いろいろと説教がキツい人達 1「勝手にしやがれ」について

 

ポリンキーポリンキー、映画勝手にしやがれの秘密はねっ♡

今ではポンコツ頭の私にも少しは判ってきちゃった。年齢を重ねると良い事もあるのものだね。大昔、20歳過ぎたばかりの頃に現在では閉館した日比谷の映画館で「勝手にしやがれ」と気狂いピエロ [Blu-ray]の二本立てという荒技の映画鑑賞修行をして(しかもアルバイトの予定がなくなった日曜日に思いつきで行ったの)、映画よりその劇場で観にきていた皆お洒落で互いにモノトーンの装いをしたカップルの生態について有意義な観察をした思い出があるんだ。が、それでもやはり20世紀における文化的な大事件、ハリウッド映画に限らず様々なコンテンツに半世紀以上にわたって影響を与え続ける傑作は凄いと改めて驚嘆。そういえば今回「説教がキツい人達」てカテゴリーを作ったのだが、方針としては映画製作者達が観客に注意喚起したい在る事柄について訴えたいばかりに、結果的になんだか説教する事になってしまった映画について取り上げていきたいのさ。だから今後ともおそらくは傑作の映画についての紹介になると思う。

 

ポリンキーポリンキーゴダールの戦略(才能)の秘密はねっ・・・

映画冒頭に主人公のミシェル・ポワカール(ジャン・ポール・ベルモント)がずぅっと早口で画面に向かって独りごと言いまくるとか、それまでの映画の常識を打ち破っただとか・・・私は若い頃からいろいろ説明をきかされていた。それが先日TV放送でお昼の支度しながら横目で観ていたところ、ポワカールが拳銃の空砲を鳴らし、それが原因で交通事故が起きて死者数名が発生したというシーンであると簡潔な演出ではっきりと伝わって気分がスッキリ、その後は一緒に昼食を取った夫と息子そっちのけで見入ってしまったよお。ポワカールの罪といえばそれが一番大きくてしかも彼は貧乏な小悪党でさえないという設定も皆さん踏まえてからぜひ観て欲しいっ。

ポリンキーポリンキー、ヒロイン(パトリシア)の秘密はねっ。

ミシェルは車の運転を終えると、アントニオ(アンリ・ジャックス・ヒュエット)を電話で呼び出し自分の車を買い換えたいと相談するのだが、全く相手にされない。彼はその後に馴染みの女性というより幼なじみのモデルのリリアンリリアンヌ・ドレフェス)のアパートに寄っておしゃべりをし、街に出てパトリシア(ジーン・セバーク)に声をかける・・・米国出身のパトリシアはおそらくソルボンヌ大学に通いながら新聞社のインターンをしている国際間の交換留学生という設定を踏まえると、ポワカールという人物が一体何者なのかが理解できるとは思うの。お馬鹿な私なのでポワカールはファーストシーンから誰かに追われているのに暢気なヤクザだと長い事勘違いをしていたけどさ。それにポワカールってヤツはパトリシアやリリアンについての貞操感覚について悪口ばかり言ってる男なので、カップルで観に行くと頭の良い潔癖な性格の女性が彼女の場合、映画鑑賞の最中にも文句タラタラだったのかもしれない。私はあの時日比谷の映画館で独りで観に行って本当に良かった、女友達同士で観に行って、ひょっとしたら友達にクレーム付けられたかも。私の20代当時はフェミニズムに違和感があるタイプの女性の方が男性の言動には(映画やドラマの中でも)案外チェック厳しかった記憶がある、私の個人的な体感ではあるけどね。

ポリンキーポリンキー、新聞写真の秘密はねっ。

それは映画を観てのお楽しみだよ!でもポワカール達は写真は見ていないからね。映画後半にポワカールとパトリシアは同じ新聞の同じ犯罪記事を読み驚いちゃう。それからパトリシアは一転して男達から追われるようになったポワカールをかばおうと手助けをし始めるのだ。ポワカールといえば、追手から逃げてはいるものの相変わらずアントニオのグループから無理矢理に新車を買っていくし、アントニオには買った拳銃を返そうと追いかける始末。もしかすると彼はアントニオに拳銃を返すなんて馬鹿な事をせずに家で数日大人しくしていれば、死なずにパトリシアとももっと仲良くできたのかもしれないのにね、まずポワカールはホームレスじゃないしさ。

ポリンキーポリンキーゴダールの映画のお楽しみのひとつはねっ。

それはヒロインのファッションが可愛くてお洒落の参考になることさ。20世紀が終わって21世紀が始まっても変わらない。かつてゴダールの映画に主演したアンナ・カリーナゴダールが衣装を街のスーパーでも調達してきたのが凄いってのを絶賛していましたよ。パトリシアが着ていたコートやフレアスカートはあんまりイマの日本では販売していないんで頭にきますが、Tシャツと厚手のレギンスだったらUNIQLOやらしまむらでも探せるのではないかしらん。可愛いくもなくスタイルも良くない日本の若い女の子が真似をしても似合わないとごねたくなる女性もいるかな?・・・でもイマの20代の女性たちは1980年代終盤の20代オンナより手足長い体型人口は増えているし、よりジーン・セバークに近いはずだ!頑張ってボーダーTシャツとか着てくれたまえ。

