お祓い/Purificationされる女③ 「クレイジーリッチ!」のミシェル・ヨーとコンスタンス・ウー

 

 

この映画の最大の謎とは?

 それはヒロインのレイチェル(コンスタンス・ウー)の彼氏で王子サマたるニック(ヘンリー・ゴールディング)の父親が一切登場しないことです。でも誰も彼を父親不在の家庭で育ったマザコン男とは言わない、言わせない所がスゴイところなの。映画の冒頭に「中国/Chinaは眠れる獅子だ。この眠れる獅子が目を覚ませば世界を震撼させるだろう」というナポレオンの言葉が紹介され、ニックの母であるエレノア(ミシェル・ヨー)が幼いニックを連れてずぶ濡れでロンドンの老舗ホテルに入ると人種差別的な対応をされるのですが、そこのシーンの「落ち」でニックの父親のすべてを語る・・ということになってるからです、「三国志演義劉備玄徳や「水滸伝」の梁山泊のリーダーのように「何がエラいのかはハッキリしないがとにかく力があっていちばん偉い人」って東洋の英雄の典型なのね。(ぶっちゃけ西郷隆盛も典型的な東洋の英雄のタイプ、とにかくあの人は偉いんだからきっとすごいのよ。だから江戸城無血開城したのよねってだけだったんですが)だから大ヒットしたUSに限らず日本でも比較的男性陣の方がこの映画よく腑に落ちるし単純に気持ちよくなれそう。女性の方は私も含めて実はあまりシンデレラストーリーとしての「キモ」の部分が理解出来てないところが有ります。だから映画鑑賞直後は「どこの国のお金持ちも結婚て大変そう」以上の感想が無い。抽選でプレゼントあげるから感想文書いてくれと言われても正直困るでしょう。原題は「Crazy Rich Asians」。この「Asians」は何を指すのかで日本を始めシンガポール等のアジア諸国やハリウッドのアジア系の人々の間でもめた事でも話題になりました。

 

ASIANSって誰のこと?

 それからこの映画公開前から「なんで原題通りクレイジーリッチアジアンズにしないんだ。日本人は自分達がアジア圏に住んでいるって自覚が足りないんじゃないのか」とか映画ポスターがUS版と比べて役者の肌をやたらと色白にして不自然とか、いうクレームが付いたりしました。シンガポールでは金持ちの中国系住民以外が出てこないのでスゴイ不評だったりとか・・・ちょっとどう受け入れて良いのか悩んでしまうトコですね。で、観るとASIANS=華人/華僑のネットワーク社会であるというのがはっきり分かります。私のような日本人にはUSや韓国と同様によく知らない異国の話でしかない、華人社会=中国本土では決して無い独自に作りあげた「文明」の域まで行ってるかも、みたいに感じたので、へーってなるだけです。顔が似ている分より文化の共通点に気づかなかったりする場合もありますしね。だからアジアに住んでいながらアジア人の意識がない日本人偉そう・・と「クレイジーリッチ」観るまでは思う人も、結局日本人ってアジアの中では常に傍流で、マイナーな存在なだけだったのに思い至りますから、そう自意識過剰にならなくても(笑)。どのみち日本じゃあんなスケールのデカい金持ちがいないんですから。>何代も続いた金持ちの「家」てのがね。

 

