まさかこんな映画から話を始めようとは
ロリータもの映画やるにあたってどうしようかなあと頭ひねってたのに、よりによってこんな中年男スターが雁首揃えたゴリゴリの西部劇ですもんね・・・そりゃ自分でも可笑しいとは思うよ。原作小説は「シェーン」の脚本家として有名なA・B・ガスリーJrと言う人が書いた西部開拓時代のお話でピューリッツアー賞も取ったそうだ。監督のアンドリュー・V・マグラレンは向こうじゃ英国の名優の息子だっていうんで、まず話が始まるそうですが、ジョン・フォードに弟子入りして1950年後半に監督デビュー、70年ぐらいまではジョン・ウェインやジェームス・スチュワートを主演に迎えて秀作を作った最後の正統派西部劇映画監督つっても良いかも。「何を持って正統派っていうのさ」って突っ込まれると困るけどさ。1960年代から70年代にかけての西部劇ったらもう拡散⇒飽和⇒崩壊の道を辿って、ひたすらハリウッドの主流から滑り落ちていったのだけど、コアな映画ファンや批評家の皆さんにとっては「マカロニウェスタンの攻勢」とか、サム・ペキンパーのアウトロー系西部劇、ラナウンサイクルと呼ばれる西部劇の「神的映画」群を作ったバット・ベディガー御大、才人のバート・ケネディとかさ・・・(西部劇好き以外にはどうでもよいねこんな話)後の代まで語り継ぎたいの心をくすぐる映画やスター(映画作家って意味もあるよ)が出現したジャンルだったの。マグラレンさんの名はその手のプロ(評論家)の話題にはほぼ出てこないのですが在野の西部劇映画ファンには人気が高く現在でもよくTV放送されています。アタシと言えば、ただ「この若い女の子、目立つなぁ。上手いなぁ。これで大スターにならなかったのかぁ・・・やっぱブスだからしょうがないのかぁ」とだけTV見ながらぼんやりしていて後で検索したらまさに現代ハリウッド大女優の若き日の御姿だとは思いませんでした・・・ホント失礼しました、御免なさーい。
そばかす♪なんて♪「気・に・し・な・い・わ」!
19世紀の西部開拓時代、特にオレゴン州をゴールとする「オレゴントレイル(街道)」と呼ばれる主要道があってそれを渡って東部から西部へと大量に人々が移っていったのですが、それって実際には1,830年代に道なき道を幌馬車隊が切り開いて築き上げ、作り上げていくことでもあったのです。で、東部の町の上院議員だったタドロック(カーク・ダグラス)は選挙区の農民たちに呼びかけてオレゴンで新しい自分たちの街を創ろうと幌馬車隊を結成するのでした。タドロックの計画に乗ってはいるんだけど、農民のリーダー格でタドロックと反目するエバンズ(リチャード・ウィドマーク)と案内人として雇われた西部男のサマー(ロバート・ミッチャム)が主要な登場人物というわけ。タドロックさんはとにかく野心家でオレゴンで自分の理想を実現できる街造りで頭いっぱいなんだけど、男やもめでエバンズ夫人(ローラ・アルグラウト)なんかにちょっかい出すような、まあ半分敵役のようなお方。でも幌馬車隊の行く道を阻むような災厄をもたらすのはタドロックさんではない、それがサリー・フィールド演ずるマーシーという幌馬車隊の埃っぽい農民の娘。未婚の若い女が殆どいないんで、隊の若者たちからの羨望の目を軽くあしらってるけど本当はかなりの面食いで、新婚のジョニーという金髪のイケメンをひそかに狙っている。で、ジョニーのほうは新妻のアマンダが神経質な性格で結婚したのにまだ初夜を迎える気力が出ない。そのことを知ったマーシーが
ぱっと嬉しそうな笑顔を見せるのが怖いよぉ。それこそ里中満智子の少女マンガに出てくるような「ヒロインの彼氏を身体を張って奪うブスの悪女」そのものの表情なんだけど、サリー・フィールドのルックスはどっちかっていうとあの名作漫画キャンディ・キャンディ 全6巻文庫セットの主人公キャンディに近い。そばかすだらけで全然女の子らしくないのに周囲の男どもは何故か皆彼女に夢中で、いろいろあっても最後には「男と成功」をガッチリつかむってタイプね。(笑)サリー・フィールドは自身が主演したTVシリーズで人気者になり、19歳の時この映画で本格デビューしました。TV出演から映画へ進出して更に成功した女優としては先駆けの存在だったといえるのでしょう。