ポリンキーポリンキー勝手にしやがれのラストのポワカールの秘密はねっ。

教えてあげないよ、ネタバレになっちゃうからね。でも多少ヒントは挙げておこうかな。パトリシアに尋問してひそかにポワカールを追うヴィダル刑事(ダニエル・ブーランジェ)ときたらポワカールが拳銃で撃たれちゃうだけで満足して彼を助命しようと救急車とかは一切呼ばないんだよ。ただ撃たれたポワールのそばに駆け寄るパトリシアの両隣ににじり寄るだけさ。で、有名なポワカールの声に出来ない叫びとパトリシアのお口をチャックするポーズの意味が一回観ただけで理解できる君なら私は本当に天才だと思う。数回観ただけで理解できる君でも大秀才かもしれない・・・でも21世紀に本格的に今昔の映画を観てきた若い君たちなら、私らみたいな「ヌーベルバーグ」について懇々と説明されたオタク気味のかつてのYOUNGよりはあっさり判るかも♡、是非ぜひ試しに鑑賞してみてね。

ポリンキーポリンキー、最後にポリンキーゴダールの映画の関わりの秘密はねっ。

ポリンキーとは日本で1990年代から販売されているスナック菓子の名前で、新発売当初の宣伝キャラクターの名前はジャンとポールとベルモントの三人組なんだ。ちなみに私はゴダールの映画にポリンキーって名前の登場人物がいるのかどうかまでは知らないんだ。ただしそんなポンコツな映画ファンの私でも「勝手にしやがれ」の理解が増した現在余計な妄想だけが膨らんでいるのだ。もしかつてのゴダール青年が「映画監督じゃなくて作家としてのジャン・ピエール・メルヴィルが憧れ」だったら?・・・ひょっとしたら彼はカイエ・ド・シネマの同人になる直前に既にもの凄く過酷な青春時代を送ったのではないのかな?・・・で、しつこくカイエの同人達に自分の経験を語ったのに、彼の経験と「勝手にしやがれ」という映画の在り方をもの凄くうらやましがる仲間に出会って驚愕した・・・等々。でも妄想を書きすぎると失礼になる気がするのでこれ以上は止めます。で、21世紀の日本ではポリンキーはあるコンビニチェーンのプライベート・ブランドのスナック菓子として販売されています。1990年代より健康的なスナック菓子のイメージですね。21世紀は映画館だけでなく、DVDや映画配信でポリンキー食べながらさくさく観られる「勝手にしやがれ」に期待したいのだっ。

 

法螺ぁぁな女 9「あの頃」の中田青渚、西田尚美、そして松浦亜弥

 

コワ過ぎる昨今の日本映画を「9本」紹介することで完結!!

なんで2021年度劇場公開の「あの頃」で自分で勝手に決めつけ2000年以降の日本のホラー映画選を最後にしたいと思います。他にもオーディション [Blu-ray]とか十三人の刺客<Blu-ray>通常版とか候補があったんですが、「オーディション」はつい最近ではレンタルでも一切見つからなかったし、DVDも買えない鑑賞不可能だった状況、もう一本はリメイクの時代劇で昭和東映版の十三人の刺客 [DVD]もエグさが凄いですから諦めました。ついでに言うと9本にしたかったのは苦痛の9本という意味合いで決してベスト9というわけではなく敢えて言えばDEATH/です9と呼びたいぐらい、それにおそらく「あの頃」のスタッフはこの映画が代表作っていわれるとかなり嫌がる方々がいそうなんで、まあぁ、いいかなって。

10年ぐらい経っただけでは・・・

いまだ当事者たちにはいろんな面で気持ちの整理がつかないんでは、という気が映画終了後にしました。先ずオープニングの主人公つるぎみきと(松坂桃李)が所属するバンド演奏シーンとBGMに流れる「サルビアの花」の歌声の自信がありそうにもないのにどこか暢気な感じが忘れられないし。原作は2014年に出版されたコミックエッセイですが映画のつるぎみきとさんのモデルはあくまでもプロのベーシストできっとご自身で歌っているのでは?(少なくとも松坂桃李さんのボーカルには聞こえませんでしたが違ってたらゴメンナサイ)。つるぎ氏の実話をエッセイストの犬山紙子さんの夫さまが漫画にしたと思われます。で、映画ストーリー紹介しますと、主人公のつるぎはバンドのドラムがリズム感ゼロなのにベースの腕が良すぎてリードボーカルに嫌われてバンドをクビになってしまいます。バンドは駄目だしアテにしていた大学院の試験にも落ち、卒業後の進路のめどがまったく立たなくて凹んでいた矢先、大学友人の佐伯(木口健太)が「つるぎが好きそうだと思って」と渡された松浦亜弥のCDに度はまりし近所のCDショップで松浦亜弥のCDや関連グッツを探し回っていただけで、CD店員のナカウチ(芹澤興人)に誘われ、あれよあれよいう間に大阪の阿倍野で伝説ともいえるハロプロファンサークルの一員になってしまったのです。ここまでの件が私にはまったくもって謎としか思えないイージーさなのですが、面白い遊びを見つけてしまった青年もしくはおっさん達の勢いと楽しみ方がもの凄い・・ホントに大阪って訳分からないって感心してしまいました。つるぎのファンサークル加入に際にやたら絡んできたのが中核メンバーのコズミン(仲野太賀)なのですが、彼がもう一人の主人公であり、物語後半における悲劇のヒーローでもあるのです。

日本の若者にとってのファムファタール(宿命の女)がいっぱい

日本映画の男性の主人公にはファムファタールにあたる女性という存在は昔から稀少なのですが、疾風のように登場してつるぎやコズミン達の運命を激変させる女性が数人登場します、とはいってもロマンチックな恋愛要素がない・・のが諸行無常感を呼び、私にはドラマチックで面白かったです。近年恋愛青春映画の旗手として注目されている今泉力哉監督の映画だと思うと複雑な気持ちに陥るファンは多いとは思いますがっ。

