お祓いされる女⑦ 「アリー/スター誕生のレディ・ガガ」

 

 どうしてあの「ガガ様」が演らなきゃいけないのぉ~

 高校が女子校で中高合わせて千人は入る講堂が自慢だった。そこで演劇や映画を見せるとかなりのスケール、大画面になる。高2の時に(午後の授業をつぶして)映画鑑賞会があってB・ストライサンド主演のスター誕生 [Blu-ray]を観た。高3になると卒業間近という事か3学年だけで映画上映会をデカい講堂ではなく体育館で上映することになって事前に何本か映画(総てハリウッド映画)の候補があり、中にはローマの休日(日本語吹替)なんかも入っていたんだが、投票で選ばれたのはディズニー映画(と思われるんだ)の小さい男の子が飛行機事故から一人生還する冒険映画だった・・・おそらく教師のほうは「ローマの休日」が一番得票を稼いで欲しかったのかもしれないが、昔も今も大人の思うほど女子高生は恋愛映画に興味が無いんである。演ってる人間が日本人でない分、ストーリーが直に訴えかけてくるので「この話キライ、意味わかんない」がハッキリでてしまうのだ。んで「ローマの休日」にしろ「スター誕生」にしろこの手の女性が主人公の愛についての映画てやつは「ベタ」なんである。映画の結末がネタバレしても全く問題ないくらいにありきたりで、そこまでたどり着くまでのプロセスこそ見せたい映画。またそんなベタな映画って同時に説教くさいメッセージを感じ取るお年頃には面白くない映画、なのだ。今現在(2019年10月時点)で話題の「JOKER」だって「今更なんでタクシードライバー (字幕版)の焼き直しみたいなのをDCコミックのヒーローを借りて映画にしなきゃなんないの?」なベタ映画である。・・・というわけで私がレディガガを主演にして「スター誕生」をリメイクするって聴いたときの反応はどうしてあのガガ様が古色蒼然としたメロドラマのヒロイン演らなきゃいけないのであって、おそらく日本の配給会社のスタッフも困ってんだろうなあぁ・・・だった。だからこの映画の宣伝の人達は細心の注意を払ってよくロングランにこぎ着けたと思う。(一部の映画ファンからクレームがついてもアリーって役名のタイトル加えたし)前作のB・ストライサンド版よりも題材が広く深い枠組みで出来ていてちゃんと21世紀の映画になってたという映画の底力もあったけどね。

C・イーストウッドがずっとビヨンセ主演でヤリタカッタのを・・・

 イーストウッドの弟子とも言えるB・クーパーがレディ・ガガを連れてきて自分で「スター誕生」をリメイクしたいって言ってきたのでお任せしたらしい。ビヨンセが主演で相手役のジャクソン・メイン役にはジョニー・デップへ頼みに行って断られただのとか、脚本家の一人がジャクソン・メインのイメージをカート・コバーンみたくしたいんだとか、門外漢が聴くと一層収拾がつかない感じですが、最終的にB・クーパーが主導でまとめたのかな。よくよく観るとB・ストライサンド版やJ・ガーランド版の「スター誕生」を彷彿とさせ、ブラッシュアップして見せてくれるので知識の無い人が始めてガガ版の「アリー/スター誕生」観ても楽しめると思います。まあぁ・・ホント言うと「スター誕生」ってハリウッドが好きな男のメロドラマの典型の一つなんでは有りますが。だから21世紀になっても残していきたいっていう人多かったんじゃないかと。成功を納めたはずの男が妻にした女性に「抜かれる」というワケではなく、挫折感を抱えた男が妻を得てもう一度「輝きだかったけどもう力つきていた」な悲劇・・・しかしそんな話に日本人のしかも今どきの独身男女には身につまされる要素って有りますかね。

