未だに邦題のあり方に揉めてる名作映画ですが
邦題の付け方としては最上の部類に入ると私自身は公開当初から思っていたんで何故に大揉めしたのかが今ひとつ理解出来ません。一つには男女の間に友情が存在するか否かの議論がこの映画登場以後日日本中に広がった所為もあるのでしょう。それも踏まえるとますます「恋人達の予感」でいいじゃないって確信が近年増しています。ちなみに「When Harry met Sally」って原題についていえば、私には未見の映画なんですがジョンとメリー [DVD]というのがあり、もうHarry mets Sally ってのは出来ないから when と met もつけとけってゆう当時のスタッフの妥協案だった気がしています。
劇場公開から30数年、日本の映画鑑賞環境、一部の観客の態度の硬化ぶりが心配になるリトマス試験紙かも。
ネットでは一般の映画ファンによる講評ページが中心になってソレを参考にDVDだとか配信を選び視聴する習慣になっている方も多いかと思います。「恋人たちの予感」の日本公開は1988年、当時としては異例の2ヶ月の長期ロードショーを果たし、映画の有名になったハリーとサリーがランチをしたNYのカッツデリカテッセンは世界的な観光スポットに。制作スタッフもその後の1990年代ハリウッド映画を代表する映画人達(監督のロブ・ライナー、撮影のバリー・ソネンフィールド、そしてこの映画の最大の功労者にして先年惜しくも亡くなった脚本のノーラ・エフロン)がそろい私はイマ観ても話も映像もテンポの古さを感じません・・・が、現在の3/40代、50代の公開当時やその後の幾度となく繰り返されるTV放送をも観ることなく映画「恋人たちの予感」をスルーしていたと思われる方々のレビュー内容はかなり冷淡なもので、公開当時も現在もおそらく独身の彼らにとっては理解しがたいあるいはどうも熱狂しがたい婚活教材になってしまったんだという驚きがありました。しかしながら私の物心つく頃から、社会現象になるまで大ヒットしたハリウッドの恋愛映画といえば、タイタニック(2枚組) [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]やある愛の詩 デジタル・リマスター版 50th アニバーサリー・エディション [Blu-ray]と並ぶ作品なのが「恋人たちの予感」。ついでに言うとローマの休日 デジタル・リマスター版 ブルーレイ・コレクターズ・エディション(初回生産限定) [Blu-ray]も含めて、カップルが別離せずにくっついたまんまエンドマークを迎えた映画は「恋人たちの予感」だけ。んで、婚活中のベテランシングル達にはサリーとハリーはハッピーであると認識していないなって予感が彼らのレビューコメントを読んでつい頭の中をよぎりました。
男女の間に友情はあるか?・・・をしつこく問いかける日本人
「恋人達の予感」ってタイトルを掲げているんだからさ、って私1990年代間中もずっと思ってたんですが。この映画のヒットのおかげで「男女の間に友情は存在するか」な話題が女性雑誌の対談や恋愛コラムをはじめ、日本の未婚男女の飲み会でも多々繰り広げて20世紀を終了したのが日本の婚活事情でした。それよか男女交際とは何時の段階でスタートするのかという課題にせめてシフトしろよって気がします。だいたい映画の脚本構成の骨子がアナタとアナタはどの段階で恋愛に至ったのか」というプロセスを説明する、という形で成立しており、ハリーとサリーだけでなく当時の米国におけるアジア系やヨーロッパ系のシニア層の夫婦のなれそめのインタビューが入っているのです。監督のロブ・ライナーは「似非ドキュメンタリー」というジャンルを確立して有名になったヒトなんで「恋人達の予感」でも堂々と採用できたんではないでしょうか。映画を鑑賞し終わった後、どこの国のヒトでも「出会いって困難を極めるもので、お見合いでさえ貴重でドキドキするものなんだなあ、在る意味自由恋愛よりも幸運な場合がある」という感想を持つのではないでしょうか、特に男性陣はっ。