まず一人目の女性はハロプロサークルの中でただ一人彼女持ちのイトウ(コカドケンタロウ)と一緒にサークルに顔を出す靖子(中田青渚)。イトウから靖子さんを取り上げようとする謎のストーカーに追われるようになった段階で段々と楽しいアイドルサークル活動に影が差しやがてサークル崩壊のきっかけになるのでした。その経緯が語られるのもコワいですが、出演キャストの中では40代と思われるコカドさんが圧倒的にサークル内でも小僧然としていて10代の中田さんを連れていても情けない学生カップル振りがとにかく板に付いて自然なのに驚きました。ストーカーに靖子さんを諦めてもらうのにコズミンは奔走するのですが同時に「靖子はイトウではなく自分とつき合うべき」と主張するなど、些か図々しい・・・でもそのコズミンの姿が痛々しく変化する終盤近くには震えます。私仲野太賀さんは淵に立つで始めて存在を知ったせいか、かなりとんでもないエゴ丸出しの腹黒い演技でも、シニア層が「今どきの若者にしては珍しい何か感心なところがある」て思いそうな日本の古風な兄ちゃんらしさが、やっぱり強いなって気がしました。だから彼が貫く「青春時代は恋愛に賭けるモノだっ」な姿勢が打ち砕かれていく様は辛いかもしれません。先行する日本の青春映画では キッズ・リターン [Blu-ray]を思い出しますが、コズミンを巡る女性たちは皆優しいのに彼を救うことだけは誰にも出来ないのが哀しいですね。

片やつるぎの方はというと、大学の後輩(片山友希)に軽く失恋するぐらいですが、それにしても松浦亜弥の存在を知り彼女の握手会で本人に会っただけで黄金の記憶として舞い上がってしまうつるぎのような青年の場合だと異性にときめいても偉大な先達アーチストとして賞賛と羨望を強く感じ過ぎるタイプなのでした。おまけに音楽の仲間内ならまだともかく松浦亜弥のコンサートで偶然一緒になった高校教師の馬場(西田尚美)とアイドル談義をしているだけで、勇気もらっちゃった俺も頑張ろうってハッピーになるぐらい頭の中はどこか音楽中心、やりたい事中心です。一日知り合っただけの女性に運命を少しだけ変えてもらって独り感謝する・・・どうも日本の男性にとってのファムファタールって薄くても良い気がしてしょうがないんですが、駄目なのかしらん。

21世紀にもなった大阪で行われたアイドルファンの若人たちの「講」

そおぉ・・なんですよ、ディープな日本文化に興味のある皆さん。私は当時の参加者大喜びで大阪の阿倍野で楽しく開催されていたという事実に心を打たれ驚きを覚えてしまいます。メンバーのロビ(山中宗)や西野(若葉竜也)らも含め彼らにとっては昔はよくTVでやっていた内輪のプライバシー暴露のバラエティーやら若者向けのラジオ番組の公開放送の物まねに近い、ショボいかもしれないけど楽しいから良いじゃんな催しものだった筈なのですが・・・私自身も大手メディアがこの手のコンテンツ制作がら手を引いた後、このような現象が2000年代に起きたということに考えさせられました。この映画自体が日本の2000年代のカルチャー現象に関してかなり貴重な証言に今後なっていくと思います。「あの頃」のような映画は日本映画でもっと必要になって製作しなくちゃいけなくなるのは間違いない筈。

やさぐれる女列伝 12 「普通じゃない」のキャメロン・ディアス

 

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 90年代に観たラブコメディーの中でもとりわけ好きだったのに

何故だかごく最近まで忘れていました。久しぶりにTVで観る機会があって途中まで見入ってしまいました。ちょうどセリーン(キャメロン・ディアス)が歯医者のエリオット(クリストファー・エリオット)の家に寄ってロバート(ユアン・マクレガー)を助ける為に骨折っていろいろやっているのにロバートが怒り狂って大騒ぎになるくだりとかを見直しながら、なんだか日本の青年コミックみたいななノリだけど日本の青年漫画家は先ずここまでやらないからスカッとするって気がしました。じゃあ日本の少女漫画やレディースコミックならこの映画みたいなのが読めたかというと、それも中々見つからない。だから満足度が高かった・・・と改めて思います。脚本、監督、プロデューサーの三人組は90年代の中頃にシャロウ・グレイブ [DVD]で映画界に進出し、トレインスポッティング [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]の世界的大ヒットで主演のユアン・マクレガーを始め主要キャストもハリウッドに進出。いわゆる演劇やっているスコットランド勢が大挙してメジャー映画の世界で活躍するようになっちゃった。私もかなりこのグループの人々(役者とスタッフ)の関わった映画やTVドラマ観てます・・・ヌーヴェルバーグだのドグマ95だのJホラーだのに匹敵するムーブメントだったと誰かが命名しても良いかな?ってスケールだと個人的に感じるんですが・・・英語圏の人達だったからやっぱりみんな気にしないのかな・・・それとも?

