GOALを目指す女 ②  「わたしは生きていける」のシアーシャ・ローナン

 

 これぞ典型的な「GOALに向かって付き進む女は強いのよ」映画

 若くして主演作多数、オスカーの常連なシアーナ・ローシャンの主演作にしてはマイナーな映画の部類に入るかもしれませんが、劇場公開時にはサターン賞(SF映画ファンが投票して決まるその年の優れたSF映画に贈られる賞)というのは受けてます。現在スパイダーマン:ホームカミング (吹替版)からスパイダーマンを演じているトム・ホランドが注目された作品でもありますね。原作小説もありますが、この映画を撮っている監督のケヴィン・マクドナルドの代表作が「ラスト・オブ・スコットランド」というウガンダの大統領で悪名高きイディ・アミンを題材にしたヤツだってのがミソです。この映画途中から(というか元々狙ってたのは)リアルなポリティカルSF映画になることでして、なおかつヒロインのデイジーシアーシャ・ローナン)の若い女性目線で語るというのが重要になるからです。ちなみに映画で想定されているのは過激派テロリストからの核攻撃を受け英国で「内戦」が勃発するですよ。

慎重で大人びた長男、元気いっぱいの次男役のトム・ホランド

 アメリカの十代の女の子デイジーシアーシャ・ローナン)は夏休みにイングランドの親戚であるペンおばさん(アンナ・チャンセラー)の家に滞在しようとやって来る。ロックが好きでヘッドホン付けていつも他人をシャットアウトする風のデイジーはおばさんのトコの次男アイザックトム・ホランド)の歓迎を受けます。田舎にあるペンおばさんの屋敷に着くと長男のエドマンド(ジョージ・マッケイ)と幼い妹のパイパー(ハーリー・バード)が居る3人兄妹。お姉さん来たと喜ぶパイパーはともかくとしても、やたら僕らと一緒に楽しくやろうよと誘うアイザックと反対に終始そっけない態度のエドマンドは観ているコッチには不穏に感じます。唯一の大人であるペンおばさんの仕事は政府の要人で書斎に籠もって仕事をしていることが多い。そんな中でも自分の家庭環境に対する不満(父親が再婚して継母とうまくやれない)でいっぱいのデイジーは部屋の中で拗ねているだけだったのですが。映画鑑賞してしばらくして振り返ると、デイジーがこの時にエドマンド達にやたらと歓迎されたのは彼女がアメリカの国籍を持っているからだったんだろうなと思いました。そう考えると特にアイザックの態度には腑に落ちる事がある。母親から政府の内情を知らされている兄妹達にとっては何かあったときにデイジーと一緒に行動していた方が安心だからです。アイザックはいざとなったら友達のジョー(ダニー・マケヴォイ)なんかと一緒に家族と自分の信じる自由を守る為に闘う覚悟が既に出来ていたみたい。エドマンドといえば、デイジーを呼び寄せた事に引け目を感じるのか最初は彼女に素っ気ないのですが、デイジーの家庭環境や彼女の寂しく人恋しい感情に触れて、結局は恋に落ちてしまう。彼も心理的には終始緊張状態にありますから余計にそうなる。公開当時の映画の批評として「ティーンエイジャーの恋愛模様と近未来の戦争とのエピソードがかみ合っていないみたいなんだが、原作小説もこの通りだしなあぁぁ」というぼやきがあったのですが、前半の夏休みの部分(およそ30分は超えてます)が無いと後半のデイジーの強さとアイザックエドマンドの脆さと純粋な正義感が裏切られていく様がきちんとアピール出来ないのでどうしても前半部分が必要なんですね。突然に戦闘というものが自分の鼻先に突きつけられた青年達の悲劇をヒロインの眼を通して描く物語でもあるからです。