シンデレラコンプレックスとシンデレラになろうの違い

 1981年にマレット・ダウリングのいうUSの作家が書いたシンデレラ・コンプレックス―全訳版という本は大変話題になりまして若い女性が「いつか白馬に乗った王子サマが私を迎えに来てくれる」と夢見て男性に対して依存願望を募らせる事をそう呼んだのさ。日本でも相当な反響があり男女雇用機会均等法の成立前夜だったこともあって日本のフェミニストの学者や心理学者の論文などがたくさんあったようです。日本の男性達はと言うと「コンプレックスは男女お互いサマにあるじゃん」てな歌詞を阿久悠が書いたりしましたが、「シンデレラコンプレックス」という概念自体には特に同意をするでもなくかと言って反論するでもなく定着してしまい、シンデレラといえば男に依存する女のアイコンにまでなって21世紀の現在でも意識を引きずっている状態です。んでもって御説が誕生したUSの方はどうかというとシンデレラのキャラを自らの運命を切り開くタイプなんだとイメージを変質させた強力なアジテーションが行われ今や日本人の描くシンデレラ像とは著しく異なっております。日本でも90年代から遅ればせながら「王子サマを待ってるだけではなく自分で探しに行こう」みたいなコピーが時々載りましたが、却って「シンデレラになりたがる高収入のクセに自分以上の年収の男と結婚したがる女はクソ。むしろビンボーな男と一緒になって助け合うべきだろ」という独身男性の意見もあるくらいなので、どっちにしろ日本女性のシンデレラ指向は現在極めて低調です。そういう日本事情を踏まえて「クレイジーリッチ」の世界にあってウチらには絶対ないもの、って何だろな?と深く考えると、やっぱり日本人は華人たちよりも動産/人的財産(personal property)に関する理解力、分析力に徹底的に欠けているかも・・・でしょうね、やはり。だって終盤のレイチェルとエレノアの麻雀対決からレイチェルとニックの結婚が許されて結ばれるくだり、私最初まったくワケが分かりませんでしたから。日本の婚活業者から見てもレイチェルの振るまいは理解不能だと思います、まず破談しかあり得ないですよ。エレノアに「彼(ニック)がもしいつか幸せな結婚をして子供が生まれたら私のおかげかもしれないと思ってください」って言うか?日本基準からしたらぶっちゃけ酷く嗤われます。

 

「ベストを尽くす」の限界、Japanese と Asians の違い

 レイチェルは経済学者で専門がゲーム理論。彼女を有名にした学説が映画の最初に紹介されるのですがその内容が「ギャンブルの時、心理的に追い詰められてパニック状態になったプレーヤーはとにかく焦って負け札をつかむ」というもの。本来ならニック本人を説得する為に「アナタがもし幸せな結婚をして子供が出来たら私を思い出して」と言うところを、あえて母親のエレノアに告げる事で「パニックを起こさせてレイチェルという負け札をエレノアに掴ませる→私/レイチェル以外の女と結婚してニックが幸せな家庭を作れると思う?彼が家を捨てても良いって言ったのを私断ったんだからさ」とゲームのカードを切った。まあこの辺のシーンについてもホントはビジネスやフェミニストの専門家がもっと詳しく分析した方がよっぽどこの映画深く考察出来るような気がしますが、私などにはとても無理なので日本だとレイチェルの「暴挙」がどう彼氏のお母様に受け取られるかだけ考えてみましょう。♡

a) 言ったとたんにお母様に罵倒し尽くされる、もしくは全部言わせてもらえない・・・毒親率が高そうですがおそらく低めに見積もっても6割方はそうなんじゃないかと。後々まで「あの娘の捨て台詞は笑えた」と周囲や親戚中に話をばらまき息子を心底腐らせる。下手すると息子がお家の繁栄の息の根を止めるやもしれません。だから日本の婚活業者が「クレイジーリッチを参考にしろ」とはまず言わないと思います。

b) お母様が相当賢いか賢明故に父親と一緒にレイチェルに対応し「今まで息子と付き合ってくれて有り難う。おかげで彼は成長した。アナタこそウチの息子なんかの事はさっさと忘れて幸せな結婚をして下さい。ついでに息子と交際していた過去などは他人にしゃべったら損するだけだよ」と言って手切れ金&口止め料を弾んでくれます。なぜなら日本だとレイチェルタイプの才女は夫を見つける前に銀座のクラブのママだとか年商〇億円の「女性向け隙間ビジネス」だとかを立ち上げて成功してしまう可能性が高いからです。金持ちで有名になった女性が自分の息子との過去の交際を公言してしまうと後々面倒な事になって、親の言うとおりに結婚して家庭を持った息子に悪影響を与えてしまうのでここはお金で解決するっ。

c) では映画のように「ごめんなさい、ウチの息子との結婚を許すわ」が日本のお母様の場合は無いのでしょうか?おそらくそれって日本には「何故クレイジーなほどリッチな一族」存在しないのか?にも関わってくる問題です。とにかく人的財産/個人の能力と可能性について重要視しないのが日本の富裕層の欠点。むしろ個人の能力には限界があるのだからある程度まで達してれば皆同じ、インフラとしての家族こそが日本の富裕層の財産、付加価値ある不動産万歳!・・・なんであります。日本国内だけでやってるといくら外国人が流入しようがソコだけは「和風化」しそうな予感さえする。(笑)