 

それでも1996年時点で英国出身系スタッフの作るラブコメは拗れていたのかも

詳しく説明すると未見の人々にはもはや面白くないかもしれないんで説明しませんが映画のオープニングでは、「男女間における永遠の愛とは何か」という事について真面目に議論しなくちゃいけないって感じになります。で、グダグダな二人組の男女のオレイリー(ホリー・ハンター)とジャクソン(デルロイ・リンドー)が登場する、とだけ紹介しておきましょう。主人公のロバートはビルの清掃作業員だったのですがビルのオーナーのスヴィル(イアン・ホルム)に首を言い渡され、頭にきてスヴィルの娘のセリーンを誘拐しようと企みますが、セリーンというお嬢様がもの凄い性格の女だったせいで、ドタバタの逃走劇になるというお話です。だから基本はロバートとセリーンの掛け合いとキャラクターの違いと魅力で引っ張っていく・・・という事になります。キャメロン・ディアスが楽しそうにパブのカラオケで歌いまくるシーンはベスト・フレンズ・ウェディング [Blu-ray]でも有名ですが、この映画でもパワー全開で楽しそうでした。ロバートの方は一見オロオロしているばかりな印象ですが、やることなすことドジと幸運が同時にやってくるもしくはセリーンの行動のフォローと後始末に奔走していくとも言えそうな活躍なんで、1920年代のスクリューボールコメディの再来といわれても納得できるかな、てのが映画公開当時の感想でした。日本の漫画、漫画家にはクラシックなハリウッド映画の影響が多々あるのですが、現在に至るまでスクリューボールコメディというジャンルはキライ又はよく知らない方々が圧倒的多数なせいか、惜しいっ惜しいぞその漫画&アニメの展開てのを時々感じるのですが、私一人だけなんでしょうか・・・あぁぁ、そうだった・・・漫画よりも日本の映画こそどうなんだって話も当然議論されるべきではあるとも思ってます。

愛も富がないとシアワセにはなれない、でもだからって解決方法が・・・

1990年代といえば、犯罪アリのカップルもの映画は結構あり「普通じゃない」の先達としてトゥルー・ロマンス ディレクターズカット版 [Blu-ray]だとか、ワイルド・アット・ハート [Blu-ray]のような映画もあります。が、この2作品のカップルに比較するとロバートとセリーンは一線を越えてはいけない強い倫理観がなんとなく「薄い」ということを指摘しておいた方が良いかもしれません。各3作品を鑑賞して、先達の2映画の方が暴力も変態性もより強いのでは?と感じる方も多いかもしれませんが、一方はドラッグを押しつけられてマフィアに狙われる、もう一方はヒロインを執拗に狙う理解不能な中年男女とその手下グループからの逃走と闘争・・・という滅茶苦茶な展開故に、主人公が自らの行動を常にチェックしないといけないという緊張感を持っていて、そうでないと映画の内で死ぬ・・・というのも観客にきちんと伝わるのとは違っています。ホリー・ハンターなんかクラッシュ 4Kレストア無修正版(3枚組) UHD+Blu-rayの時以上にもの凄い交通事故に遭ったり、セリーンのオヤジが本物のマフィアを雇って身代金横取りしようと企むのに、二人ともあんまり気にしていない感じ。男だらけの若者グループ映画である「トレインスポッティング」では前述のような「一線を踏み越えたら死んでしまう」という緊張感が映画のクライマックスまで引っ張っていたような気がしたんですが。(でも続編のT2 トレインスポッティング [AmazonDVDコレクション]を観た限りではやっぱり常に厄介な人間関係を穏便に乗り越えてして生き延びるというのがこの英国出身系のチームの考えるドラマチックな人生とは?の根っこにあるのかもしれないと思うようになりました)というわけで、ロバートとセリーンはどうやってめでたく恋に落ちて結婚に至るのか、をラストで確認して下さい。しかしながらセリーンは自分の持参金をどうやって算定したのかしらん・・・って日本人だと思っちゃいます、大人になっても仕事らしい仕事をやらせてもらえなかった金持ちお嬢さまの底力ならきっとあの何とか二人シアワセになりそうっ、て脳天気なラストの演出も私はさして気になりませんでした。

 

ドキュメント野郎 7「くたばれ!ハリウッド」

 

くたばれ!ハリウッド [DVD]

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 花咲く庭園とプール付きの瀟洒なお屋敷を生涯愛した紳士

本物のロマンチストってこういうモノなのかも?というのが映画を観た直後に感想でした。映画は主にロバート・エバンズの同名の原作本くたばれ!ハリウッドを元に構成されておりナレーションもご当人が担当しています。だからロバート・エバンズの一方的な言い分だけが目立つ気がしますが、おかげでロバート・エバンズという人物の履歴が映画プロデューサーの枠を超えて「ヘンテコ」という側面にも観る人は驚くかもしれません。何せ「コイツどんだけほら吹きなんだ」という感想を持った評論家もいたぐらい。しかしながら1950年代に東海岸出身のエバンズ青年がハリウッドへ自身のアパレルブランドの売り込みに行った筈なのに、パラマウント映画へ役者としてスカウトされてしまい「ヴァレンティノの再来」として売り出されてしまったのは事実だそうです。で、ルドルフ・ヴァレンティノの再来って事であって、1960年にイタリアでアパレルブランドのヴァレンティノが起業される少し前のお話だからね、念のためっ。

 

 

