緑の女 ④ 「秋日和」の司 葉子

 とにかくカラフル、そして何故だか「ドラマチック」

 これって小津映画ではカラー作品として4作目。ヒッチコックハリーの災難 [Blu-ray]もそうなんですが、何故か二作目以降の方が「色彩表現」には気合いが入っている気がしてしょうがありません。両者ともカラー化という以前に無声映画からトーキー移行に当たる時代も経験しているわけですから、いかに新しい技術に自分の演出がツイていけるか真剣に悩んだと思います。面白いのは特に「赤色の出方」にヒッチコックも小津もこだわるところからチャレンジしようとしたところで、小津の場合カラー第一作あの頃映画 松竹DVDコレクション 「彼岸花」から「赤」がより美しく出るフィルムをカメラマン厚田雄春と相談して西ドイツ製のアグファに決めたのだそうです。ヒッチコックはそこまではやらなくとも、「ハリーの災難」では舞台が燃えるような紅葉の小さな村でヒロイン役が赤毛の新人女優のシャーリー・マクレーンを起用するという「赤色三昧」の工夫をしています。どうしてそうなったのかはよく判らんのですが、私個人の経験からしても発色の良しあしで人間の顔立ちにしろ風景にしろ観たカンジの「立体感」が違ってくるもんです。そういや口紅の色で「赤色」を選ぶ時って結構迷うもんですよね、ヒトによって顔立ちがペったり見えて似合わないとかの差が凄く出る色だもん・・・小津は「扁平なアジア人」の顔立ちをはっきり際立たせることに人一倍工夫したきた御仁だし、ヒッチコックも自分の大好きな「プラチナ・ブロンド」がカラー化で陳腐にならないように表現できるか一時期で悩んでいたのかも。「秋日和」では小津の「色」へのコダワリがMAXに達しているのでああそうか、かの「晩春」のストーリーのカラー版なのかと気が付くのですね、内容自体は結局のところ当たり前の話でしかないのに何故かドラマチックな印象を受けるので。大げさになる程なんとなく可笑しくって笑っちゃうのも「ハリーの災難」と一緒かも。

 お嫁入り前の娘がいる未亡人

 死んだ亭主の七回忌を終えた三輪秋子(原節子)アヤ子(司葉子)の母娘がおりました。夫の友人たち間宮(佐分利信)、田口(中村伸郎)、平山(北竜二)は適齢期を迎えた娘アヤ子の縁談を心配して世話してあげようと持ちかけます。母秋子はありがたいと受け入れるのですがアヤ子の方は乗り気になれない。間宮達のそれぞれの家庭ではとにかく美貌の未亡人秋子の噂はかねてから知れ渡っていて間宮の妻(沢村貞子)や田口の妻(三宅邦子)らは呆れている。間宮の学生時分には秋子が憧れのマドンナで(近所の薬屋の看板娘だったとか)グループの中の一人である秋子の夫とくっついたのがとにかく残念無念などという過去の与太話が彼らの会話として延々と続きます。ここら辺のくだりがもうありきたりというかウンザリだというヒトもいそう、間宮と田口の性格の違いなんて若者にはとんと判らないだろうしね。でもオッサン当人たちは昔の仲間が集まるととたんに血気盛んな青年気分にもどっちゃうんだ。妻を早く失くしてヤモメの平山に秋子との再婚を薦めたりすると、平山のオッサン興奮してすぐにトイレに駆け込むとかさぁ(改めて観るとスゲーあからさまだわ・・・)オヤジギャグがキツイの。アヤ子の会社の同僚で親友の百合子(岡田茉莉子)の実家はお寿司屋さんなんですが、そこで飲んでる常連の客(菅原通済)のほざく台詞も要はエロネタ。この菅原ってヒト、何かの「友情出演」なのは間違いないんですが、あまりに存在感がどぎついので軽く調べてみたところ小津安二郎のタニマチ的存在、て以上に「かなりヤバいお方」のようでした。いつもの小津映画よりも出てくる人物が映像的にどっか濃いんだ皆、彼岸花」やすぐ前の映画「お早よう」 小津安二郎生誕110年・ニューデジタルリマスター [Blu-ray]と比べても登場人物の肌色がより赤味がかってピンクっぽく感じるよう調節しているのではないかしらん。デジタルマスター技術で上映当時の色彩が再現できている現在はブルーレイの表紙でもそうゆうことは確認できるかもね。