かけっこ・スキップ・それから「もっと大人のやるコト」も、だ・い・す・き♡
マーシーのことをひそかに好きなのがエバンズの息子のブラウニー(マイケル・マクリーヴィ)でそんな彼にサマーは「頑張ってアタックしなよ」とアドバイスする。でもブラウニーはいじけてちょっと一人になりたいなぁ・・・なんて幌馬車隊から少し離れただけでも地元のアパッチに狙われるとか、やたらと不吉なのよマーシーって娘が映画の中心に入ってくるとさ。で、そのすぐ後アパッチと幌馬車隊はトラブルになるのだけど、原因はジョニーがアパッチの酋長の息子を狼と間違えて打っちゃったからで、それも何故かというとジョニーときたら直前までマーシーと夜中野外でヤルことヤッてたもんだからつい慌てちゃったんだよね・・・そんでアパッチとタドロックの緊張したやりとりの最中ではじっと隠れるようにしている美少女というよりは埃だらけの野生児かっつうサリー・フィールドの姿がズームアップされてくる。当然「ホントはこいつの所為なんだぜ」っていう表現でもある、でも西部劇の娘役としてはここまで個性的というか生々しいまでにリアルなキャラクターというのも初めての存在だったのたのかも。監督も「いいぞ、あの娘にカメラもっと寄ってけ!」って指示したとしてもおかしくない程映画の中盤はサリー・フィールド一人が引っ張っていくのさ。マクラグレンの西部劇では割と「ヒロインに結構きつめのアクションを要求する」ことが多く、ジョニーの子をお腹に宿したまま彼に死なれたマーシーが移動する幌馬車の隊列から身を投げようと飛び降りて山道の坂を転げ落ちるという(スタントが演ったんでしょうけど)大胆なシーンが突然あってびっくりします。マクリントック [DVD] FRT-202のラストでのモーリン・オハラもいい歳してジョン・ウェインに派手な夫婦喧嘩を仕掛けて逃げ回ったりさせてましたが、常に成功してるケースばかりじゃない。でも80年代に入ってもブルック・シールズ主演の冒険モノなんてひょっこり手掛けてそこそこヒットさせてたりしてますので、活劇の中で女優の荒々しい魅力を演出するという点ではこだわりがあったヒトのようですね。決してワイルド・ギース HDリマスター版 [Blu-ray]のような男ばっかり映画だけのお方じゃなかったのだ。
The place where she takes us is Oregon or Death. 「彼女が我らを導く場所はオレゴンなのか、それとも死か」
で、「大西部への道」を最後まで観れば主役の三人がサリー・フィールドによってそれぞれオレゴンの新天地、志半ばにして死去、そして一人老境へと辿る旅路がスタートする・・・など着地点が定められていくのが分かります。三人ともマーシーなんて小娘とは殆ど芝居上のからみが無いにも拘わらずですからねっ! 今回ロリータものを取り上げるにあたっていくら何でも共通した指針というものがないとロリータ呼ばわりできないだろうということを考えまして(英国フェミ系映画評論本「ハリウッド・ロリータ」も最後には一体何がロリータなんだか多少混乱してくる部分があるのさ)、でとりあえず映画全体構成の骨子が「She takes us to~」でぇ結局説明できる・・・ということに決めました。何故? って問われてもアタシは脚本の構成って何なのということをずっと考えている人間だからとしか言えないし、ハリウッドに代表される娯楽で大作で叙事詩的なスケールで圧倒する映画ってのは皆活劇だからよっ。あくまでも活劇を引っ張るエンジンの役目をするのが正調アメリカン・ロリータだとアタシは宣言するのさ。だからこれからしばらく続くロリータものは当然正統系のハリウッド映画で、出てくるロリータヒロインは必ずしもセクシーだったり可愛かったりするわけじゃない(笑)ということなので宜しくね。それから、英文法まったく自身が無いのにこれからいっぱい英語出すようになるかもしれないので間違ってたらビシビシ指摘して下さい!