トンデモ悪女伝説11 「TAR」のケイト・ブランシェット

 

芸術の為なら何でもやっちゃう女に明日はあるのか

まず映画冒頭の主人公リディア・ター(ケイト・ブランシェット)に観客が感じる第一印象の中にはいくら何でもやり過ぎでしょ50超えたぐらいの人で自己研鑽の為にここまでヤル人いるの?てのがあると考えます。映画全体がまるっきりヨーロッパの映画のようですがところどころでハリウッド映画特有の無茶とご都合主義一歩手前の楽観主義に溢れているのが痛快っちゃ痛快な気がしましたが、それにしても、ね。ついでに云うと私は映画冒頭のターに傲慢さは感じませんでした。真摯で芸術大好き熱心なあまりお節介なくらい親切な女じゃん。(私の感覚がおかしいのでしょうか、でも学生時代の同級生でもコレくらいの娘いましたけど)私自身が彼女に対してちょっとアレだな感じたのを敢えてあげると、同業の指揮者であるカプラン(マーク・エストロン)に対してあっさりと自分のアイディアを打ち明けてマウントを取る行為かな。男女限らずかなりいけ好かない優等生のやり方ですが、女性だから本当に男に媚びているようにも喧嘩を売っているようにも見えて不安になります。音楽大学の授業のシーンや彼女の講演の長いシーンを尊大な女と感じる人達は「芸術、創造に於ける正義とは」な問題をずっと真面目に考えている人間をよく知らないのではないでしょうか。ちょっと前の映画のセッション [Blu-ray]に登場する鬼教授は芸術における正義が暴走しているキャラクターですが、彼と比べてもリディア・ターは人格者と言って良い。

 

リディア・ターに罠を仕掛けるのは陳腐な奴ら・・・だからこそ恐ろしい

映画冒頭のシーンからターにストーキングをする若い女性のグループのメール描写がありそれで一見彼女がモラハラ常習の権力者だという印象が観客に強烈に焼き付けられるのですが、じゃあそんなターに執着する若い女性グループは何者?若手のクラシック奏者達か?いいえ彼女らはそんな人達ではありませんあくまでも「謎めいた烏合の衆」です。ターの自宅があるベルリンに戻ると、家内でターのスコアが盗まれたり自宅のメトロロームがイタズラされたり謎の騒音が仕掛けられたりしてターの精神状態が徐々に追い込まれていきます。この辺の描写は私自身が2022年までに結婚指輪を含めて宝飾品が盗まれたり戻ってきたり私や息子の郵便物と銀行通帳と洋服の数々が盗まれたりしたのを思い出して身につまされましたから自然に理解できました。最近では経済目的で空き巣に入るのではなくヘイト行為に近いという傾向が世界的に広がっているのでしょうか。「ター」で登場する若い女性達は指揮者志望でアシスタントのフランチェスカやロシア出身の新鋭チェロ奏者のオルガなどいますが、彼女らはどちらとも素直に音楽のキャリアを追求したい人間でターの事も出来れば尊敬したいと思っていた。それでも彼女らはストーカー集団が仕掛けるスキャンダル工作に巻き込まれるのを恐れてターからは結局離れていくのでした。いくらターがカミングアウトしたレズビアンでも若い女性達のロールモデルにはなれるとターも女弟子達の双方も信じていたのに・・・この辺は働いて社会的地位を向上させたい女性達にはホラーめいて映るかもしれません。

 

それでもターは負けない、より芸術の高みを目指すだけ

演奏家や指揮者によっての音楽の違いや個性を見いだすマニアックなクラシック音楽ファンは「次に登場する天才はどんな人物でどんな人生を歩むことだろう」という想像にふけるのが楽しみなのでしょうか。監督トッド・フィールドが考え抜いたが考える最強の指揮者みたいなのが映画のヒロインのリディア・ター。おかげで気弱な日本の青年が「ター」を鑑賞してもターが美男子なのか美女なのか区別が付かず、映画のラストのターの姿にショックを受けやしないかと心配になるくらい。ターがベルリンの交響楽団の常任指揮者から外されて、抗議の殴り込みに行くシーンは騎士の決闘のようでカッコいい。そこに転落する驕慢な女性の姿を私は感じませんでした。

 

それよりも私が行く末を心配になってしまった登場人物はターのパートナー関係をスキャンダルによって終にしたベルリン楽団員のヴァイオリニスト、シャロン(ニーナ・ボス)の方です。シャロンもまた超絶技巧の脚本の中で綿密に設定された女のなのですが最初の登場段階から酷い更年期状態で娘の世話もあまりきちんと出来ていない様子なのに娘のことは放任主義。ターの方が娘と一緒に居る時間があまり無くとも娘の学校生活の様子を気にしていじめっ子の同級生をやっつけようとする。ターは家族の中で父親と母親の両方の役割を担おうとしています・・・何故そんなことが可能なのか?それは言い換えるとシャロンがより完全な意味で母性を獲得する機会をターが横取りした結果なのですが、シャロンは自分の安定したヴァイオリニスト奏者のキャリアと音楽性を手に入れる為にあっさりとターに譲ってしまい、気にもしていないのです。またトッド・フィールドはシャロンがターと別れても「きっと巧くいくだろ彼女は〇〇だけじゃないもんね」と軽くシーンで表現してしまうので、私はちょっとその点には頭を抱えてしまいました。ターは最終的により音楽家として深化していく為にもうレズビアンに戻ることはないだろうし高齢初産のリスクもないので家庭婦人としての顔を持ってもさほど苦労はしなそうです。対してシャロンは今後男性との結婚を了承しないと駄目で次の女性パートナーも許されず、キャリアの上昇や安定も下手すると娘の養育権も取られてしまう可能性がありそうです。やっぱり男性の映画監督なので「俺の正義の中では駄目な女」にはかなり厳しいみたい。特に米国の映画監督は厳しいかな。今回ブログ内容を考えているウチについサスペリア [Blu-ray]と比べてしまいましたが、男性のヒーロー願望の限界と悲しみを描いた「サスペリア」と違って「ター」はあくまでもヒーロー道一直線です。ケイト・ブランシェット様とティルダ・スウィントン様がよく似ているから偶々思い出した・・・だけではないと思ってます(笑)。