ハリーが「自分に女友達ができた」事実に驚いて周囲に触れ回る不可思議
そうです、同じハリーでもハリー・ポッターと賢者の石 (吹替版)の主人公ハリー・ポッター(ダニー・ラドクリフ)が同級生のハーマイオニー(エマ・ワトソン)と仲良くなるのは当たり前なのに。でもC・イーストウッドのハリー・キャラハンがダーティハリー3 [Blu-ray]に登場する女性警官のタイン・デイリーと戸惑いながらタッグを組むのは1970年代後半だし各々各々のハリーには三者三様ごとの時代状況や世代の違いはあるのでしょうが。で、「恋人達の予感」のハリー(ビリー・クリスタル)とサリー(メグ・ライアン)が始めて出会うのは1977年。互いに卒業間近のシカゴ大学から一緒にNYへ引っ越しに行く為の長期ドライブです。ハリーには大学に後輩の彼女を残しサリーはハリーの友人の彼女、だから相互扶助のパートナーとして対峙する。彼らは決して同い年ではありません(修士や博士課程か学卒かで考慮しても)ハリーの方が5歳以上は年上のはず。そして次に彼らが出会うのは1982年のNYでハリーはサリーと友人の彼氏に大学時代からの彼女と婚約が決まった事を半ば自慢しサリーに不興を買います。三回目は1987年でハリーは離婚直後、サリーは彼氏との関係が自然消滅の危機に直面・・・ここいらへんからようやくハリーとサリーは互いに落ち着いて話し合おうという態度に徐々に言動が変化していきます。それまでの彼らの会話は互いに一方的、NY行きのドライブの間でも好きな映画の話題で揉めて、サリーの有名な台詞「カサブランカのバーグマンがボガードと別れたのは飲み屋の奥さんになりたくなかったから」が登場するのでした。サリーという女は一貫してクソ生意気と思うか機知に富んで面白いコだと思うかで男性の評価が分かれるタイプ。1980年代の米国であっても(もしくは現在でも)ひょっとするとサリーのような女性は男性の方から言い寄られて交際を始めるのがあまり無いのかもしれません、特に年齢が若い段階では。
1987年から1988年にかけてハリーとサリーは友達としてデートをひたすら重ね、その間にサリーの元恋人が結婚しても、ハリーとサリーが1987年に再会時大げんかを始めた時に一緒にいた双方の友人(キャリー・フィッシャーとブルーノ・カービー)がその後に電撃結婚しても、気にせずにダラダラと一緒に食事したりお喋りを続けます。その間ハリーは一貫して「女友達が自分に出来たという事に驚いている、一緒に散歩して歩いているだけで楽しい、セックスしたいと思う暇がない」のような内容を男の仲間に言って回るのです。要するにハリーは話しているだけで楽しくかつ自分に拮抗する知性や力を持った女性にはセックスアピールを感じないと考えているみたい・・・映画公開当初から現在でも男女の間に友情は存在するか?という議論がひたすらに白熱する日本では女性に異性を感じない男性こそずーっと増加傾向なのかもしれません。
ハッピーエンドな恋愛映画を望むなら・・・ラストは?が常道か
それは「恋人達の予感」が良いお手本になります。日本では2000年代に冬のソナタ 総集編~私のポラリスを探して~ DVD BOXのヒット以降、男女がイチャイチャする場面がかなり長くないと面白がらない人々が続出し、ハリウッド的な緊張感のある男女のデートや丁々発止なんて興味無い独身男女が一斉に韓国映画やドラマによりシフトしていきました。ハリウッドやフランス映画等の男女は日本の人々には互いに自己主張が強いもしくはセックスの予感が強すぎるのかもしれません。が、「幸せなカップルが劇的に別れる過程を描くのが恋愛ものの醍醐味でしょぅ」の趣味が強い製作陣からすると、韓国に多いタイプの恋愛ドラマやlove comedyは結末でひっくり返るリスクが高いという事も抑えておきましょう。「告白と承諾」のシーンはダブルミーニングも可能なので双方のグループ揉めたときに落としどころとして便利かもしれません。