、間宮祥太郎といった人気若手俳優陣がまるで自主製作映画に出てくる熱血な無名の役者にしか見えないという事と主人公初(掘未央奈)の幼なじみで雑誌モデルの小田切梓(板垣瑞生)の芸能事務所のマネージャーを演じる吉岡里帆さんの圧倒的な働く女性としてのリアリティに溢れた演技が登場シーンの少なさにも関わらず強烈な印象に残るということです。吉岡里帆さんはこの後すぐに初主演作公開が控えていたことも劇場予告で告知されていたので、なんだかとても心配なってしまいそのサスペンス映画を劇場で鑑賞する気が失せてしまったくらい。とにかくこの映画にいろいろ関わってる方達もあまり突っ走らないでね!特に吉岡里帆さーんっ。

 

旅のおわり世界のはじまり [Blu-ray]

旅のおわり世界のはじまり [Blu-ray]

 

 相変わらず「何かが」とんでもないのが黒沢清監督の映画

 そういや今回取り上げた3本とも2019年の7月。日本映画の場合は8月過ぎまででその年の日本映画の傾向が何となく判ってしまうと思うのは私の気のせいでしょうか。(そして現在夏休みに入ると途端に1人で劇場へ行く暇が無くなってしまうのだ)「旅のおわり世界のはじまり」はテアトル新宿へ観に行って、隣席のマダムが「ウズベキスタンの良さが全く出ていない」と呟いていらっしゃったのが少しコワかったです。そう、日本だけでなくウズベキスタンカタール(何故かカタールなの)合作映画という体裁ですが観光映画として観るとあまりに過激というか何というか・・・とりあえず主演の前田敦子さんの「愛の賛歌」は聞けますし、彼女の周囲を取り巻く役者陣(染谷将太加瀬亮柄本時生、他)もさらっとしているようで、奥に見えるささやかな確執や意見の衝突がきちんと描かれてて見応えあります。んであまりにもの凄いのが「文化や文明の違う人々のリアクションに日本人達がビビりまくる、(そしてウズベキスタンの人々も日本人、特に前田敦子の振るまいに恐れおののく)でありましてその姿にショックを受ける観客もいたのではないでしょうか。前作散歩する侵略者が公開された時には地上波TVで日本のコメディアンのシソンヌによる「やたらポジティブな引きこもり青年のコント」というのが登場したらしいんですが、今回の「旅のおわり・・」でも人気TV番組「世界ふしぎ発見」で前田敦子さんがゲストに登場するだけではなく、いきなり今まで女性中心だったレポーターに若い男性が登場したり、MC草野仁氏がわざわざ中央アジアの国でグルメレポートをしたりと・・なんだかもの凄い騒ぎになっているので私はそっちにもビビりました。サブMCになった岡田さんが一番冷静な対応しているのでは、というくらい「もう少し落ち着いて楽に行こうよ」って思ったもんね。ちなみに↑の映画のラストは、もうあらかたトラブルが落ち着いて非常にリラックスした前田敦子さん、終わるんですがね。

 

 

しょくぎょうふじんの映画 ⑨ 「七つの会議」の朝倉あき

 

七つの会議

七つの会議

  • 発売日: 2019/09/11
  • メディア: Prime Video
 

 今の所日本映画において「最もリアルな女性会社員」の生き様が浮かび上がる

 2019年の正月映画としてかなりのヒット作にも関わらずコアな映画通の間では殆ど話題にのぼらなかったヤツです。日本映画のコアな映画通ってどの層をターゲットにしてんだよというややこしい議論もございましょうが、ぶっちゃけフェミニスト系の特に女性の観客の心に突き刺さるポイントが無いと(例えばせめて女性雑誌の映画欄にどれだけ紹介が載るかとか)現在ではコアな映画通の為の映画とはヒット作でも認知されないようです・・・そしてこの現状がいかにもったいないかというのを私めは年明けに向けて強く訴えたい。

 さて原作者の池井戸潤によると七つの会議 (集英社文庫)はこの小説を「東京建電という中堅企業を舞台にしたサスペンスです」と紹介しています。日本人でなくても娯楽映画の王道路線。2011年に日本経済新聞の電子版で連載され、2013年にNHKで連続ドラマになり2019年に東宝とTBS制作の劇場公開映画になりました。んで重要なのはこの間かなりストーリー展開どころか主役まで変更されているにも関わらず全くキャラクターも物語の役割展開もほぼ変わらない存在なのが、営業部所属の女子社員、朝倉あきが演じる浜本優衣です。もう「優しい衣」ってゆう名前つけた両親の気持ちが却って仇となるような呪いになっちゃったらどうしようおろおろな彼女の姿(観る人が観たらね)も映画のラストに登場します。本当はフェミニストの女性にこそお奨めです。

 

日本企業の社員の濃すぎる各キャラクター、いつでも時代劇テイストなACT

 原作も2013年のNHKのTVドラマ版も2019年のTBSと東宝製作映画も物語の発端は東京建電の営業部社員である原島という登場人物がある時、急に営業課長に抜擢されたあげく営業部長の北川という上司に営業成績で酷く責められる・・・というエピソードからスタートされる事です。そして原島は北川が同期で万年営業係長の八角という人物をひたすらにかばったり贔屓している(もしくは北川が八角に何か弱みでも握られているのかという疑念)に囚われて八角の周辺を調査していくうちに真相を突き止めていくという物語構成の骨子は全く変更されていないのです。・・・つまりですね、主役が2013年版TVドラマ版と映画版で原島から八角に変更されても映画の構成の骨子もさほど変更されていないのですよ。原作者である池井戸潤氏がTVドラマ版にも映画にも満足している理由はそれです。昔から日本以外の国では原作小説の変更はあまり許されないと言われていますが、原作者が生存中には「原作者の了承が必要」というルールこそ尊重されてるという事例がきちんとございます。むしろ原作者の死後のほうが改編が許されないもしくは著作権が切れるまで著作権の保持者(遺族または出版社等)の承諾が必要さdって事でーす。後はひたすら八角野村萬斎)他、キレッキレの役者陣の演技合戦を観て頂戴。まるで時代劇に出てくる奴らばっかりですが日本の働く男性にとってはあれっくらい演らないとリアルに感じないです。Shall we ダンス?を始め一部マニアに熱狂される業界モノの名作各日本映画の演技がなーんかわざとらしくて時代劇に視える人々が多々いらっしゃるのもその為。