ジャクソン・メインの成功の秘密と「限界」

 今回のJ・メインはカントリー系のロック歌手として成功を収めてUS全土をひたすらツアーして回ってる。21世紀の音楽シーンはヒット曲が続かなくてもステージでめいっぱい稼いでいるスターが当たり前なので、彼がアーティストとしてもミュージシャンとしても限界ギリギリの状態だとは皆は気がつかない。J・メインの異母兄でマネジャーのボビー(サム・エリオット)とも仲違いしていて今にも活動に支障を来しそう・・な時にステージで歌っているアリー(レディ・ガガ)と出会う。映画は今回アリーとJ・メインの家族と彼らが背負っている背景というものを丁寧に(というより中盤のエピソードはソレしかなかったりする)描くのでJ・メインがいかに才能が燃え尽きているかがよく判って辛い。J・メインの父親は貧しい季節労働者で60過ぎてから当時知り合った農家の18歳の娘との間に彼をもうけた。そんで母親の方は産後あっという間に亡くなり老いた父親と一緒に父親が死ぬまで子供時代を過ごしたような人。どうしてそんな閉塞した環境で成人した彼が成功するんだろう?っていぶかる人もでそうなんだけど、年寄りの父親は古いR&Bのレコードをたくさん持っていて、レコードを掛ける古い蓄音機だけが子供の頃のおもちゃだったJ・メインはブレる事なく自分の信じる音楽を作りヒットを飛ばす事が出来たのさ。クリエイターの引き出しが小さい事によって一点突破して出来上がった傑作てのは世の中に結構あるからね。成功し続けるのは辛いけど。でもいよいよ両耳が聞こえなくなって自分がステージに立てなくなったらせっかく作った音楽も、それこそ自分の生きた証も消えちゃうかもしれないんだ。だからJ・メインはアリーを求める。そこがハッキリ判るので、彼がいくらだらしなくともアリーに理不尽な嫉妬をしても、ひたすら切なさが漂う。あまりにも負け犬過ぎるっていうか。

主演女優にして映画における音楽プロデューサーのガガ様

 映画の主題歌がアカデミー賞の主題歌曲賞を取った時、ガが様としては他2人の作曲家との共作だったんで「ありがとう二人のおかげだわ」て受賞でコメントしてて他2人は「いや君の曲を我々は殆ど手直すとこが無かったよ」と返していた。ガガは脚本を読んで曲を作り、今までやったことの無いカントリー系の曲をさらっと作り上げたらしいよ。アリーも実際のガガ様と同様に音楽の引き出しがとても多くて、むしろ多すぎてヒットする機会を逸していたんだね。アリーはJ・メインの音楽に触れる事によって楽曲の才能が認められて、流行の音楽シーンに合わせて曲を提供することが出来る。彼女の家はせいぜい中産階級てとこだけど父親の仕事はリムジンの運転手でスターが身近にいた。彼女はJ・メインなんかよりはるかに恵まれた音楽環境で育ったんで、夫になった彼よりもはるかに安定してアーティストを続けられる。まあ21世紀はスター誕生というよりアーティスト誕生、て映画になったのかも。そして一番大事なのはアーティストが残した作品を後世にまで引き継いでいくこと。アリーとJ・メインの結婚生活は短くて2人は子供ももうけられなかったけど、敢えて言えば2人で作った作品が子供。アリーが唄い続ければ子供達は残る、数代にわたる彼らの家族の歴史も残る。そう思い至るとラストはなかなかに感動するよ。

 

  ↑はドキュメンタリーでその年のアカデミーのドキュメンタリー賞を取りました。エイミー・ワインハウスレディ・ガガは境遇が全く違っていて、しかもルックスも音楽的資質はかなり似通っていた。映画観ると10代で成功を納めたエイミーが同時期にNYで下積みしていたガガのような苦闘もせずにあらゆる種類の音楽を網羅出来るはずだったのに・・・だったのが、あっという間に転落していくのでホント諸行無常に感じます。2本合わせてみるとガガ様は出るべくして「スター誕生」に出たって気がします。