 母親のエレノアにしろ完全にレイチェルとニックの「個人のポテンシャル」に完全な満足は到底していないはずですが、(ただしレイチェルの育ちと培った能力を「時間をかけないで一族が得られる知識」と判断している可能性は有る)二人の決断を信じないとクレイジーリッチ一族の命運が尽きてしまうかもしれない。たとえ結婚が失敗したとしても自分でした決断を引き受けていく事が一族の繁栄を続ける道なのです。翻って我が国Japanはというとクレイジーな程リッチ、ではなくクレイジーだからリッチなんでありまして、b)で彼氏と別れたやり手女性がリッチになって思いっきりジミー・チュウを買い集めたりするとか、a)で毒親に愛想が尽きた御曹司が一発逆転で事業を立ち上げて親を抜くほどの巨万の富を築き、財産を宇宙ロケット開発やら月面観光旅行に女優のガールフレンドを連れて行くとか行かないとかの話になっちゃう。シンデレラになるには「ベストを尽くす」だけで良いのだったら人財のポテンシャルを計る「自信」が持てない日本人にとっては王子サマや王女サマが居なくてもシンデレラにはなれるって事なのかもしれません。まあ現在の日本では野心家で向上心の強い男女はそれぞれシンデレラより「ナイチンゲール」「マザーテレサ」になりたがるんじゃないですかね。そんなつもり無かったのに気がついたらタイガーマスクになっちゃてるとか。ドラゴンよりは日本人は虎になりたいってゆうところがあるみたいなんですが本物のトラは現実のセカイでは絶滅寸前なんですよね。

 

 

 

お祓い/Purification される女 ② 「500日のサマー」のゾーイ・デシャネル

 

 恋の師匠はハン・ソロじゃなかった

 観た事は観たのですが、実はあまり記憶に自信が無い映画。なんたって一般映画ファンの感想や批評こそ(特に女性は男目線の映画でよく理解出来ないのだと主張するし、男性は女はこの映画皆好きなんだろと拗ねる)が面白くて、自分自身の映画の印象がついぼやけてしまってるのさ。で、主人公の男女二人がIKEAでデートするシーンだけは皆憧れるっていう(笑)。あとヒロインのサマー(ゾーイ・デシャネル)には深田恭子前田敦子+パヒュームのあーちゃん・・・という雰囲気が感じられ、オバちゃんの私には「今どきのモテる普通っぽい女の子の流行は何処でもこんなものなのだろうか?」というやや明後日の方向へ頭が跳んでしまいました。サマーは足のサイズの設定が26㎝だそうで、そこも深キョンと一緒なのだ・・・という余計な情報は覚えているっ。脚本家自身が大学院時代のエピソードを元に創作されたオリジナルストーリーで、やっぱり映画脚本について専攻しているだけあって様々な名作映画のオマージュが感じられるのですが、一応主人公トムにとってのヒーローはSWのハン・ソロとやはり卒業 [Blu-ray]でのダスティン・ホフマンの二人になるのでしょうか?・・・もっとも映画スタート時でのトムの恋の師匠はもっぱらハン・ソロです。んで映画最後まで観るとジョセフ・ゴードン・レヴィットがスター・ウォーズ/最後のジェダイ MovieNEX(初回版) [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray]で声だけのカメオ出演を果たしたのかもよく分かります。失敗は成功の元だって伝えたかったとかw。

 