1970年代のハリウッドを仕切った、ハリウッド以外にも仕切り過ぎた男

映画のプロデューサーは「くたばれハリウッド」以外ではケイティ・ペリーやジャーナリストのハンター・S・トンプソンのドキュメンタリーを手がけていたり監督のブレット・モーゲンは後にカート・コバーンのドキュメンタリーでアカデミー賞候補にもなっっています・・・コレを私なりに推察すると「映画界のゴシップの検証が大好きでポップなミュージシャン、文化人、映画スターが好きな人々」が製作したのではという仮説にたどり付くほかありません。それとプロデュースの中にジョニー・デップとか加わっててもおかしくないよなっていう判断をしています。映画の中には当時からの映画スターが沢山登場しますが驚くほど、1960年代後半から1970年代にかけてのハリウッド映画にエバンズ自身が関わっていているのが伝わり、有名映画のかなりコアなエピソードもいくつか映画前半に登場したりします。そして1970年代においてエバンズの公私ともに伝説となった大ヒット映画ある愛の詩 [Blu-ray]の成功と主演女優のアリ・マッグローとの結婚から、あっという間の離婚とその後の転落が語られるのですが、その中のエピソードで私が強く印象に残ったのは、エバンズの手に入れたハリウッドの屋敷を最も気に入って興奮した女性がアリ・マッグローだったんでは?な証言とドラッグで逮捕された1980年代に「贖罪のために」エバンズが知人を集めて起こしたTVでのイベントが後に世界的に話題になった「We are the world」にやたら似ていたって事でした。英国のライブエイドに触発された「We are the world」だったはずでは・・・が当時高校生だった私の主な感想だったんですが、それだけじゃあのようなパフォーマンスはなかったのかもしれません。映画中のTV番組映像見た限りでは、エバンズって年食ったバリー・マ二ロウみたいだなってのが強い印象で、当時バリー・マ二ロウ主催のチャリティと間違えて多額の寄付したヒト居たり(おそらく彼らは100%騙しているわけではないでしょうが、もやもやする事実かも)とか、顔が似ているバリー・マにロウに司会頼んだとか途中で入れ替わったしたりしていないだろうか・・・少しだけ気になりました。その後もTVのニュース番組でエバンズは現役のやり手映画人というより、プレイボーイの映画プロデューサーとして、当時のUSAのマダム層に取り囲まれてる姿が報道されております。

美しい花園のある瀟洒な邸宅・・・エバンズにとっては一体何の象徴なの?

エバンズは20代後半にハリウッドにある元大女優が所有していた(名前忘れました)屋敷に猛烈なまでに執着しており、後半は彼が自身の依存症治療の為に入院していた病院から脱走して自分の屋敷にたどり着いたエピソードが一番鮮烈です。それだけ彼が依存症に苦しんだ状況がひたすらに語られます。瀟洒な屋敷がイラストでも表現され、彼のラリった頭の中の幻想のように表現されますが、美しい影絵なのでロマンティック。彼にとって自宅は成功の象徴というより、いろいろ模索していた青年時代からやっと人生が定まった自己肯定の象徴だったのかもしれません、ひたすらに繊細でエレガントな花一杯の屋敷だったのでは。エバンズ自身とひたすらに冷静な態度の彼の息子のナレーションの掛け合いで映画はあっという間に終わるので、それほどまでに妻のアリ・マッグローがS・マックイーンの元に走ったのが彼にとっては大打撃だったのかが判るのですが、この20世紀史上ハリウッド映画界の歴史の中でも屈指のスキャンダルの真相の中身は映画ではまったく明らかにはされませんでした。とはいえエバンズ父子にとってはコッチが聞きたいわだっ、だとは思います。でも映画のエンディングにはジャック・ニコルソンやダスティ・ホフマンを始めとして、プロデューサーのエバンズを好きだった人々が沢山登場し、皆さんの心意気と応援ぶりがほほえましいと思いました・・・けど、やっぱり「どっちの味方」かで当時のハリウッドの男性陣の方々は揉めたりしたんでしょうか? 多少は。

 

 

緑の女 6 「ちはやふる」の広瀬すず他

 

ちはやふる 完全版【初回生産限定】 [Blu-ray]

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  • 出版社/メーカー: 東宝
  • 発売日: 2018/10/03
  • メディア: Blu-ray
 

 日本の四季を映す「緑」の映画

 もちろんここ数年の日本において青春映画の代表作であることは間違いないだろうし、ドラマチックな展開が魅力なのは当然なんですが、私的にはこの映画の色彩感覚のオリジナリティが傑出しているのに終始驚き感嘆した映画シリーズなんで、そこんとこを推したいのっ。日本映画ではcorona渦が起きた2020年までは高校生を主人公にした映画が数々のヒットを飛ばし、潜在的な映画の観客動員数を上げたり、主役級の役者や映画監督らの世代交代を後押ししてきた側面があります。その中でも「ちはやふる」シリーズは主役の広瀬すずや野村修平、松岡美優だけでなくTV、映画でも現在活躍中の若者たち(新田真剣佑上白石萌音矢本悠馬森永悠希、清原果耶ら)が本格的に顔見せになった作品と云って良いのではないでしょうか。で、「ちはやふる」にはそんな若者たちのキャラクターを表す為に何故だかイメージカラーのようなものが存在し、ロケ地撮影の風景と共に演出のポイントになっていました。私自身、映画鑑賞の記憶を振り返るとまるで呉服屋の娘である大江湊(上白石萌音)ちゃんの執念が全開したような錯覚を覚えるほどです。

 