それから東京建電の浜本優衣チャンの事だけどね

 浜本優衣さんは営業課長に抜擢された原島に営業部全体についての情報を教えていくという役柄で、とても日本企業独特の引き継ぎ業務として営業部全体の業務内容を深く理解していくうちにに何故だか原島が日本建電のリコール隠し疑惑を探偵せざるをえなくなっていくのです。日本以外の企業で働く人間には「一企業の部署の仕事全体を統括する管理職が役職無しの一般職の女性社員」にご教授されてるとか、その一般女子社員が引き継ぎ後、結婚するから退職するなどとゆうエピソードが続くと・・・日本の企業って魔界なのか?一体どうやって経営の意志決定がされてんの?・・・コワい、になっちゃうのかも。とにかく日本の時代劇をかなりのレベルまで楽しめて「あっ、コレ江戸時代の幕藩に棲むお侍とお女中か密偵として送り込まれた女忍者だと思うことにする~」って無邪気に楽しめる方が善いかもしれません。その後に優衣さんは結婚退職するというのは嘘で会社の経理部員(藤森慎吾)と既婚と知らず気がついたら不倫していたとか、彼との交際に疲れて退職する前に職場環境の改善に役立つと思って始めた「ドーナツの無人販売で、新たな自身のキャリアへの模索として彼女が気に入ったそのドーナツ屋さんにさっさと転職してしまうというくだりが・・・えっ・・この女子社員、優秀なのに、っつうか優秀故に給料のより高い企業から、給料安くてもやりがいのある街のドーナツ屋を選んじゃうの・・・日本の企業ってどうやって人材育てんの・・・て不安に陥る方が日本や(日本以外)の観客に多く出現するだろうと推察します。それに浜本優衣さんの女子だけではなく男性社員でもこの手の若手人材が大勢いるのが今の日本の企業の現状だろうからです。

映画のラストに出てくる野村萬斎が滅茶苦茶「コワいよう・・・涙目」にナル方へ

 リコール隠し疑惑が法的問題になった東京建電の八角野村萬斎)が何故我々の企業はこのような経緯に至ったのかと意見をとうとう述べるのですが、語る内容はよくあるビジネス書にあるような印象しかもちません、台詞抜き出して聞くだけだとね。だけどその前に東京建電が解体されて、他社に営業譲渡する健全な事業部門と残務処理に負われる民事再生の部門に分かれていっきなり社員の状況が真っ二つにされちゃうとか、民事再生の部門だけになっちゃった会社の方へ優衣ちゃんが元気いっぱいにドーナツを売りに来て励ましてくれるエピソードを思いっきりやってるので、段々と怖さが募ってくる、特にお勤め経験のある皆さんもいらっしゃるかも。

 まあそれについての詳細は「七つの会議」の映画を見終わった人々の間で語り合った方がいいんではないかと思います、が、もし「俺が原島の立場だったら・・・てか原島ってアイツ独身かああああ?既婚かあ?」に悩む独身/シングルの貴方♡、そろそろ結婚考えてフツーの結婚相談所とかに登録して最近の独身女子がどうキャリアやお金について考えてるのかをチェックしましょう!お奨め参考書はずばり「日経ウーマン」よっ。んで、WHY?って悩む独身男子に対してバブル経済期にお勤めしていた男女がアドバイスするなら、「あたいらの頃はもっと女子社員や職場内の不倫話はもっとエグかったんだよ。独身男子がWITHってゆうお洒落女子雑誌の特集記事読むと真っ青になるくらいだった、日経ウーマンは恋愛関係がエグくないだけマシ」・・・というだけお伝えしたいと思います。50’sからは以上です・・・・しゅうぅぅぅ。

 

 

 

 

 

 

 

 

何だか不運な女⑧ 「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」のシャロン・テート

  

 

 

 それでも2019年の米国映画のベストワンと言う人はあんまり居ないかもしれない

 さすがにタランティーノだね、爽快で楽しかった♡という声の方が大きそう。公開初っぱなからは「ラストまで観るとタランティーノは本気で怒ってんじゃないのか」みたいな評価もあったんだよね。で、私は観た後しばらく経ってから、この映画の各演技陣の緻密なビジュアル戦略に驚くようになった。(それでもまだオスカーノミネートは監督賞、作品賞ではないのかしらん/2019年秋口時点)単に洒落てるとかサブカルな背景をバッチリ描き込んでいる&批評になってるというレベルじゃない。もしも誰か機会があったのなら「貴方は日本映画びいきで有名ですが、今回の映画の1969年以降にテルアビブ空港など数々のテロ事件を起こした日本赤軍の事も調べたのですか?」とタランティーノに聞いてみて欲しい。んで、主人公コンビのリック・ダルトンレオナルド・ディカプリオ)とクリフ・ブース(ブラッド・ピット)のビジュアル、特にブラピのアロハシャツ姿は今まで個人的に観た映画の中でも最高級の似合いっぷりです。

生け贄レベルの不運な女

 不運な女って映画で始めるヤツだとどの映画でも「生け贄」レベルなんですが、今回は現実が物語/フィクションを超えちゃったケースです。で、僕たちの失敗は結局何だったのかを考える映画として作っているのが判るので、大して昔の事を知らない若い人達にも検索して予め知識をそれなり仕込んどいた方が、ドキドキと急転直下の安らぎと満足感に浸れてラストが終了するので、いつものタランティーノ作品の中では長いけど苦痛度が少なくて済みます。いろんな時代背景の小道具がいっぱいあるので「1969年の映画なのに明日に向って撃て! ―特別編― [DVD]みたいなのあるのって何なんでしょうね」とか聞くヤツが出てきそう。それに対して「そうなんだよね、ハリウッドがシャロン・テート事件を防げなかったのはさ、ブッチとサンダースをハリウッドがまだ発明出来なかったからだと思ったんだよね」とか平気で返してきそうなのがタランティーノじゃないかな?私は映画鑑賞中脳内にそんな会話が思い浮かんでいました。

