法螺あぁぁーな女 ③ 「トウキョウ ソナタ」の小泉今日子と井川遥

 

トウキョウソナタ [DVD]

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 怖いか? っつたら怖くないかも・・・でも怖くないかっ、といったら結構怖い

 とにかく日本映画は「リアル描写やり過ぎるとホラー映画化する」と考えている私です。で、その手のリアルやり過ぎてホラー化しちゃった映画の中でも別格に有名なのが世界のクロサワの天国と地獄[東宝DVD名作セレクション]でしょう。アレ観たヒトは映画の序盤からめまぐるしく展開し、やっと見えない犯人に辿り着いたと思ったら、いきなり横浜の黄金町界隈が「ゾンビ空間」になっているのに遭遇するので思わず怖くて事件解決とかどうでも良くなっちゃうとか思い出してくれますよね。公開当時はヒロポン覚せい剤)の恐ろしさが叫ばれている頃だったんでつい勢い余ってやり過ぎちゃっただけなんでしょうけど。(あんまり怖いとヒトによって怖がるより怒り出すことがあるもんで<あの頃映画> 砂の器 デジタルリマスター版 [DVD]は好きだけど「天国と地獄」はあんまり好きじゃないとかいうミステリマニアな女の人いるくらいだもんね)ただ現在は21世紀なのでやり過ぎてホラー・・・を確信犯で生み出すといおうか「普通の映画のふりして実はホラー」みたいなのもあるやもしれません。この「トウキョウソナタ」の場合一番怖かったのは、むしろ何気なく観たワイドショーで小泉今日子主演でカンヌ映画祭で映画賞もらったてんで紹介されているのに、集まった芸能リポーター達が非常に怯えていて脇役で出演したアンジャッシュのヒトにしかインタビューしようとしない、という場面に出くわしたからで、なんで? とよく観たら小泉今日子井川遥が一緒に出ているらしいという事実に気が付いた時でした・・・それって怖い。そういやまだ近作の日本映画自体に慣れていなくて、日本発のサイコホラーというだけでエグそうだと考えていた頃、「CURE」が公開されて、主人公の友人で精神科医役をうじきつよし氏が演るということが判明するまで一瞬でも観てみようと考えて止めたコトを思い出しました。なので当初は鑑賞NG、ようやくここへきて決死の思いで観てみました。

リアルなトウキョウ? ・・・よく考えてみたら突っ込みどころ満載のはずなのに

 なにせ主人公の佐々木夫婦(香川照之小泉今日子)の長男貴(小柳友)が米国の外人部隊に入隊するというとりあえず現代日本ではありえない設定を「ヘンだろそれ」と真っ先に指摘する人間がいなかったもんね公開当初は。すごーく日常的な描写が続くのになにか現実の日本の東京とは違う異世界ちっくなズレを感じるのだっ。なんだか「ガイジンから観た日本」みたいなのか?と思ったら脚本のマックス・マニックスという人は在日10数年の経験があるオーストラリアの方なんだとか、へぇー。確かに日本社会ってこうゆう所があるんだろうけど、なにか「デフォルメ」されてる感じ。・・・まそれだってフィクションなんだから当たり前なんだけど「トウキョウソナタ」にはその他の日本のホームドラマ映画とは違った「トウキョウの掟」が存在してる。で、それを次でご紹介します、ホントはこんな短いブログで説明するのは無理だけど。

その①「トウキョウ」で失業すると、「ゾンビ」と化す野郎が存在する

 まずお話は佐々木家の父(香川照之)が上場企業の総務部のリストラに遭い失職するところから始まります。妻や子供に自分が会社リストラされたと知られたくないので、毎日背広にネクタイ絞めて職安に出かけてお昼代も節約して公園の炊き出しのおつゆでガマンする。炊き出しにはホームレスだけではなくサラリーマン風の男たちも一杯、あろうことか高校時代の友人で同様にリストラされた黒須(津田寛治)にも再会して黒須の家族への偽装の協力までしなくちゃいけない。ここでは炊き出しを求める集団や職がなくてふらふらと歩く佐々木父や黒須、あと次男健二(井之脇海)のクラス担任で健二の発言のせいで学級崩壊の危機に直面する小林(児島一哉)とか、どこかでこいつら見たような、そうだ! 昔プレステで見たバイオハザードのゾンビがいっぱいいる!だったのであります。私以前から「バイオハザード」CMとか観るたびにいくらジャパニーズ・ホラーといったって平たい顔族の日本人にはゾンビは無理、憧れちゃうよね~と勝手にホラーファンの心情に思いをはせていたのですが、本家「ゾンビ」のロメロ監督作のバイオハザードのCMや肝心のミラ・ジョヴォヴィッチバイオハザード (字幕版)にはゲームのバイオハザードぽさが微塵も感じられないのが不思議でしょうがなかったもんです。で、香川照之が怒りに駆られてゴミをスイングするように蹴散らしている姿に、こんな所にプレステのバイオハザードがあったなんて!という衝撃を受けたのさ。映画鑑賞前にTV放送の予告編をやっててそのシーンが抜き出されて初めて「怖いもの見たさ」の興味がわいてきたのだよ。