しかしトムって野郎は怠け者だよね

 ていう第一印象だったし、終始その印象が変わらなかったよ私は(笑)。だから恋のチャンスを失うのも「そりゃそうでしょ」としか感じない。現実にこんなカップルがいてサマーの話を聞いてたら「よっぽどの怠けぶりに愛想が尽きたんだね」と結論出しそう・・・というかトムみたいな知人が昔居たような気がしてきた・・・IKEAでデートばっかりしてたクセに将来の展望が何故ゼロなのだ?何故それなのにIKEAに行きたがるんだよトムっ!こんなにIKEAIKEAと連呼し続けてるのが自分でも馬鹿らしい。それっくらい私のようなオバサンには「近頃の若い男は何考えとるのか分からん」な行動なの。サマーだって「私だったら結婚願望丸出しだと思われそうでIKEAでデートしたいなんて言わないわね多分」て内心感じてたと推測するよ。トムに初めて声かけられた時も「ザ・スミス聞いてるの?」でエラく食い付いてくるんだけど、にサマーはソレが不思議でしょうがなかったんだと思う。日本だと(ひょっとしたらUSでも)そんな調子で近づいてくる男と気前良く付き合ってくれる娘そういないのさ。だからトムがサマーと付き合ってデートを重ねたのはホントにラッキーな事だったと思う。だってサマーはトムにちゃんと興味をもってくれてたじゃん。

 

おそらく「前の彼氏とは違うのね」だけだったと思うよ

 トム目線で二人の交際が描かれていくので、サマーの奔放な(主にセックスに関しての)行動についていけないと思う人は多いでしょう。でもサマーは最初から「本気の恋はお断り」で理由も「自分の両親が離婚した事がトラウマ」てはっきりトムに話している。サマーのそれまでの男性経験っておそらく彼女の言葉を真に受けた相手ばかりだったんでしょう。だから本当にセフレしかいなかった。(映画でなくて現実の話で恐縮ですが)彼女の前の彼氏と知り合いだった為に「あの人はああだったのに何故アナタはそうなの?男の人って普通皆そうするもんじゃない」とセックスについてガチで比較して問い正され、困惑したという男を私知っとりますが、素直で男性に好奇心を抱いている女性と付き合うとそういう目に遭うのかいな。何せその知人の彼女の両親も離婚して父子家庭で育ったそうです(笑)。だから本当に実際にあった事が映画になってるんでしょうね。

 

皆いろいろな映画のピースを見つけ出す、らしい。

 後半トムとサマーは一緒に名画座に出かけて「卒業」を観てから話が急展開していきます。オバサン族からすると、なあ~んだやっぱり結婚願望が「重い」娘じゃなああいと意地悪感想になってしまいますが、それでもサマーはどっか素直に男の人と対峙しているからああいう反応(映画鑑賞後に一人大泣きする)になるんでしょうね。男女が交際するにはどっかで未来、出口路線がないとやはり自然消滅するしかありません。トムの妹(クロエ・モレッツ)が説教する通り「楽しい事ばかり考えている」だけだとカップルは先がない。トムはサマーに「しばらく距離を置きましょう」と言われ数ヶ月そのまま会わないでいたものの、休暇旅行でサマーと偶然再会しサマーの友人の結婚式に混ぜて貰ったりして一時また楽しいデートの時間も過ごします。そこでまた一瞬トムはサマーとの復縁が「叶う」と勘違いしたりするんだよね~。で、その後一転急降下でトムにサマーが婚約したという報告が一方的に届くのだった。この辺の妙に昂揚しているようなのに淡々とした展開やトムのなで肩でいつもベストを着ているモラトリアムちっくな服装にアニー・ホール [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]の影響を見る方々(町山智浩氏とか)もいらっしゃるのですが私は分かんなかった、というかソレ聞いても自分はウディ・アレンの映画にとんと興味がないんだなと改めてそっちの方に気づきました。(ちなみに例のスキャンダルの所為ではないと思うん・・・だけどな(..;)

 

それにつけてもトムっはどこでしくじったのか?

