緑の女 ③ 「友達の恋人」のエマニュエル・ショーレとソフィ・ルノワール

 うんと昔に映画館で観たっきり

 ・・・ではあるんですけどね。でも主人公のブランシュ(エマニュエル・ショーレ)が映画の後半に着ていた赤いコットンセーターが欲しくて欲しくて探し回り、その年の秋物に赤のコットンセーターを売っていたブランドが一個だけあったので速攻買い求めたのを思い出します。(DO! FAMLLYって当時は若い娘に結構人気があったのですが、ファストファッションの波をモロに被ったのか最近ではあんまり名を聞かない。)一方相方のヒロインのレア(ソフィ・ルノワール)が着ていたような緑のカーディガンやTシャツ姿の方はごく自然にモテる女の子が着るようないかにも素っ気ない着こなしのような気がして却って自分のコンプレックスが助長される気がしました。ま、日本人にとって緑って着こなしが難しい色ではあります。ブランシュって最初の場面ではあんまりカラフルな服装をしていなくて(水着姿もぱっとしたカンジじゃなかったような気がする)、クライマックスになった途端に好きな男の前で赤いセーター着てただビービ―泣いているシーンが印象深かったの。こうゆうのヒト様の彼氏を取る女の「狡い計算」ではなくあくまでも「突然に溢れ出す乙女心」として好意的に受け止める時代だったんだ、まだ1987年だったし。

 いつまでも生きていてひょっこり新作映画が出ていそう

 ・・・だったらどうしようかと思っていましたがさすがにエリック・ロメール監督2010年にお亡くなりになっていたそうです。何せ本格的にロメールの映画が紹介され始めた時に広まっていたイメージが「もう還暦は過ぎているのにスタッフや女優といった若い女の子を集めて若い女の子の恋愛話ばっかり撮ってる監督」だったりしたもんで、ずっと枯れた爺さんのまんまで不死身のヒトみたいに決めつけていたのかも。そういやちょっと前ですが何気なくDVDショップに立ち寄った際に「三重スパイ」(2003年)というロメール監督作の本格サスペンス映画を見つけて驚いた経験があったよ。「友達の恋人」のような男女の軽い恋愛喜劇は「喜劇と格言」シリーズとして80年代に渡って製作され、それ以前にも「六つの教訓話」、90年代に入って「四季の物語」とシリーズもので括った恋愛(というにはささやかで劇的な展開はほとんど無いんですが)モノがロメールの映画では中心にデンと据えられていますが、それ以外にも文芸モノや短編作品などが多数、かなり製作意欲旺盛な感じがします。とはいえ私自身あんまり観ていないのに2008年を最後にロメールの映画を日本で上映することが無くなっちゃったんだそうで残念です。

 緑の娘と赤の娘

 ストーリーは確かパリの郊外に住む公務員のブランシェが女子大生のレアと仲良くなり、泳げないレアにブランシェが市営プールで水泳を教えてあげるようになるのでした。そこでレアは一緒に住んでいる恋人のファビアン(エリック・ヴィラール)とファビアンの友達のアレクサンドルを紹介する、フランスのカップルっつーのは恋人のいない友達同士をくっつけてあげようとか自然にやるようですが日本人には羨ましい限りです。(日本でそんなことやったら「上から目線でブスや不細工を引合されても・・・」と男女とも素直に喜べないものさ)レアとしてはアレクサンドルなかなか好印象だったんですが、うまくアプローチができない。言動がてきぱきしている「緑の娘」が運動音痴で、万事内気な「赤の娘」の方がスポーツ得意という設定が面白いしなんかリアル、でプールではいきいきとスクール水着姿で泳いじゃうブランシェのことを同じくスポーツマンのファビアンが気に入ってアレクサンドル飛び越えてブランシェといい雰囲気になってしまう。レアの方はそれとは殆ど関係なしにファビアンと離れてヴァカンス休暇を取っている最中に他の男の子とアバンチュールやって、ブランシェにはその旨実に屈託なく報告しちゃう・・・とにかくその辺昔の記憶を頼りに書いているので正確ではないかもしれません。が、ブランシェという娘は存在にメリハリがあるというか、一見内気そうに見えて実は慌てんぼうさんという感じ、どうして良いか分からなくなっておいおい泣いちゃうんだよね。対してレアは突っ張って有言実行するというか、「理」とか「言葉」の方が何事にも先にあるカンジがあったように当時思いました。それでいてレアはいつでもフェアで平和主義者だからブランシェとファビアンの振る舞いにも怒らないし、唐突にブランシェに拒否されるアレクサンドルにも同情して今度はそっちと付き合うようになって二組のカップルはめでたしめでたし・・・で終わっちゃうんだよーん。観客はそんな展開でも「やっぱ男女の間には相性ってものがあるよね」でつい納得させられるのですが、そういえば最初の組み合わせだと男女ともルックスが似た者同士でくっつこうし、男女とも親友同士の方は見た目からして個性や性格が違うのに気が合う感じ・・・というところから話が転がっていたのに気が付きます。ロメールの映画は無名に近い若い役者や演技畑でないヒトたちを引っ張ってくるので、「なんかいい年してロリコンぽい」という決めつけしている方も多いようですが、「喜劇と格言」といったシリーズで括られないタイプの映画ではフランス演劇界の重鎮のような役者が主役張っている映画もあるんだそうです。あくまでも役者が生き生きと動けるような環境で撮ることだけに生涯こだわり続けたのかもしれません。

 観ていて終始イラついた・・・何故?

 そーなんですよ、他にも私と同じような印象を持っている方多いみたい。で、そういうヒトに限ってラストの日暮れに緑の光線って出てきたぁ? 見えなかったよっ!てキレるんだ。何故だか考えたんですが私の場合「友達の恋人」の方を先に劇場で観てこっちはVHSでだいぶ後から観たのが良くなかったのかなあ。なにせヒロイン最初の登場の際は新緑の深い初夏の元、ばっちり緑のワンピースで登場するのですが、その後ヴァカンスが始まって徐々に閑散としてくるパリの街並みや空気が彼女自身の「潤い」というものを奪っていくような気がしてならなかったのだっ。即興で撮影してこの仕上がり、という点が評価されて映画祭の金獅子賞だったのかもしれませんがなんか微妙に映画の核心とはずれたところでイラつくのが不快でならなかったのだ。ちなみに製作されたのは「友達の恋人」よりこっちが先、「緑の光線」⇒「友達の恋人」の順に絶対観た方が良いです、その方が鑑賞後の満足度が確実に上がります。