その②「トウキョウ」では男女の役割分担がはっきりしてる・・・無茶なくらいに

 失業男性は家の外へ出てゾンビ化するのにも関わらす、この映画に出てくる女性達がゾンビになることはまずありません。もしそうなると黒須さんトコのように夫婦無理心中てことになっちまうからなんでしょうか? 家の中一人ぼっちで不安な気持ちなのに佐々木母(小泉今日子)は夜ソファーに寝っころがって「誰か私を引っ張って~」とか呟くのですが、キョンキョンなら他人の力借りなくとも一人で充分キョンシーやれそうな気がしないでもないですがね。(それとも何故に日本の父親は妻とか子供に引っ張って起こしてもらおうとするのか謎、っていう暗示なのか(笑))対して井川遥が演じるのは健二が親に黙ってピアノを習う教室を開いている金子先生という役柄で彼女は子供無で離婚が成立したばかり。このへんは特に健二君に感情移入できた時点で小泉今日子井川遥が二人交互に登場するの、意図が明らかっていうか、あからさま過ぎるカンジもしますね。それで現代の日本の観客は観ると却って恐慌をきたすっていうことかい。そんでもって佐々木父を代表とする男たちの世界では男女の役割分担はっきり=男はよりマッチョを極めようとして更に暴走していく。長男は頭丸めて兵隊になりに渡米するわ弟の健二は父の怒りを買って二階の階段からパタリロみたいにすべり落ちてくるわ(どうやって階段からすべり落ちてこれるんだと思った時とっさに浮かんだ)健二の友達の同級生(皆木勇紀)なんか「お父さんに怒られる~」と叫びながら万引きした店の店長たちに追いかけられてるわ・・・(どさくさにまぎれて役所広司も強盗にやってくるし)みんな無茶し過ぎだよ。現実は明らかに見た目小学生なら無賃乗車で捕まって黙秘を通したとしても「大人と一緒に留置場」になんて気の利いたことを日本の警察しそうもないし(・・・と思うんだけどな)、佐々木父も再就職先としてゾンビの聖地(ショッピングセンターね、昔「ゾンビ完全版」の予告篇だけ観たことあるからそれぐらいは知ってる♪)へと追いやられたけど、職場の先輩のオジサン(でんでん)とか意外と生き生き働いてたよ、そんな焦んなくてもいいのにぃ。・・・でも家族はどんどんテンパっていって、ある瞬間で憑き物が落ちたように平穏な日常に落ち着くのさ。なんだか知らないけど、文字通りバイオハザード(伝染病や未知の細菌、自然生態の変異による災害)が蔓延していたのが終息迎えたみたいだ。

その③ 実は「過去の名作ホームドラマ」のルーティンで構築された世界、か?

(この決めつけだとあんまりだわと怒るヒトいそうなので東スポ風にしてみました)けど、決して悪口じゃないんですが。で、ラストではいきなり健二君が音大の中学の(おそらく入学できて)ピアノ実技試験をやるので両親が試験場に駆けつけて演奏を聴く、という場面で終わります。この映画台詞で「小学校卒業まであと3か月」とか、3時間前というテロップが入ったりするシーンがあるので、それを頼りになんとか時間経過が判るというか、ピアノを弾く健二君自身も少し大きくなってから撮影されているようです。日常的な出来事を描くのがホームドラマだとすると、一番ネックになるのが「時間の経過」ってやつでしてごく最近でも一つの家族映画を撮るのに12年間かけたとか話題になったばっかりですよね。特に日本は四季があるので昔の小津映画のように「9月末ぐらいから翌年4~5月ぐらいに時間すっ飛ばす」という適当なことが結構お約束=ルーティーであったりしたのでした。最後の最後に強盗が飛び込むとか、大金を拾ってテンパったあげくにひき逃げされるとか、いきなりボンボンエピソードを放り込むのも拗れきった家族の間の感情の相克が解けていく時間と手間を短縮するために割とよく使われる手だったりする(笑)・・・70年代のカサヴェデスの映画や日本のTVドラマでも山田太一作品じゃ定番であったのですよ。でも馬鹿にしちゃいけない、だってこうゆうことは案外現実の世界でも聞くことあるからさ。(現実はフィクションのようにはいかないというヒトも多いですが、フィクションのようにいかないケースは「家族崩壊、一方的離散」という形で可視化されるだけ、ということも言えます)ルーティーンで構築されたホームドラマというのはまた「価値観が古ーい」と突っ込みが入りやすいタイプのジャンルでもあるんですが、「トウキョウソナタ」が凄いところというか、おっかないところは小泉今日子の母親に対して「そんなに不安ならパート勤めでもすりゃ気分晴れるのに」あるいは離婚した井川遥バツイチ女性に「アンタいくら女一人ったって自宅でピアノ教えるだけで食えるわけ?」というような突っ込みを皆さんなかなか(特に女性の方々)しなかった点でしょう。ピアノの演奏を見つめる母親がほぼすっぴんに近いのっぺり顔なのに対し、ピアノ教師の方はそれまでの「ナチュラルメイク」からいきなりクレオパトラのようなアイメイクに代わっているのでぎょっとします。資本主義の本場、ハリウッド映画のお約束だとクレオパトラのようなアイメイクして登場する女性は「後々マンハントします」宣言であることが多いですが、「女性は控えめに自己主張してほしい♡」願う男女の役割分担は明確であれの日本映画の世界だと、「女の人が経済的に自立すると男は必要なくなる」というモードに何故だか女性自身が切り替わってしまうという傾向を「ルーティーン」ではっきり表している場面になるので、それがとにかくリアル過ぎてシュンとしちゃうからでしょう。21世紀に入って新たに「世界のクロサワ」と呼ばれている御仁が撮った映画なので、こういうことさえ「想定の範囲内」でやったのか、それとも勢い余ってこんなんになっちゃったのかまでは私よく判んなかったです。あまりにも「これも計算のウチ?」と邪推しすぎると、ホームドラマがゾンビ化したみたいな映画もしくはホームドラマの形を借りて「ノーメイクでやる本格的なゾンビ映画」がヤリタカッタのか?・・・などと、どこまでもあまりに失礼な考えばかりが浮かぶ自分自身が怖いのでとっとと終わりにしましょう。