とっても善い人だとは思うのに

 私は90年代からブラッド・ピットは知っていて、でも私が知っている映画の中のブラピはトゥルー・ロマンス ディレクターズカット版 [Blu-ray]での印象が最初で、確かにカッコいいんだけど何かがヘンな人という漠然とした印象しかありませんでした。その次に観たのがセブン [Blu-ray]だとブラッド・ピットは一生懸命演っているとは思うのですが、犯人役のキャラクターが映画の途中でいきなり「やあ初めまして僕が犯人です」って自己紹介するがごとき場面が個人的にすごい不快で、そっからブラピという人に対してよく分からないんだけどなんだか不吉な男というイメージが強烈に焼き付いてしまいました。その後の12モンキーズ(Blu-ray Disc)バーン・アフター・リーディング [Blu-ray]オーシャンズ11 (吹替版)と続くブラピをまとめて感想を言うとしたら、一生懸命働いているのに何故か「映画の中のブラック・ホールと化す」か、映画自身は普通なのに何故だかブラピだけ怠けているような気がしてならない・・・というもやもやが消えず、「(よく分からないんだけど)とにかくブラピ様はより同年代の監督や彼の活躍に刺激された年下の人達と組んだ方が良くなると思うよ♡」な結論に達したのでした。んで長々と連ねましたが、今回ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドでのブラピは善い人なのに何故だか不吉な人というキャラクターが計算間違いの事故では無く必然として輝いていて長年のブラピに対するこちらの胸のつかえが下りてすっきり大満足でーす。そしてプッシーキャット(M・クアリー)とのやり取りや、その後のスパーン牧場主(ブルース・ダーン)とのシーンは絶品。2人の年齢が片や第二次世界大戦の英雄だった中年男におそらく19世紀生まれの老牧場主という組み合わせだと気がつくと、2人の男の度外れたまでの暢気ぶりがむしろ恐ろしいです。だってクリフと牧場主がうきうきしちゃうのは米国史上最も有名なカルト集団のマンソンファミリーのガールズ(ダコタ・ファニングやらレナ・ダナムもいる)なんですから。しかも彼女達ったら映画の始めには花咲く乙女たちが歌いながらゴミをあさるという麗しいのか不潔なのか何だかよく分からない雰囲気で登場いたします。

哀愁の花びらのヒロインで有名なシャロン・テート

 映画でも登場するのですがシャロン・テートマーゴット・ロビー)の演じた役柄で一般的に最も有名なのが「哀愁の花びら」ってメロドラマの女性映画に登場する、美貌だけが取り柄で演技があまりにもド下手な為に結局無修正のポルノ映画に出演したあげく乳がんで死んでしまうという、陳腐までに悲劇的な女優の役なのです。が、映画の新婚の彼女は夫ロマン・ポランスキー(ラファエル・ザビエル)の為に「テス」の原書を手に入れたり帰りには1人で自分の出演した映画を劇場で見に行ったりして、とっても明るくポジティブで楽しそう。自分が特に力を入れた(実際にかのブルース・リーの指導を受けてる、映画ではマイク・モーが演じています)女同士のカンフーシーンで観客が大喜びするだけでその後1日ハッピーな気分になって家路を急ぐ。この1日のエピソードに「夢のカルフォル二ア」の曲がかかるだけで観ているこっちも胸が締め付けられます。マーゴット・ロビーの演技も含めてシャロン・テートの描き方を問題視する厳しい声も一部カンヌ映画祭では有りましたが、台詞をいっぱい言うだけが演技では無いという事を皆さんしっかり観て欲しいです。それに実在のシャロン・テート演じたような「演技のド下手な女優」などとゆう難役を引き受けた彼女の存在を悲惨な事件の被害者というだけの扱いから解放するのに見事成功したと言えるでしょう。シャロン・テートは終盤のちょっとしたエピソードも含めてとにかく秀逸という他ありません。

レオ様の髪型

 んでやっと最後に主人公リック・ダルトンレオナルド・ディカプリオ)になります。50年代のTV西部劇シリーズが終り。役者としてのキャリア模索に苦闘する姿は滑稽や悲哀に満ちていてもおかしく無い筈、なのに彼自身をとりまく女性陣のキャストはマイキー・マディソンやジュリア・バスターズ(日本の我々にはなんかスゲーなこの娘たちって印象で終わりますが、2人ともUSAのTVコメディーシリーズではおなじみの新人/ルーキーみたいです)の存在感のおかげで大物スターの日常にしか感じられません。しかもリックは自分かの名作大脱走 製作50周年記念版コレクターズ・ブルーレイBOX (初回生産限定) [Blu-ray]にS・マックィーンの代わりに出演している夢想するシーンまで登場する始末。おまけに何だか「ワンス・・・」に登場するS・マックィーン(ダミアン・ルイス)は大スターのなのにリックより何だか地味に登場する念の入れようなのです。70年代で一世風靡したスターと70年代から今も現役で活躍するB・ダーンやA・パチーノまでキャスティングされて、リックの最後の見せ場まで盛り上げていきます。

 ちなみにマンソンファミリーの一員を演じるマイキー・マディソンはまるで日本の連合赤軍の女性活動家のようなビジュアルで私は当初は彼女のことアジア系の血を引いた女優さんなのかと勘違いしたくらいです。マンソンファミリーの団体への考察と事件への考察を考え合わせた上で監督が判断した演出だと私は考えています。まるでJ・ギャグニーみたいなリックがマイキー嬢に火焰放射機をぶっ放すシーンが2人の演技人にとってキャリアの最高のパフォーマンスの一つと讃えられる事を願ってやみません。 </p>

 

 

 

 

 

 

お祓いされる女 8 「アリー/スター誕生のレディ・ガガ」

 