綾瀬千早のイメージカラーは何と言っても「赤」

熱血かるた少女であるヒロイン千早(広瀬すず)のイメージカラーは赤、それも朱赤です。といってもちはやふる 上の句 [DVD]でも高校競技かるた全国大会の際に湊さんから「かるた大会でかるた部チームのユニフォームを着物と袴にして欲しい」というリクエストを聞き入れて彼女にかるた部全員がコーディネートされてしまったからではありますが。湊ちゃんのイメージカラーは卵の黄身みたいな黄色とえんじ色かな?彼女たちは二人とも実に日本の女学生って感じがします、着物の袴の色がえんじとかえび茶が多かったせいか、洋服が当たり前になった21世紀の女子高校生のジャージの色もえんじとかえび茶を踏襲したものが学校が多くなりがちです・・・なんで極めてリアルな表現なんですが、それを日本の色彩文化の豊かさとして提示しているのが新鮮に映りました。男子だと綿谷新(新田真剣佑)が白、西田優征(矢本悠馬)がまっ黄色、駒野勉(森永悠希)が青、そして千早のカルタの最大ライバル若宮詩織(松岡美優)は紫という具合です。んで、真島太一のイメージカラーは映画ではなんだか少しややこしい感じで演出されております。そしてついでに言うと漫画原作と違って真島太一こそ主人公として映画三部作はクローズアップされております。私は映画の上の句を観た段階で、映像はともかくお話の構成は1980年代のハリウッドの青春学園映画みたいだと思いました。

真島太一のイメージカラーは?

真島太一のイメージカラーも映画ポスターなどで見た限りでは「青」でよいだろうとは思われるのですが、何故だか太一に和服のイメージがあまりにも無い故に今イチ決まっていない気がします。敢えて言えば競技カルタ部のTシャツの浅黄色とかちはやふる ―結び― 通常版 Blu-ray&DVDセットで予備校講師でカルタ王の周防久志(賀来賢人)に太一がまとわりついていた時に着ていたダンガリーシャツの青のイメージかもしれません。太一の場合はイメージカラーというより「ちはやふる」全体を通して高校入学時に一番の成績だったという彼の矜持を示す為なのか、部活時の際着用しているTシャツのロゴが常に「Harvard」であったり「Hawaii University」だったのが強烈に印象づけられます。振り返ると机クンとあだ名された駒野くんはカルタ部に入部された時もコワくてたまらなかった気持ちは案外と深刻で、太一クンには気を遣っていたのかしらんとか、いろいろ想像してしまいます。太一くんにアドバイスする原田先生(國村隼)もそりゃあ悩むだろうなあ・・・って細かく考え始めるときりが無いです。新くんの悩みと比べるドラマチックで家族間の継承という側面が薄い所為もあるのに、よくここまでドラマ引っ張っていけたなあって思いました。家族間だとか世代間の継承、よりもさらに深く説得力のある青年の悩みを上手く描ける事が今までの日本の映画にはなかったんですが、今後はより観客に求められていくだろうなあ、大変・・・と考えると辛いっ。

映画館で観賞した時の思い出

以前にも書いたんですが、「上の句」を近所のシネコンで鑑賞した時に劇場は春休みの時期でもあり若いヒト達が大勢来ていて、比較的前の席でもチケットを取った時点では私の隣席は一人分しか空いていませんでした。そしたら映画始まる直前近くに一人男子中学生が私のようなオバサンとOLさんの二人連れの間の席に挟まって前めりに映画を見始めた姿に驚いたものです。彼はおそらくは映画を観るのは2回目以降と思われ、ひと目も気にせず映画に熱中していたと思われます。私自身は「上の句」ではストーリー以上にカルタ部が体力作りの為に登山する山の緑や初夏の山頂の霞がかった景色にかなりの感動を覚えまして競技カルタの熱血シーンや湊ちゃんの語る、日本の和歌に託した恋心や感情の起伏、それがパワーを産み出し言霊が可視化される瞬間を映画がかつてなくドラマティックに演出されていったのに感服しました。その時の男子中学生もかなり成長したでしょうから、熱血シーンや学園青春部分だけでなく、新緑に浮かぶ赤い鳥居だとか、福井の夕焼けのシーンだとか、日本の風景までが意図的にドラマティックに登場している(ドラマティックに・・・具体的にいえば風景が季節の移り変わりや土地の違いを明確にし、物語の時間や登場人物の心象風景まで観客に提示するという事です。上の句とちはやふる-下の句-は特にそう、最後の完結編はロケが東京が中心という以前に完全に太一のドラマに昇華している・・・別にそれは不満じゃないけど。)部分も堪能して立派な映画マニアになってくれることを期待しております。

 

 

 

トンデモ悪女伝説⑨ 「Wの悲劇」の薬師丸ひろ子

 

Wの悲劇 角川映画 THE BEST [Blu-ray]

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 80年代、特にバブル経済期の女の子の恋愛観を形成した映画

劇場公開が1985年で東京を中心として首都圏内の地価が高騰し始めた時代の日本映画で角川映画としても絶頂期を迎えていた時期だと思います。昭和の角川映画とは一体何だったのか?を考えると意見はいろいろ分かれるとは思いますが、もう一度男女のカップルで観に行ける日本映画を目指してたのかなぁ?って気がしてきました。もう少し幅広く言えば昭和30年代にあったような家族連れも呼べる映画とか。そうすると必然的に当時のTVドラマに近い路線を目指すようになります。んで角川映画と言っても配給だけではなく実質的には東映東宝等と組んで展開していたんで、日本映画の王道を行く為に一貫してサポートの役割を果たしていたって事になりますが。

 と云うワケで、この映画の薬師丸ひろ子が演じた舞台女優志望の20過ぎの女の子の登場は映画界のみならず、社会的にも大きなターニングポイントになっていると私考え始めています。

