トンデモ悪女伝説⑨ 「Wの悲劇」の薬師丸ひろ子

 

Wの悲劇 角川映画 THE BEST [Blu-ray]

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 80年代、特にバブル経済期の女の子の恋愛観を形成した映画

劇場公開が1985年で東京を中心として首都圏内の地価が高騰し始めた時代の日本映画で角川映画としても絶頂期を迎えていた時期だと思います。昭和の角川映画とは一体何だったのか?を考えると意見はいろいろ分かれるとは思いますが、もう一度男女のカップルで観に行ける日本映画を目指してたのかなぁ?って気がしてきました。もう少し幅広く言えば昭和30年代にあったような家族連れも呼べる映画とか。そうすると必然的に当時のTVドラマに近い路線を目指すようになります。んで角川映画と言っても配給だけではなく実質的には東映東宝等と組んで展開していたんで、日本映画の王道を行く為に一貫してサポートの役割を果たしていたって事になりますが。

 と云うワケで、この映画の薬師丸ひろ子が演じた舞台女優志望の20過ぎの女の子の登場は映画界のみならず、社会的にも大きなターニングポイントになっていると私考え始めています。

職場は舞台/ステージ、働く女性は皆「女優」

そして同時に日本の女優は「ありゃ外見は女だけど中身は男みたいなもん」といわれていたのが1980年中盤の男女雇用均等法前後の日本の社会の現状でした。ちなみに「いい女は女優たれ」と華麗にエレガントに強かに・・・とハッパを掛けていたのが当時の広告業界女性誌で、私の亡くなったシナリオの師匠を含め当時の映画ドラマ界の人々は女優なんてのは並みの男以上に働いて一人前で、「女優さんたちは夫じゃなくてシュフが欲しいんだよ」などと説明しておられました。そのうちに80年代後半にバラエティーアイドルと言われた山瀬まみさんが熱愛発覚と報じられた際に「交際発覚も芸の肥やし」と発言して話題になったりと・・・とにかく若い娘たちは徹底的に自分主導で恋愛やセックス体験を済まして果敢に大人になって世の中を渡っていかなければならない、んでそれをあばずれだの何だの非難するべきではないし、法律を犯しているのでなければ若い女性の自己責任に任せる、というのがコンセンサスになりました。んで「Wの悲劇」の映画の内容といおうか作品の骨子はほぼ上記の通りになっています、女性に関してはです。で、そうした若い女性たちのあり方を男たるのも甘受せよっ・・・つうか甘受せざるを得ないのよ残念だけどという主に男性側の悲しみが同時に描かれているので今どきの若者には観ていては辛いものがあるのやもしれません、でも観といてソンはない映画、当然!!よっ。

今でもTV等でよく観る方々の若い頃を観ると衝撃が走るかも

少し前にTVで「Wの悲劇」をやっていて有名なファーストシーンをなにげなく観ていたのですが、主人公の劇団研生の和辻摩子(薬師丸ひろ子)と先輩で劇団の看板俳優である五代淳(三田村邦彦)との逢瀬と情事が、地方公演で訪れた先のヨーロッ教会かと見紛う仕様の美術館で行われたというのが明らかにされる・・・というくだりに改めて震撼しました。今の私があれを観ると、その後の摩子の五代さんへの態度と五代さんの摩子さんに対するいらだちの態度に関しての見方がかなり変わってきてしまうのです。10代の時に「Wの悲劇」を観た際には五代さんが超絶いけすかないセクハラなプレイボーイにしか思えなかったのですが、五代さんが独身で一回り年齢が下の女の子にがちで振り回されている姿に・・・現在ではつい同情の念が沸いてしまいます。で、じゃあ摩子さんはもの凄いわがままなのかというと、彼女は他の劇団員(特に男性の劇団員)から「どうせ彼女処女だもんな」という相当な侮蔑の目線で評されている描写もあり、彼女自身が強力な競争社会に身を投じ、女優としての自己実現やシアワセの為にかなりの工夫とど根性で五代さんにアタックしたと推測がすぐになされるので、観客としても摩子さんを責めきれないのでありました。

それに比べれば五代さんの後に登場する森口昭夫(世良公則)との出会いと恋愛はもっと森口さんにとってはラッキーだったし、森口さんの言動の方が些か無神経過ぎないかっ?て気がしてます。「アタシ、女優なんだから」ってそりゃあ言われるわさ。

摩子の摩は磨かれる原石の摩、周囲との摩擦を呼ぶ摩

今の21世紀をむかえた時期だから気がつく視点でこの映画を鑑賞し直すと、他にも細かい台詞やシーンのてんこもりです。1985年の日本の文化、いわゆるソフトパワー業界の縄張り意識のものすごさ、各ジャンルのリーダー集団の人々の他のジャンルに対する偏見の凄さが伝わってくる、思わず時代の人々の意識の移り変わりだとかポリコレなどを考えるともうコレは不可だからやっちゃ駄目という自分への戒めとして心得ておこうと思います。んで、よく考えてみたら私は「Wの悲劇」を観た時点で大学に進学していまして大学の図書館だとか教科書の著者の南博先生という専門課程の学問では大御所といわれるお方を存じ上げていてもよかったのですが・・・まったくナニも知らずに看板女優の羽鳥翔(三田佳子)が劇団の先輩女優(南美江)に向かって「女、使いませんでしたか?」とゆう恐ろしい台詞をいっているシーンをただぼんやり観ておりました。今思うと当時の芸能スキャンダルとか不倫の噂だとかをそのまんま当てこすって芝居にする日本の芸能界の風習というか事情をよく知らなかったので・・・苗字も一緒なのに正式の夫婦と認めずに長年不倫略奪カップルって言い張る世間の一部にいる意地悪な人々って酷いなって思います。それから実はとても大事なことですが、夏木静子の傑作推理小説である筈のWの悲劇 (光文社文庫)は映画の中の摩子さんが主演を努める劇中劇として登場するのであって原作を映画化するというよりタイトル借りただけであり、極めつきは五代の「あんなのおばちゃん達が観る芝居ですよ」という暴言ともいえる台詞の存在ですね。いかに当時の日本のエンターテイメント界、日本の文化人達のセクト主義が増大しきっていてどいつもこいつも図々しいやつらばっかりだったのかと呆れてしまいます。おかげで私は二回も同じような事書いてしまいました。それでも映画はやっぱり面白いので気に入ったヒトはシナリオWの悲劇 (角川文庫 緑 445-99)を小説とは別物として読んでもいいかも。それにしても後にTVの二時間推理ドラマで「Wの悲劇」を挑戦するスタッフたちは苦労したのではと心配になっちゃったよなあ。昨今では日本人以外のコンテンツ消費者も「推理劇Wの悲劇の悲劇」の経緯を知る事があったりするんでしょうか。