 どうしてあの「ガガ様」が演らなきゃいけないのぉ~

 高校が女子校で中高合わせて千人は入る講堂が自慢だった。そこで演劇や映画を見せるとかなりのスケール、大画面になる。高2の時に(午後の授業をつぶして)映画鑑賞会があってB・ストライサンド主演のスター誕生 [Blu-ray]を観た。高3になると卒業間近という事か3学年だけで映画上映会をデカい講堂ではなく体育館で上映することになって事前に何本か映画(総てハリウッド映画)の候補があり、中にはローマの休日(日本語吹替)なんかも入っていたんだが、投票で選ばれたのはディズニー映画(と思われるんだ)の小さい男の子が飛行機事故から一人生還する冒険映画だった・・・おそらく教師のほうは「ローマの休日」が一番得票を稼いで欲しかったのかもしれないが、昔も今も大人の思うほど女子高生は恋愛映画に興味が無いんである。演ってる人間が日本人でない分、ストーリーが直に訴えかけてくるので「この話キライ、意味わかんない」がハッキリでてしまうのだ。んで「ローマの休日」にしろ「スター誕生」にしろこの手の女性が主人公の愛についての映画てやつは「ベタ」なんである。映画の結末がネタバレしても全く問題ないくらいにありきたりで、そこまでたどり着くまでのプロセスこそ見せたい映画。またそんなベタな映画って同時に説教くさいメッセージを感じ取るお年頃には面白くない映画、なのだ。今現在(2019年10月時点)で話題の「JOKER」だって「今更なんでタクシードライバー (字幕版)の焼き直しみたいなのをDCコミックのヒーローを借りて映画にしなきゃなんないの?」なベタ映画である。・・・というわけで私がレディガガを主演にして「スター誕生」をリメイクするって聴いたときの反応はどうしてあのガガ様が古色蒼然としたメロドラマのヒロイン演らなきゃいけないのであって、おそらく日本の配給会社のスタッフも困ってんだろうなあぁ・・・だった。だからこの映画の宣伝の人達は細心の注意を払ってよくロングランにこぎ着けたと思う(一部の映画ファンからクレームがついてもアリーって役名のタイトル加えたし、年末に観たTVのスポットCMだと実際のレディ・ガガが被ったパワハラのエピソードでも追加されてんのか?と疑問には思ったが)前作のB・ストライサンド版よりも 題材が広く深い枠組みで出来ていてちゃんと21世紀の映画になってたという映画の底力もあったけどね。

C・イーストウッドがずっとビヨンセ主演でヤリタカッタのを・・・

 イーストウッドの弟子とも言えるB・クーパーがレディ・ガガを連れてきて自分で「スター誕生」をリメイクしたいって言ってきたのでお任せしたらしい。ビヨンセが主演で相手役のジャクソン・メイン役にはジョニー・デップへ頼みに行って断られただのとか、脚本家の一人がジャクソン・メインのイメージをカート・コバーンみたくしたいんだとか、門外漢が聴くと一層収拾がつかない感じですが、最終的にB・クーパーが主導でまとめたのかな。よくよく観るとB・ストライサンド版やJ・ガーランド版の「スター誕生」を彷彿とさせ、ブラッシュアップして見せてくれるので知識の無い人が始めてガガ版の「アリー/スター誕生」観ても楽しめると思います。まあぁ・・ホント言うと「スター誕生」ってハリウッドが好きな男のメロドラマの典型の一つなんでは有りますが。だから21世紀になっても残していきたいっていう人多かったんじゃないかと。成功を納めたはずの男が妻にした女性に「抜かれる」というワケではなく、挫折感を抱えた男が妻を得てもう一度「輝きだかったけどもう力つきていた」な悲劇・・・しかしそんな話に日本人のしかも今どきの独身男女には身につまされる要素って有りますかね。

ジャクソン・メインの成功の秘密と「限界」

 今回のJ・メインはカントリー系のロック歌手として成功を収めてUS全土をひたすらツアーして回ってる。21世紀の音楽シーンはヒット曲が続かなくてもステージでめいっぱい稼いでいるスターが当たり前なので、彼がアーティストとしてもミュージシャンとしても限界ギリギリの状態だとは皆は気がつかない。J・メインの異母兄でマネジャーのボビー(サム・エリオット)とも仲違いしていて今にも活動に支障を来しそう・・な時にステージで歌っているアリー(レディ・ガガ)と出会う。映画は今回アリーとJ・メインの家族と彼らが背負っている背景というものを丁寧に(というより中盤のエピソードはソレしかなかったりする)描くのでJ・メインがいかに才能が燃え尽きているかがよく判って辛い。J・メインの父親は貧しい季節労働者で60過ぎてから当時知り合った農家の18歳の娘との間に彼をもうけた。そんで母親の方は産後あっという間に亡くなり老いた父親と一緒に父親が死ぬまで子供時代を過ごしたような人。どうしてそんな閉塞した環境で成人した彼が成功するんだろう?っていぶかる人もでそうなんだけど、年寄りの父親は古いR&Bのレコードをたくさん持っていて、レコードを掛ける古い蓄音機だけが子供の頃のおもちゃだったJ・メインはブレる事なく自分の信じる音楽を作りヒットを飛ばす事が出来たのさ。クリエイターの引き出しが小さい事によって一点突破して出来上がった傑作てのは世の中に結構あるからね。成功し続けるのは辛いけど。でもいよいよ両耳が聞こえなくなって自分がステージに立てなくなったらせっかく作った音楽も、それこそ自分の生きた証も消えちゃうかもしれないんだ。だからJ・メインはアリーを求める。そこがハッキリ判るので、彼がいくらだらしなくともアリーに理不尽な嫉妬をしても、ひたすら切なさが漂う。あまりにも負け犬過ぎるっていうか。

主演女優にして映画における音楽プロデューサーのガガ様

 映画の主題歌がアカデミー賞の主題歌曲賞を取った時、ガが様としては他2人の作曲家との共作だったんで「ありがとう二人のおかげだわ」て受賞でコメントしてて他2人は「いや君の曲を我々は殆ど手直すとこが無かったよ」と返していた。ガガは脚本を読んで曲を作り、今までやったことの無いカントリー系の曲をさらっと作り上げたらしいよ。アリーも実際のガガ様と同様に音楽の引き出しがとても多くて、むしろ多すぎてヒットする機会を逸していたんだね。アリーはJ・メインの音楽に触れる事によって楽曲の才能が認められて、流行の音楽シーンに合わせて曲を提供することが出来る。彼女の家はせいぜい中産階級てとこだけど父親の仕事はリムジンの運転手でスターが身近にいた。彼女はJ・メインなんかよりはるかに恵まれた音楽環境で育ったんで、夫になった彼よりもはるかに安定してアーティストを続けられる。まあ21世紀はスター誕生というよりアーティスト誕生、て映画になったのかも。そして一番大事なのはアーティストが残した作品を後世にまで引き継いでいくこと。アリーとJ・メインの結婚生活は短くて2人は子供ももうけられなかったけど、敢えて言えば2人で作った作品が子供。アリーが唄い続ければ子供達は残る、数代にわたる彼らの家族の歴史も残る。そう思い至るとラストはなかなかに感動するよ。