職場は舞台/ステージ、働く女性は皆「女優」

そして同時に日本の女優は「ありゃ外見は女だけど中身は男みたいなもん」といわれていたのが1980年中盤の男女雇用均等法前後の日本の社会の現状でした。ちなみに「いい女は女優たれ」と華麗にエレガントに強かに・・・とハッパを掛けていたのが当時の広告業界女性誌で、私の亡くなったシナリオの師匠を含め当時の映画ドラマ界の人々は女優なんてのは並みの男以上に働いて一人前で、「女優さんたちは夫じゃなくてシュフが欲しいんだよ」などと説明しておられました。そのうちに80年代後半にバラエティーアイドルと言われた山瀬まみさんが熱愛発覚と報じられた際に「交際発覚も芸の肥やし」と発言して話題になったりと・・・とにかく若い娘たちは徹底的に自分主導で恋愛やセックス体験を済まして果敢に大人になって世の中を渡っていかなければならない、んでそれをあばずれだの何だの非難するべきではないし、法律を犯しているのでなければ若い女性の自己責任に任せる、というのがコンセンサスになりました。んで「Wの悲劇」の映画の内容といおうか作品の骨子はほぼ上記の通りになっています、女性に関してはです。で、そうした若い女性たちのあり方を男たるのも甘受せよっ・・・つうか甘受せざるを得ないのよ残念だけどという主に男性側の悲しみが同時に描かれているので今どきの若者には観ていては辛いものがあるのやもしれません、でも観といてソンはない映画、当然!!よっ。

今でもTV等でよく観る方々の若い頃を観ると衝撃が走るかも

少し前にTVで「Wの悲劇」をやっていて有名なファーストシーンをなにげなく観ていたのですが、主人公の劇団研生の和辻摩子(薬師丸ひろ子)と先輩で劇団の看板俳優である五代淳(三田村邦彦)との逢瀬と情事が、地方公演で訪れた先のヨーロッ教会かと見紛う仕様の美術館で行われたというのが明らかにされる・・・というくだりに改めて震撼しました。今の私があれを観ると、その後の摩子の五代さんへの態度と五代さんの摩子さんに対するいらだちの態度に関しての見方がかなり変わってきてしまうのです。10代の時に「Wの悲劇」を観た際には五代さんが超絶いけすかないセクハラなプレイボーイにしか思えなかったのですが、五代さんが独身で一回り年齢が下の女の子にがちで振り回されている姿に・・・現在ではつい同情の念が沸いてしまいます。で、じゃあ摩子さんはもの凄いわがままなのかというと、彼女は他の劇団員(特に男性の劇団員)から「どうせ彼女処女だもんな」という相当な侮蔑の目線で評されている描写もあり、彼女自身が強力な競争社会に身を投じ、女優としての自己実現やシアワセの為にかなりの工夫とど根性で五代さんにアタックしたと推測がすぐになされるので、観客としても摩子さんを責めきれないのでありました。

それに比べれば五代さんの後に登場する森口昭夫(世良公則)との出会いと恋愛はもっと森口さんにとってはラッキーだったし、森口さんの言動の方が些か無神経過ぎないかっ?て気がしてます。「アタシ、女優なんだから」ってそりゃあ言われるわさ。

摩子の摩は磨かれる原石の摩、周囲との摩擦を呼ぶ摩

今の21世紀をむかえた時期だから気がつく視点でこの映画を鑑賞し直すと、他にも細かい台詞やシーンのてんこもりです。1985年の日本の文化、いわゆるソフトパワー業界の縄張り意識のものすごさ、各ジャンルのリーダー集団の人々の他のジャンルに対する偏見の凄さが伝わってくる、思わず時代の人々の意識の移り変わりだとかポリコレなどを考えるともうコレは不可だからやっちゃ駄目という自分への戒めとして心得ておこうと思います。んで、よく考えてみたら私は「Wの悲劇」を観た時点で大学に進学していまして大学の図書館だとか教科書の著者の南博先生という専門課程の学問では大御所といわれるお方を存じ上げていてもよかったのですが・・・まったくナニも知らずに看板女優の羽鳥翔(三田佳子)が劇団の先輩女優(南美江)に向かって「女、使いませんでしたか?」とゆう恐ろしい台詞をいっているシーンをただぼんやり観ておりました。今思うと当時の芸能スキャンダルとか不倫の噂だとかをそのまんま当てこすって芝居にする日本の芸能界の風習というか事情をよく知らなかったので・・・苗字も一緒なのに正式の夫婦と認めずに長年不倫略奪カップルって言い張る世間の一部にいる意地悪な人々って酷いなって思います。それから実はとても大事なことですが、夏木静子の傑作推理小説である筈のWの悲劇 (光文社文庫)は映画の中の摩子さんが主演を努める劇中劇として登場するのであって原作を映画化するというよりタイトル借りただけであり、極めつきは五代の「あんなのおばちゃん達が観る芝居ですよ」という暴言ともいえる台詞の存在ですね。いかに当時の日本のエンターテイメント界、日本の文化人達のセクト主義が増大しきっていてどいつもこいつも図々しいやつらばっかりだったのかと呆れてしまいます。おかげで私は二回も同じような事書いてしまいました。それでも映画はやっぱり面白いので気に入ったヒトはシナリオWの悲劇 (角川文庫 緑 445-99)を小説とは別物として読んでもいいかも。それにしても後にTVの二時間推理ドラマで「Wの悲劇」を挑戦するスタッフたちは苦労したのではと心配になっちゃったよなあ。昨今では日本人以外のコンテンツ消費者も「推理劇Wの悲劇の悲劇」の経緯を知る事があったりするんでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

しょくぎょうふじんの映画 10 「隠し剣 鬼の爪」の松たか子と高島礼子

 

