法螺あぁぁーな女 ④ 「ゆれる」の真木ようこ

 

ゆれる [DVD]

ゆれる [DVD]

 

 怖いを通り越して「怒り出す野郎」が続出した・・・事件というかエポックというか

 えーっと、ちょっと前に流行ったんですけど「ジェネレーションX」てゆう単語を覚えていらっしゃる方おりませんか? アタシつい最近まで「なんじゃそりゃ、かのメリケンではそんな世代の分け方があるのかい、でもうち(日本)の方ではカンケ―ないわさ」とタカをくくっておりました。1966~75年に生まれた人間を「X」というんだそうでその前の1956~65年生まれはかの「ベビー・ブーマー」というんだそうだ。でもこれ、どうやらグローバル的に「適切な世代間」の分け方らしい・・・ということを私はこの映画で学んだのだった。平たくいうと、65年生まれ以前の男性映画ファンや関係者はおおむねこの映画大嫌いで、66年以降生まれのオトコ連中には(女流映画監督作品の中でも)かなり評価が高い、そういうことですね。どうしても好きになれなかったタイプがこの映画についてdisる際に「女の監督のクセにどうして女の登場人物をきちんと描こうとしないんだ」とまで言ってたみたいです。私自身は評判になってプロットの説明を受けた時に「一体何がやりたい映画なんだ?」としか思わず、ウチの師匠(故下飯坂菊馬)が聞いたら、即「こんなプロットは映画として成立しないから「ペペル・モコ」でも観てイチからやり直せ」と断定されるんじゃないかしらん(笑)、とかね。で、観てみたんですが、オンナが撮った「文芸ちっくなヴァイオレンス」だった、かなりの掟破り。なんたってあのサマリア [DVD]の女子高生はラブホの二階から落ちても「あんなとこから落ちて死ぬわけないだろー」と突っ込みを入れられますが、橋から転げ落ちてあっという間に死んでしまう真木ようこの場合だと「川、浅瀬がたくさんありそうだし、それに日本のインフラは優秀だからそんなには揺れないじゃんか橋」という突っ込みできないもんね。・・・それって何故かというとあの時の真木ようこは発作的に自殺したっていう示唆が映画できちんと示されているからだよ。

「橋」というのは日本人にとって「男女の間をつなぐ」もの

 ・・・みたいだよ。当時30超えたばかりの女流監督がそのヘンをどこまで意識して「不安定なつり橋」という設定を作ったのかは知らないけど。ただこの映画観た男子の方たちまず心理学における「恋のつり橋理論」を想起するんでしょうけど、ソレ思いっきりぶっ飛ばしてヒロインを消してしまった。よっぽど何かに怒っている女性でないとこうは作らないような気がする・・・。(ガメラ 大怪獣空中決戦の時のガメラなんて伊原剛志中山忍をくっつけようと気を使ったのか、橋は壊さないようにギャオスと戦って消耗してたのと比べてもとんでもない破壊力さ・・・あ、でもいい加減ストーリーを紹介しよう)主人公は東京でカメラマンをやっている早川猛(オダギリジョー)、母親の葬式に故郷の山梨へ帰ると実家でやってるガソリンスタンドで自分の元恋人で幼馴染の智恵子(真木よう子)が働いているのを知る。ガソリンスタンドは猛の兄稔(香川照之)が取り仕切っていて智恵子とも仲が良さそう。猛は上京する際に智恵子と別れたのだけどお互いわだかまりがあって、猛の方では自分が成功するとは思ってなかったから智恵子は付いてこなかったという気があるし、智恵子は智恵子で高校生当時と現在とじゃ状況が一変しているので自分は今後どうして良いか分からないままガソリンスタンドでバイトしていたところに猛が突然帰郷してきたのでありました。兄貴の稔は弟とかつて恋人同士だったのを知っているのかどうかも定かではないけど、智恵子に好意を抱いているようだしね。フランス映画とかちょっと前の日活ポルノロマンでもよくあったような設定なんです。ただ猛と智恵子の場合は再会してあっけなくセックスだけやっちゃう、もう「タメ」の芝居は何もないまんま。こういう所をさっさとやっちゃうので「ベビーブーマー世代」から年長の人間にはカチンときちゃうというか「女の監督のクセに女性をきちんと描かない」って憤るんでしょうけど、うちらより年下が大多数の「ジェネレーションX世代」の、特に女子連中からすると「オンナの視点から男の性欲を結構リアルに描く」ってのはやっぱカンジ悪いと取るんだね(笑)とオッサン達の反応を理解するでありましょう。猛は嫉妬に駆られて思わずやっちまったのを取り繕おうと兄貴に釈明しようとしてあっさり二人の情事がバラしちゃうし、稔が突然兄弟と智恵子の三人で川へ遊びに行こうと言い出すとムキになって兄貴との心理的な兄弟げんかを始めだすし、とにかく映画前半は「ロクなこと」しないのだ、この主人公。

川の「つり橋」事件の真相とは?