 

  ↑はドキュメンタリーでその年のアカデミーのドキュメンタリー賞を取りました。エイミー・ワインハウスレディ・ガガは境遇が全く違っていて、しかもルックスも音楽的資質はかなり似通っていた。映画観ると10代で成功を納めたエイミーが同時期にNYで下積みしていたガガのような苦闘もせずにあらゆる種類の音楽を網羅出来るはずだったのに・・・だったのが、あっという間に転落していくのでホント諸行無常に感じます。2本合わせてみるとガガ様は出るべくして「スター誕生」に出たって気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

BL版 ⑤ 「翔んで埼玉」

 

翔んで埼玉 豪華版 [Blu-ray]

翔んで埼玉 豪華版 [Blu-ray]

 

 埼玉県人には草でも食わておけ!

 一部のファンにはカルト漫画と呼ばれていた原作ですが、1982年当時の連載では未完で映画のストーリーの三分の一程度分くらいしかありません。当時いい年した大人(魔夜峰央)にとっては本質的にはどうでも良い東京コンプレックスを元にした近県同士のdisり合いが連載当時の中高生(監督の武内英樹)にはとても大問題だったらしく、30数年かけてマニアックに予算つぎ込んでゴージャスに映画化しました。またこの映画二重構造になってまして、麻美麗(ガクト)と壇ノ浦百美(二階堂ふみ)の話とは別に真夏の埼玉から東京へ向かう親子三人(ブラザートム麻生久美子、島崎遙香)の話が被り映画の最後には娘(島崎遥香)と婚約者(成田凌)の結婚話に繋がるのです。とても日本的クラシックな大団円というか、非常に日本的なお目出度い当たり狂言のよう、そして江戸歌舞伎狂言のもう一つのレジェンド「佐倉惣五郎伝」のような一揆モノの側面があります。BLカップルも含めて反則技満載の歌舞伎チック映画、・・・海外配給への宣伝はコレでいけそうだよっ。

21世紀の佐倉宗五郎伝、という当たり狂言としての位置付け

 もちろん軽い冗談としての指摘ですが。ちなみに佐倉惣五郎とは江戸初期に今の千葉県に実在した名主のオジサン。彼はいわゆる「一揆騒動」を起こして江戸幕府に直訴したという史実を元にして歌舞伎でお芝居化し、江戸の終わり頃に大ヒット飛ばしました。御上に楯突く庶民の話なのにも関わらす当時あまりの観客の熱狂ぶりに幕府は佐倉惣五郎伝なる芝居を禁止にせず民衆の不満を「ガス抜き」させる効果に期待をしたのでした。この芝居私も最近1度観たのですが、主人公佐倉惣五郎のドメスティックな哀しい子別れのシーンがもっとも名場面とされていまして江戸歌舞伎の名作狂言としても屈指の地味さでございます。そして翻って「翔んで埼玉」でも白眉なのはひたすらに中盤にかけての麻美麗と壇ノ浦百美の逃避行シーンの独創性溢れるといおうか、二人の眼に映る無知で無力でいじましく慎ましやかな夢を持つ埼玉&チバ県民達の姿の描写でありました。私は終始ちっとも笑えなくてつい他の席に目を向けると劇場の観客はほぼ笑っておらす、主に家族連れの観客を横目で観察していたのでしたが、皆真剣に息つめて観てました。海岸を逃走する麗達を助けようと白馬に乗って登場する埼玉デューク(京本政樹)でやっとホッとしたくらい。頭の一方では「昭和の仮面ライダーみたいで強烈懐かしくて嬉しいけど何故今さらこんな映画で堪能しなきゃいけないんだ」な疑問が生まれておりましたが、後の展開も矢継ぎ早にいろんなアイデアがぶち込まれていくのでもうそれどころじゃないのよ。宣伝でフィーチャーされた荒川の埼玉VS千葉ヤンキー合戦とか派手ではあるけど所詮小ネタのおふざけだからね、あんなのは。

東映らしさ?・・・もあったっけか?

 何というか・・・多分あるんだと思う(よく分からないけど)。この映画で「奇蹟の還暦/60歳」な京本政樹は芸能界でも有名な仮面ライダーの熱狂的なファンで昭和の東映時代劇スターの一人大川橋蔵の弟子だった事を考えると個人的に感慨がひとしおだったです。京本政樹に限らず阿久津翔(伊勢谷友介)やガクトばかりがイケメンライトアップされて件の決めぜりふ「埼玉県人には草でもくわしておけ!」と叫ぶ二階堂ふみのアップの方は往年の東映特撮の女帝曽我町子を彷彿とさせるようにどす黒く・・・・そんな予告編を劇場で観て驚き一体ナニがやりたいんだこの映画?という興味だけで密かに公開を楽しみにしてました。そういえば東映といえば私にとっては「仁義なき」シリーズよりウチの父親が大好きだった大川橋蔵の代表作新吾十番勝負 第一部・第二部 総集版 [DVD]のシリーズの方が印象強くて、「翔んで埼玉」との共通点を感じてしまいましたね。「新吾十番勝負」って今観ると主人公でホントは御落胤の葵新吾が白塗りキンキラキン衣装のまんま剣豪を目指すけど、内心では「お姫様とエッチな事したい煩悩」に苦しむって話が延々と続く、それでも明朗青春時代劇シリーズって感じで諸国を回って修行するんですけど、「翔んで埼玉」の二人も葵新吾のように東京以外の地域を放浪して今までは知らなかった庶民の生活を知るようになるのです。私昔観た「新吾十番勝負」の中でも「お前は〇〇の匂いがする」だの「オンナの匂いに惹かれて〇〇しに来たな」だのやたら匂い関係で言いがかりを付けられる葵新吾のエピソードが強烈な記憶に残っているんですが、麗と百美の「都内を代表するお洒落スポットの香りテイスティング勝負」は当然映画オリジナルで、「新吾十番勝負」へのリスペクトから来ている・・・と言えない事もないかなあ?まあきっと偶然なんでしょうけど。