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  • 出版社/メーカー: SHOCHIKU Co.,Ltd.(SH)(D)
  • 発売日: 2010/12/23
  • メディア: Blu-ray
 

山田洋次監督の本当の凄さは、思いきりAMERICAN♡

 山田洋次によるたそがれ清兵衛 [Blu-ray]の大ヒットは日本映画にとっては快挙なのかもしれません、だけど劇場公開当時の私にとっては同人活動していたシナリオ修行時代のデスゲームの思い出、苦痛の方がより忘れられません。おかげで私はホントに藤沢周平がキライになりそうになったのよっ。あと藤沢周平の代表作と評判の蝉しぐれ プレミアム・エディション [DVD](題名を一時忘れてしまい検索にも登場せず呆然とした時がありました。記憶にあるのは確か宝塚のどっかの組で劇化されたなよなって事だけを頼りにチャレンジしたらアマゾンから出てきた)を何よりも映像化しやすいのにってコメントを読んだ際にわき出た私自身の違和感が、より山田洋次監督への個人的なリスペクトへ繋がってしまうのでした。後に東山紀之主演で映画化された小川の辺 【初回限定版】 [DVD]てゆう短編小説を一時間のTVドラマで脚色しろってシナリオの師匠からのリクエストで時代劇研究会の同人メンバーが一斉に脚本にしたんですけど、そりゃあキツかったのよ😥。

永久就職としての結婚、解雇される嫁とお家再建にかける嫁

「隠し剣鬼の爪」も藤沢周平の短編を3本選択して映画にしています。で、藤沢周平の連作短編シリーズである「海坂藩」ものとはあくまでも別個の3本なのも「たそがれ清兵衛」とは違う点です。ちなみに亡くなった時代研での私の師匠はかの巨匠山田洋次に対しても容赦なく駄目だしをしていて(若干年齢が年上だった事と山田監督自身が幼少期は大陸で育って引き上げてきた経験有り等の経歴をある程度知った上での推論もあったと思いますが)「たそがれ清兵衛」の次作である「隠し剣鬼の爪」に関してはテーマ主義に走っていて映画の結末を逆算して脚本を構成したのが失敗という判断でありました。その師匠の発言時には私は「隠し剣」の方を観ていなかったんでふーんと感じただけでしたが、ある日TVの放映(地上波かCS放送ノーカット版かは忘れたんですけど)で観て、私は「たそがれ清兵衛」よか「隠し剣鬼の爪」方が好きだし、たそがれ清兵衛で不満だった所が払拭されてんじゃんかって感想を強く持ちました。特に高島礼子が演じた侍の妻の役の描き方とかが凄いのさ、びっくり。ヒロインの百姓出身のきえ(松たか子)が片岡宗蔵(永瀬正敏)の実家に嫁入り修行していた後に商家へ嫁ぎ、嫁ぎ先から「使えない嫁」として追い出される姿と対比されることにより日本人の結婚観のある種の典型が垣間見られるのも興味深いです・・・不快でも一見の価値はあります。その点でも「だそがれ清兵衛」より出来は上だと思う。

観る人には好きな香り選んでぇ~WOW WOW♫

 昭和の映画脚本家たちにとっての「テーマ主義」とは主に結末を決めてから逆算して脚本を作る事であって(しかも原作小説の結末に忠実とも一切関係なくやらねばならなくなる事態に陥るが当時の映画製作には多かった)、いわゆるGlobalな基準のテーマ主義とは少し違います。藤沢周平の海坂藩サーガともいうべき秘剣シリーズとそうでない短編小説ともごっちゃになりやすい事も有り、主人公片岡のラストの判断は師匠にはそうとう納得いかなかったのかも。ちなみに師匠は自分がある雄藩の家老職の子孫だったせいか、武士の身分を捨てるという主人公の判断に嫌悪感といおうか、無責任な行動だと考えたみたい。けどそこのところが私の解釈だと、片岡宗蔵って江戸期のスパイ及び謀殺指命を受けた者で彼の決断はあくまでもサバイバル活動じゃないかと感じたもんです、重厚でリアルなスパイ映画時代劇で良いんじゃないのかなあ?駄目なのかって鑑賞した直後に思いました。私には「たそがれ清兵衛」はちょっとだけ野蛮な西部劇で「隠し剣鬼の爪」の方はもう少し都会的なスパイものの印象なんですよね。日本の時代劇にはハリウッド映画並みのプログラムピクチャーに該当する傾向がありまして、山田洋二監督の藤沢周平原作映画にはその流れがキチンとあります。他の藤沢周平時代劇映画でもその傾向がある作品もあろうこととは思います、が・・・そういうのは嫌なのキライってタイプの日本の観客に合わせた映画が多かった印象があります、詳しく映画観ていないので印象だけです、印象っ。

 出かけるわぁ~コンサートにぃ♫今自由に、ヴァケイショ~ン♫

私の子供から思春期、青年期の時代で(1970年~90年代半ばにかけて)山田洋二監督の映画というと、寅さんシリーズで一人勝ちというイメージが強かったです・・・といおうか振り返って考えると驚異的ですらあります。でも正直どんな映画なのか、未だに私にはよく判りません。あと、寅さんって当初はTVドラマで、妹のさくら役は長山藍子さんだったんです。現在私の主に年下世代の男性の寅さんシリーズマニアが増えているそうなんですが、特に1980年代の若者層の寅さんシリーズの嫌い方を記憶している人間には時代の流れを感じます。1970年代に家族で寅さん映画を映画館で観に行っていた人々がいましたが、そのパワーメントは結構スゴかったんだね。