後半はデイジーが「家」を目指して突っ走る

 映画はデイジーエドマンドがお互い何かの啓示を受けたかのように、恋の予感が走ったねぇ、なシーンが前半部のクライマックスで、それにドキドキしながらデイジーと兄妹達で夏のピクニックのランチを楽しんでいる最中に、ロンドンが核攻撃を受ける様子を目撃して一気に転調します。家に戻るとおばさんはそれでも政府中枢に戻らなきゃと子供達を残してロンドンへ向かいます。(核攻撃受けたロンドンへ行けるのかって突っ込みが入りそうですが実際に劣化ウラン弾の爆撃なんかもありますので)おばさんは誰が来てもアナタ達はなるべく家に居なさいと言い残すのですが、数日もしないうちに武装した集団がエドモンド達の村にもやってきて「成人した若い男性は入隊、子供や女性老人達は家から出て疎開するように」と命令されます。デイジーは拒否しますが、エドマンドとアレックスは入隊してデイジーとパイパーは結局「軍」が用意した村に集団疎開して毎日農作業に勤しむ羽目に。疎開した先の村で一見平穏そうな日々が続くものの・・・段々にきな臭くなってきて、ついにデイジーはパイパーを連れて疎開先からエドマンド達の家へ戻ろうと深い森を突っ切って脱出していくのでした。というわけでその後は冒険に次ぐ冒険というかひたすら緊迫したシーンでラストへ向かいます。一体どういう経緯で戦争が始まったのか誰と誰が対立してる構造なのかも説明はありません。まずデイジー達が疎開村を脱出しようと試みるきっかけになるような大事件が村で起こるわけでもなくデイジーの直感で決断してしまいパイパーは最初嫌がるのですから。何故デイジーがこのように突然に人が変わったように意志的な女性になるのか・・・というのもやはり外国で育って英国にやってきたからと感じました。余所からの視点が入るので「コレはおかしいのではないか?」とね。彼女はパイパーと比べてもいわゆる正常時バイアスに囚われていなかった。

戦争というより内戦、無政府状態に置かれた難民としての恐怖

 デイジーとパイパーは疎開の村から逃げ出して森をさまよう内にやがて自分達に迫っている本当の危機は何かをはっきりと悟るようになります。ゲリラの男どもが各地の疎開先をおそって若い女や少女達を略奪しているのを眼にするからです。自分達も武装した男達に捕まったら慰安所行きです。デイジーは余裕が無いので捕まっている少女達を尻目に隠れて森を進んでいくのですが、やはり男達に捕まりそうになり対峙していくシーンも出てきます。ここで肝の据わったデイジーが完成したわって感じになるので、なんか一安心みたいな気分に一瞬なりますが、でもそんな中思いがけない形でアレックスと「再会」なんかするので・・・あぁぁってなりますわね。逃走する時にデイジーが疲れ切ってくじけそうになり気を失いそうになると「エドマンドの声が聞こえる」みたいな事が起きたりして、やっぱり英国の女性は「ジェーン・エア」のような直感で結びつくような恋愛ものが好きなんだわって思いました。

 デイジーとパイパーが我が家にたどり着くとエドマンドと再会し、その後すぐに停戦条約が結ばれてあっけなく危機は終焉するのですが、再会したエドマンドのPTSDは深くてふさぎ込んでしまう。でも私はエドマンドを支えるわってデイジーの宣言で映画はお終い。ブレグジット前の英国映画なんでEU内のゴタゴタに巻き込まれた?EU抜ける抜けないで国内の対立が深まり内戦になった?・・・その辺は詳しく描かなかったんですがこの映画で深めようとした「リアリティ」はそんな所にはハナっから無いから、こんな世界でもわたしは生きていける、で良いのですよ。

 

君よ憤怒の河を渉れ [Blu-ray]
 

  最近はリアルな「ぽりてぃかるさすぺんす」映画がネット(2019/07現在)でも話題ですが、私としては↑のような西村寿行原作のフィクションが一部「現実化」してんじゃんかよ・・・ってトホホな気分の方が強くて毎日が憂鬱です。もう個人的に「二十代の頃の現皇后」にちょっと目鼻立ちが似ていると思う件の女性ジャーナリストが白馬に乗って新宿西口を激走するとか、そんでもって映画の主人公高倉健ばりにハニートラップ疑惑に揺れた〇川パパが横で「だーやらぁ~だやらだやららぁ~」ってスキャットしてくれるすんごい下らない夢を見て夜は癒やされたいです。私急ごしらえの社会派映画で憤怒するほど元気無いんだ、最近は。