 ちなみに予告編とは違って本編の百美さんのアップはどす黒くなくて、魔夜峰央の漫画そのままのような美少年カットもキチンと存在してますんで安心して下さい。(きっと予告編やり過ぎだって声があったんだろうと推測してます 笑)

大ヒットにして「極めて政治的な映画」になっちゃったんだよ

  何故だか理由は分からないですけどぉぉ・・・2019年のメジャーでより娯楽ちっくな日本映画のトレンドが政治なんですよね、「翔んで埼玉」の後に公開された「引っ越し大名」も「記憶にございません」も題材が政治ネタで、ボーイズラブの香りがどことなくするのが特徴。権力争いといえばホモソーシャルな集団のお話で、ヒーローたる主人公と女性の関わりよりはブロマンスというか男同士の「愛♡」が全体の骨子になっていく。「翔んだ埼玉」の場合は単なる出身地のダサさからくるコンプレックスや生まれながらの格差といった問題が青年期を経て、乗り越えて行かなきゃならないという衝動が既得権益を持っている奴らと闘いたいというパワーになる過程と結果をギャグ満載で象徴としての革命としてラストまで描いちゃう。知ってか知らずか埼玉で選挙応援していた共産党の代議士さんが映画公開直前に「埼玉マーク」をSNS上で披露してくれるというのに私出くわすわ、映画公開後には高須クリニックとコラボして一部ブーイング反応を呼ぶわ、製作側はそこまで深く考えていなかったとしても現象としてちょい危険な映画にもなってしまいました。折しも「翔んで埼玉」キャラをフィーチャーした埼玉補選の公示後、台風19号の被害で埼玉を代表する水路の街川越が大変な水害に現在(2019年10月13日)の被害に遭って居ます。とにかくいろいろ有リ過ぎな2019年の埼玉フィーバーであります。ライバル千葉も台風15号では被害に遭ったよ、一緒一緒。

GOALを目指す女 ③ 「バトルオブセクシーズ」のエマ・ストーン

 

 それにしても絶好調なエマ・ストーン、それはまるで・・・

 まるで現在ハリウッドには「エマ・ストーン映画」なるジャンルさえ有るようってくらいに皆エマ・ストーン主演の映画には共通した型(パターン)があるって事なんですね。それは彼女の成し遂げた成功が思わぬ展開を呼ぶ、てヤツ。彼女の代表作であるラ・ラ・ランド スタンダード・エディション [Blu-ray]でもラストのミュージカルシーンに暗示されていたように、エマ・ストーン演じるヒロインがやり遂げた1人芝居の成功が彼女を自身も思いもよらない場所に連れて行ってしまい、彼女自身が変貌を遂げてしまうのですよ。エマ・ストーンが演るヒロインは短期目標に対しては明確だか長期目標については曖昧なのが特徴みたい。比較的日本人に近いといおうかあ(笑)。その代わり映画のエマ・ストーンはいつでも辛抱強いし、気がつくと周囲がアッと驚くような事をやってのけるのですよ。そんな彼女には70年代ウーマンリブ運動の真っ只中に活躍したテニス女王ビリー・キングの役はぴったりなのです。監督は夫婦コンビのジョナサン・デイトンヴァレリー・ファリス、映画「リトル・ミスサンシャイン」好きとホットチリペッパーズのファン、それからテニスのファンにも当然お奨めします。テニス好きにはボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男 [Blu-ray]のなんてのも最近有りますが、ビリー・ジーンだけでなく対戦相手ボビー・リッグス(スティーブ・ガレル)の話でもありますので。

全米テニス協会の設立は1967年

 そんでもって協会が設立して全米の男女シングル選手権も行われたのですが、女子の選手権の賞金は男子選手の8分の1であったのでした。女子チャンピオンのMrs.ビリー・キングは仲間にも促され、協会会長のジャック・クレイマーに掛け合いますが「女子テニスの試合は男子ほど人気がないんだかから、賞金額は順当な結果だろ」といなされてしまいます。怒ったビリーは他の女子選手と共に「女子だけのテニス試合ツアー」という巡業を敢行し全米を回るようになりました。彼女たちは専属のスタイリストを雇い独自のテニスウェアなど作る等工夫を重ねて次第に女子テニスの試合のファンを増やしていきます。1970年初頭はウーマンリブ運動が活発な時で、ビリーのように結婚したり、ライバルのマーガレット・コートジェシカ・マイナミー)のように結婚、出産しても女子選手としてのピークを迎えて活躍したりと、世論の後押しもあり一気に女子テニス界はイケイケ状態になったのです。んでそんな女子テニス界の活況を見て、自分にも再度チャンスが巡ってきたかも・・・と山っ気を出す人物が現れました。それが1967年にテニスの殿堂入りを果たし、普通に行けば「レジェンド」と讃えられても良さそうなかつてのテニスチャンピオンのボビー・リッグス。

テニスコートのペテン師

 引退してNYで金持ち相手との「賭けテニス」なんてのしながらテニスの後にコートでビールを楽しむような毎日を送っていたボニー・リッグス。でも1939年にウィンブルドンでシングル、ダブルス、男女ダブルスの三冠ハットトリックをやってのけた時には彼は21歳だった。家に帰ると妻プリシラエリザベス・シュー)には離婚を切り出されるし息子には呆れられる・・・なんて描写が続くと日本人には直ぐにはピンときませんが、彼の選手生活の絶頂期って第二次世界大戦でバッサリと断ち切られているんですよね。息子は父の事をそれなりに尊敬はしてるみたいだけど、父の選手時代はおそらく知らないでしょう。日本だったら日本プロ野球界黎明期に活躍した沢村投手が無事に兵役終えて帰還してきたようなレベル。これが日本の大河ドラマなら金栗四三田畑政治ごとき主人公になるのにっ・・・まあ、あまりにもエネルギッシュで勝ちに拘る人間だと己の自伝に「テニスコートのペテン師」って付けるしかないのかもしれないが。そんな強靱アスリートでも引退するや昔のファンにテニスコートでビール奢ってもらう程度の扱いになちゃうのが、アメリカのスゴいとこでもあるのかいな。