「赤ちゃん返り」のアヤ子さん

 アヤ子さんが母親一人残して御嫁入することに渋っているのを見かねた間宮たちは「いっそのこと秋子さんの再婚も探すよと言えば納得するだろう」と冗談なのか本気なのか平山を担ぎだしてアヤ子に縁談を薦めようとする。間宮がアヤ子にプッシュしたい部下の後藤(佐田啓二)のことをアヤ子は当初会おうともしなかったのに、後藤がたまたまアヤ子の会社の同僚杉山(渡辺文雄)の友人ということで結局二人はくっつけられそうになるとか、まあベタな展開になっていきます。初秋から紅葉にかかる頃の季節の話なので、アヤ子さんは当初通勤服は白いワンピースにバックとクツも白の装い。この恰好は年相応というかいかにもシャープな働く女性のイメージです。そして杉山が後藤と引き合わせようと連れて行った時には白い襟のついたコケみたいな深緑のワンピースに代わると、突然アヤ子さんは「それいゆの表紙かい?」と言いたくなるような少し子供っぽい少女のような雰囲気に変わるのさ。相手に気に入られないように警戒しているのか、大人の女の色気は無いのですがその方が後藤には却って緊張しなくていいみたい、気が付いたら兄妹のようなカップルになっていしまいます。母親の再婚話を聞きつけたアヤ子さんは急に不安になってシャープなイメージが崩れていくのですが、「晩春」の時の原節子のように艶っぽくなんるのではなくて、どんどん子供っぽくなりまるで美少年のような中性的な魅力があります。頬も幾分紅潮したカンジがまるで奈良の興福寺にある仏像の阿修羅様のようです。友達の百合子はそんなアヤ子を見かねて「何さ赤ちゃん」とおこるのです、当時の25歳という年齢のわりに子供っぽい彼女達のやり取りはその分清潔感に溢れていて、百合子さんが部屋着として着ている紫のモヘヤニットに白いタンクトップという(一歩間違えるとケバイすれすれのコーディネート)装いがまったく浮きません。「晩春」のヒロインによるセーター姿や地味なスーツのどことなくがっついたようなエロさとは大違いです、二十年も経たないうちに当時の日本はそんなにも豊かになったってことなのかい。

 新緑の山蔭・・・まるで「母親の胎内」みたい

 で、娘の結婚も決まり伯父(笠置衆)への挨拶がてら、お約束の「母娘二人最後の温泉家族旅行」のシーンになっていきます。「秋日和」っていうタイトルに引きずられているせいか、「なんで秋の温泉に来ているのに山が紅葉してないんだあ?」とつい思ったりしますが、よくよく考えれば結婚の話がまとまって時間が経過しているわけで母娘が訪れる時には新緑の頃に当然なってるでしょ、ということだったのか。そのせいか無理やりっていうくらい「緑の印象」が強いの、母と娘が差し向かいで温泉地の食堂でお茶するだけなのにやたらと緑の蔭が濃くて、まるで深い森の奥に女二人は籠っているみたい。母親は娘に「再婚する気は無いんだけど、私の人生はまだまだこれからよ」なんてことを話す。人生やり直す=また違ったヒトと一緒に家庭を作る、だけじゃないもんね。しみじみした芝居のはずなのになんか異様なのだ。母親の胎内を思わせるような「緑の蔭」で一杯の小部屋で生まれかわった二人の女性たちは新しい人生のステップを踏むところで映画は終わる。ちょっとさみしいけど、不幸なことは無いのさ。