 川でのピクニックは三人三様の「意思の確かめ合い」へと次第に移っていくのだけど三人とも実は「ココロが宙ぶらりん」で揺れている。兄弟は兄弟で智恵子がよりどっちに惹かれているのか確認したいだけだもんね。智恵子自身は正直男性としてどっちがいいかなんて次元の問題じゃないんだよ、生まれ育った土地でガソリンスタンドの嫁になるのと猛と上京してよく解からない生活を送るのとではどちらの方が自分にとって向いているかで幸せは決まってくるていうことだから。智恵子って女性に意志というものがあるのかと問うのは簡単だけど、家族や近隣住民との濃い人間関係の中で育ってきた女の子にとっての恋愛観や目指す幸せの形というものはそれなりにあって、またそういうタイプの女性だから基本的に田舎育ちの男どもはお互い争うんだもん。

 猛に拒まれたと感じた智恵子は子供の頃から苦手なつり橋を渡ろうとするけどやっぱり怖くて動けない。稔が助けに入ろうとするのを思わず「触らないで!」と撥ね付けてしまう。で、この直後に智恵子は橋から転げ落ちて川で溺死してしまう・・・。この後はあっという間に事件化して警察側の人間(ピエール滝)や裁判の話に移行して検察官(木村祐一)、弁護士(蟹江敬三)だのもでしゃばってくるわで後半はサイコホラーなのかメロドラマぽいホームドラマなのか一見解からない展開になっていきます。・・・あんまりコレ言ってよいのかどうかなんですが、蟹江さんが稔の弁護を引き受けるだけでなく実は父親(伊武雅刀)の兄貴っていう設定になってます、もう映画途中でムカついてるタイプの男性ほど「いい加減にしろよ! こーいうのは最低だ」とキレることでしょう。でも「此処だけは解かってもらう為にいくらでもやっちゃう」のが特に日本女性のクリエーターには多いかも、それがまた昨今成功するんで私としてはもう良し悪し判断できないのさ。・・・この映画演出についても他に美点がいくらもあるので、観客に対して一点の事柄についてのコンセンサスを求めるのが目指す表現の目標のひとつである、てのはどうかなあという気もするんだけどね。

とても繊細で丁寧だから、きちんと鑑賞すれば「ちゃんと理解」できますっ

 公開当時日本の若者だけでなく韓国の若者にもヒットしたというのはおそらく日本の映画界にとっては「ちょっとした事件」でこの映画気に入らなかったオッサン達には恐怖以外のナニ物でもなかったんじゃないかと考えます。山梨の富士吉田でほぼロケーションされたそうですが、そういうことは自動車のナンバープレートをはっきり見せることですぐ判る。で、「車のナンバープレート」をはっきり画面に見せるような撮り方を日本映画ってそれまであんまりやってこなかったんだよね・・・チクっちゃうけど。それに映画冒頭のお葬式のシーンや居酒屋や映画ラスト近くのファミレスのシーンなど皆が集まる時で私が秀逸だなあと思ったのはヒトとヒトの間が近いのよ、パーソナル空間が狭くてきちきちに座ろうとするの、お互いに。地方だから外では「人口密度が低ーい」んだけど、人間関係は密度が濃い。そういう地域社会特有の「抑圧」と「居心地の良さ」って表裏一体だからさ。ガソリンスタンドでバイト店員だった洋平(新井浩文)なんかは最初なーんにも考えてない若者だったのに稔が服役することになって、その数年間に結婚して子供を作ってあっという間に「地元の大人」になっちゃう。猛はそんな洋平と田舎のファミレスで再会して内心愕然とするんだもんね。一方の猛といえば智恵子の事件から時間が止まったというより「時間が止まってしかも凡てが劣化した」ような生活にいつの間にか堕ちている。仕事は停滞気味でアシスタント達も居なくなっちゃったし部屋はゴミだらけ、変わっていないのはカッコつけて買ったクラシックな中古の外車ぐらいのもんだね。外車は根が田舎者で突っ張って業界人やっている猛自身の象徴で、兄貴の稔の方がよっぽど都会でも田舎でも「日本を支える一般的な中間層の典型」で通る外見だったりする・・・こういう一見些細にみえても、きっちり演出として描いているから若い人にも解かり安かったんですね。今までの「故郷に戻った都会人気取りの主人公」になってる映画ってこういったビジュアル戦略とかテキトーだったような気がしてた。それと「都会人気取りの主人公」ってたいてい若い女(都会で不倫してたとかいう設定がやたら多かった(笑))、まあその手の日本映画って一体誰が観に行くんだろうって長年不思議だったし、心底大嫌いなタイプの映画だったので、その点じゃこの「ゆれる」観て正直「胸がスカッと」したよ。

でもよう子さんには「やっぱり橋を渡って」欲しいのかい?

 ちなみに私がそれなりに都会で出会ったジェネレーションX世代の地方出身の女性たちで「故郷が嫌いだから上京してきた」なんてヒトはほぼいなかった。社会人に至ってはゼロでしたね。そのかわりたいてい故郷の実家は親の離婚や死別で離散状態&彼氏と一緒に上京後、破局して「梯子外された」状態の女たちが殆どでした。真木よう子=智恵子さんというキャラはそんな都会にしがみ付いて生きていくしかなくなった地方出身者の女性が「もし上京せずに故郷に留まっていたら」というバージョンなの。だからつり橋を渡らずに消えてしまうのさ。どうせ故郷にいても居場所がはなから失われていたんだから、彼女たちは。田舎にいると周囲は「誰かもらってくれるんだから」とか何とか言って若い女の子に自由に何かをやらせてくれるわけでも無いし、「俺にまかせとけ」なんていう男はいつまでたっても現れないわ、すぐキレて僻むわじゃ人口密度高いという一点のみで都会を選択するしかなかったのよ。未だ「ゆれる」ショックでココロが揺れてもいいんだけどさ、少し別の視点でもモノを考えればっ。