ビリーはビリーで・・・

 ビリーは夫ラリー・キング(オースティン・ストウェル)との結婚を経てより強くなって全米女子チャンピオンになったって言われている。でも彼女はある日美容師のマリリン(アンドレア・ライスブロー)と出会って交流しているうちに彼女に夢中になっていってしまうのさ。それで少し調子が悪くなって1973年度は全米女子王者の座をマーガレット・コートに奪われてしまう。コートは夫と共に全米テニスツアーを巡業していって生まれたばかりの赤ん坊をかかえてプレーしているから生活かかってんだよね。だから必死さが違う。次第にマリリンとの恋にのめり込んでいって、彼女にビリーはテニスを始めた時の頃の思い出話をするんだけど彼女がテニスを頑張った理由は貧しい育ちから脱出したいという上昇志向からきたものだし、このままテニスを続けていくモチベーションを保つにはどうしても次のチャレンジが必要になってくるんですよね。観ていると何故にそこまで高い目標がないとやっていけないんだろうこの女、て気にもなるんだけど。しかしこういう性質の人間は気がつくと、知らないうちに周囲の人達を巻き込んで影響を与えていくのさ。夫のラリーは直ぐにビリーの不貞に気づくのだけど、相手が女性のマリリンだもんだから、もうどうして良いか解らない。で、最初ボビー・リッグスに「テニスの男女対決試合」を申し込まれてビリーは即断るのですが、何かとお金が入り用なコート夫人はボビーの試合の誘いに応じ、負けてしまいます。その結果に怒ったビリーに新たな闘志の火がともるのでした。

1973年当時の試合を再現、試合以上に「楽天的な」お祭り騒ぎ

 そしてクライマックスのビリーVSボビーの試合になります。ビリーは挑戦を受けるや閉じこもって一人で練習を続け、ボビーはひたすらにインタビューやら自己宣伝やらスポンサーとの付き合い(というかスポンサーからの接待を満喫)に興じます。男女の体力差や持久力の差を考えるとボビーの振るまいは必ずしも奢りだと批判出来ない気もするし、ボビーの周囲も彼にキツくは注意しきれない。あくまでも彼自身が精々みっともない試合運びにならないようにと心配するだけ。試合前のエキシビションとうか、格闘技の選手入場みたいなお祭り騒ぎの様子など今時のテニスファンからみるとあまりにものどか過ぎて驚くかも。この時代の人々はまだ「大阪なおみと引退した松岡修三なら間違いなく大阪なおみのストレート勝ちだよね」という予想が当たり前では無かった、卓越した女子アスリートの技術力や持久力は大抵の非アスリート男子のソレを凌ぐのだと気がついていなかったからです。たとえその非アスリート男子がかつてのテニスの世界チャンピオンだったとしても。

どうしてそんなに「より高いハードル」に挑戦したくなるのさ

 ビリーは男女のテニス頂上決戦に勝ち、開場の皆が興奮状態で彼女を迎えるけど、それを避けて一人ロッカールームにまた閉じこもってしまう。そしてやっと一人っきりで喜びと感情を爆発させるのさ。とびきり嬉しいのは確かだけどこの後自分はどうして良いか解らなくて不安でもあるから。んで、再びコートへ戻っていく。皆に挨拶と内心に決意を秘めて。実話ベースの映画の常としてその後の実在のビリーとボビーの話題が写真と共に紹介されるのだけど、ビジュアルがひたすらに派手で内実は穏やかで慎ましい老後を送るボビーと、地味に語られるビリーの型破りなエピソードの数々の対比もスゴイ。とにかく何でも着実に粘り強い女性はやってる事がいちいち大胆ですね。彼女としては過去の事を感謝して一個ずつお返ししてかなきゃってだけなのかもしれないけど、そうなるんだぁ・・・って感想にはなりました。

 

GOALを目指す女 ②  「わたしは生きていける」のシアーシャ・ローナン

 

 これぞ典型的な「GOALに向かって付き進む女は強いのよ」映画

 若くして主演作多数、オスカーの常連なシアーナ・ローシャンの主演作にしてはマイナーな映画の部類に入るかもしれませんが、劇場公開時にはサターン賞(SF映画ファンが投票して決まるその年の優れたSF映画に贈られる賞)というのは受けてます。現在スパイダーマン:ホームカミング (吹替版)からスパイダーマンを演じているトム・ホランドが注目された作品でもありますね。原作小説もありますが、この映画を撮っている監督のケヴィン・マクドナルドの代表作が「ラスト・オブ・スコットランド」というウガンダの大統領で悪名高きイディ・アミンを題材にしたヤツだってのがミソです。この映画途中から(というか元々狙ってたのは)リアルなポリティカルSF映画になることでして、なおかつヒロインのデイジーシアーシャ・ローナン)の若い女性目線で語るというのが重要になるからです。ちなみに映画で想定されているのは過激派テロリストからの核攻撃を受け英国で「内戦」が勃発するですよ。

慎重で大人びた長男、元気いっぱいの次男役のトム・ホランド

 アメリカの十代の女の子デイジーシアーシャ・ローナン)は夏休みにイングランドの親戚であるペンおばさん(アンナ・チャンセラー)の家に滞在しようとやって来る。ロックが好きでヘッドホン付けていつも他人をシャットアウトする風のデイジーはおばさんのトコの次男アイザックトム・ホランド)の歓迎を受けます。田舎にあるペンおばさんの屋敷に着くと長男のエドマンド(ジョージ・マッケイ)と幼い妹のパイパー(ハーリー・バード)が居る3人兄妹。お姉さん来たと喜ぶパイパーはともかくとしても、やたら僕らと一緒に楽しくやろうよと誘うアイザックと反対に終始そっけない態度のエドマンドは観ているコッチには不穏に感じます。唯一の大人であるペンおばさんの仕事は政府の要人で書斎に籠もって仕事をしていることが多い。そんな中でも自分の家庭環境に対する不満(父親が再婚して継母とうまくやれない)でいっぱいのデイジーは部屋の中で拗ねているだけだったのですが。映画鑑賞してしばらくして振り返ると、デイジーがこの時にエドマンド達にやたらと歓迎されたのは彼女がアメリカの国籍を持っているからだったんだろうなと思いました。そう考えると特にアイザックの態度には腑に落ちる事がある。母親から政府の内情を知らされている兄妹達にとっては何かあったときにデイジーと一緒に行動していた方が安心だからです。アイザックはいざとなったら友達のジョー(ダニー・マケヴォイ)なんかと一緒に家族と自分の信じる自由を守る為に闘う覚悟が既に出来ていたみたい。エドマンドといえば、デイジーを呼び寄せた事に引け目を感じるのか最初は彼女に素っ気ないのですが、デイジーの家庭環境や彼女の寂しく人恋しい感情に触れて、結局は恋に落ちてしまう。彼も心理的には終始緊張状態にありますから余計にそうなる。公開当時の映画の批評として「ティーンエイジャーの恋愛模様と近未来の戦争とのエピソードがかみ合っていないみたいなんだが、原作小説もこの通りだしなあぁぁ」というぼやきがあったのですが、前半の夏休みの部分(およそ30分は超えてます)が無いと後半のデイジーの強さとアイザックエドマンドの脆さと純粋な正義感が裏切られていく様がきちんとアピール出来ないのでどうしても前半部分が必要なんですね。突然に戦闘というものが自分の鼻先に突きつけられた青年達の悲劇をヒロインの眼を通して描く物語でもあるからです。

後半はデイジーが「家」を目指して突っ走る

 映画はデイジーエドマンドがお互い何かの啓示を受けたかのように、恋の予感が走ったねぇ、なシーンが前半部のクライマックスで、それにドキドキしながらデイジーと兄妹達で夏のピクニックのランチを楽しんでいる最中に、ロンドンが核攻撃を受ける様子を目撃して一気に転調します。家に戻るとおばさんはそれでも政府中枢に戻らなきゃと子供達を残してロンドンへ向かいます。(核攻撃受けたロンドンへ行けるのかって突っ込みが入りそうですが実際に劣化ウラン弾の爆撃なんかもありますので)おばさんは誰が来てもアナタ達はなるべく家に居なさいと言い残すのですが、数日もしないうちに武装した集団がエドモンド達の村にもやってきて「成人した若い男性は入隊、子供や女性老人達は家から出て疎開するように」と命令されます。デイジーは拒否しますが、エドマンドとアレックスは入隊してデイジーとパイパーは結局「軍」が用意した村に集団疎開して毎日農作業に勤しむ羽目に。疎開した先の村で一見平穏そうな日々が続くものの・・・段々にきな臭くなってきて、ついにデイジーはパイパーを連れて疎開先からエドマンド達の家へ戻ろうと深い森を突っ切って脱出していくのでした。というわけでその後は冒険に次ぐ冒険というかひたすら緊迫したシーンでラストへ向かいます。一体どういう経緯で戦争が始まったのか誰と誰が対立してる構造なのかも説明はありません。まずデイジー達が疎開村を脱出しようと試みるきっかけになるような大事件が村で起こるわけでもなくデイジーの直感で決断してしまいパイパーは最初嫌がるのですから。何故デイジーがこのように突然に人が変わったように意志的な女性になるのか・・・というのもやはり外国で育って英国にやってきたからと感じました。余所からの視点が入るので「コレはおかしいのではないか?」とね。彼女はパイパーと比べてもいわゆる正常時バイアスに囚われていなかった。

戦争というより内戦、無政府状態に置かれた難民としての恐怖

 デイジーとパイパーは疎開の村から逃げ出して森をさまよう内にやがて自分達に迫っている本当の危機は何かをはっきりと悟るようになります。ゲリラの男どもが各地の疎開先をおそって若い女や少女達を略奪しているのを眼にするからです。自分達も武装した男達に捕まったら慰安所行きです。デイジーは余裕が無いので捕まっている少女達を尻目に隠れて森を進んでいくのですが、やはり男達に捕まりそうになり対峙していくシーンも出てきます。ここで肝の据わったデイジーが完成したわって感じになるので、なんか一安心みたいな気分に一瞬なりますが、でもそんな中思いがけない形でアレックスと「再会」なんかするので・・・あぁぁってなりますわね。逃走する時にデイジーが疲れ切ってくじけそうになり気を失いそうになると「エドマンドの声が聞こえる」みたいな事が起きたりして、やっぱり英国の女性は「ジェーン・エア」のような直感で結びつくような恋愛ものが好きなんだわって思いました。

 デイジーとパイパーが我が家にたどり着くとエドマンドと再会し、その後すぐに停戦条約が結ばれてあっけなく危機は終焉するのですが、再会したエドマンドのPTSDは深くてふさぎ込んでしまう。でも私はエドマンドを支えるわってデイジーの宣言で映画はお終い。ブレグジット前の英国映画なんでEU内のゴタゴタに巻き込まれた?EU抜ける抜けないで国内の対立が深まり内戦になった?・・・その辺は詳しく描かなかったんですがこの映画で深めようとした「リアリティ」はそんな所にはハナっから無いから、こんな世界でもわたしは生きていける、で良いのですよ。

 

君よ憤怒の河を渉れ [Blu-ray]
 

  最近はリアルな「ぽりてぃかるさすぺんす」映画がネット(2019/07現在)でも話題ですが、私としては↑のような西村寿行原作のフィクションが一部「現実化」してんじゃんかよ・・・ってトホホな気分の方が強くて毎日が憂鬱です。もう個人的に「二十代の頃の現皇后」にちょっと目鼻立ちが似ていると思う件の女性ジャーナリストが白馬に乗って新宿西口を激走するとか、そんでもって映画の主人公高倉健ばりにハニートラップ疑惑に揺れた〇川パパが横で「だーやらぁ~だやらだやららぁ~」ってスキャットしてくれるすんごい下らない夢を見て夜は癒やされたいです。私急ごしらえの社会派映画で憤怒するほど元気無いんだ、最近は。