 これは「500日のサマー」観た男女問わず様々意見あると思いますが、私個人はやはりトムのスケッチをサマーが見つけたシーンでのトムの振るまいが一番「いけなかったのだ」と判断しますね。実は最もトムにとってのアンタッチャブルな部分にサマーが触れようとして、トムが拒絶したわけだから。サマーはサマーでトムに拒まれた強烈な体験があったのですよ、だからその後一緒に「卒業」観に行って大泣きするんだもの。サマーはトムの建築家になりたい夢の中に入れてもらえなかったのよね。別に夢でなくとも良いのですが女性は男性に「今一番こだわってる事、ビジョン」を話してもらうと案外コロッといきます。まああくまでも結婚したくなるってことなので語る男性にとってもリスキーなんですが。だから女性はいい男で結婚の準備が出来ている状態の相手と結婚する、それだけのことです。からしょうがない、トムは前に進む為にユルいメッセージカード会社から建築事務所に転職しなきゃいけない。自分があきらめきれない夢の末席に入れても良いような新しい娘オータム(ミンカ・ケリー)に照準会わせようとすすんですね。コレがまた高嶺の花掴みな雰囲気で終わるので、懲りない男って皆は思うのでした。

 

 

 

 

 

お祓い/Purification される女 ① の後編 「SW/最後のジェダイ」のデイジー・リトリー

 

 SW外伝製作を見直すんだそうだ。

 当初ジョージ・ルーカスに「二十年間で6作品しか製作しなかったルーカスは馬鹿だ」とまでディズニーの人たち言っていたらしい。(笑)それが今回の路線変更だそうな、当然て気もしますがね。だって「最後のジェダイ」についてだって未だにSWファンは上手いこと消化できていないんだからあ。それでも何とか消化の糸口を探して賛否両論の「より否定派」の意見もちょっと参考に読んでみたのですが、特徴的なのは主な登場人物の造形についての悪口をそれほど皆言っていない。特にカイロ・レン/アダム・サンドラーについては否定派閥系の男性ファンの間でも大人気。それが私には不思議でしょうがない(笑)。レイとの失恋エピソードと終盤の怒り狂い方には結構共感しているじゃないのさあ。反乱軍が映画全編通して逃げているばっかりで頑張って企業の役員でキャリアのピーク迎えます風な中年女性(ローラ・ダーンの事ね)が殉職して終わるって何なんだよ!な反乱軍の戦闘のやり方に怒っているヒトが多かったのも、解る気もするんですが、いやスターウォーズなんだよスタートレックじゃないしぃ・・・と同時に私思っちゃった。ひょっとしたら否定派の彼らにとってSWにおける譲れない一線って「SF映画スペースオペラの金字塔」なのかもしれませんね。それじゃ今回の監督ランディ・ジョンソンが「最後のジェダイ」で目指したコンセプトが気に入らないの無理もないかも。だってスターウォーズのジャンルは「映画そのもの」てのが「最後のジェダイ」のコンセプトだったので。SWを作り続ける為にはソレしかもう方法はなくて、ソレを観た古参のコアなファンが商業主義に走ったと嘆くのは正しいっちゃ正しい。しかし出来上がった映画は商業主義とはかけ離れた仕上がりとしか思えなかった私。

そんな理力/フォースの使い方してもいいのかよ!!

 と想いつつもカイロ・レンとレイとの時空を超えたやり取り、なのかそれとも「まるでご近所同士の幼なじみのようにネットのスカイプでやり合う男女」て言ったら良いのかSWも40年続くとテレパシー交換の描写だって非常にドメスティックになるのでありました。そして乙女の心の窓はSlide door/引き戸なんですね、そこだけはきっちり和風という(笑)。ここでもSWは日本、というか日本映画にこだわる。レイとカイロ・レンが交信しようとすると何故だか四角い壁が何層に重なっていて一枚一枚Slideして取り払っていくのも和風です、二人の心のブラックボックスは互いに日本家屋のように襖で仕切られているようなのさ。ここのシーンが物語の中核にあたるってだけでなく抽象的な事柄をよく簡潔に説明するんだなあ、結構スゴくないかあ?・・・て鑑賞直後には漠然と感じただけだったのですが、一日二日経って振り返ると、ひょっとしてアレか?日本のあのお方かい?って晩春 デジタル修復版 [Blu-ray]のラスト近くのシーンとか麥秋 デジタル修復版 [Blu-ray]での紀子さんが友人と一緒に料亭の襖を覗くシーンを思い出しちゃったのさ。どっちも相手の男性が「壁とか襖」として表現されていて話には上がってくるけど本人の登場は省略されているのね小津映画だと。それが「最後のジェダイ」では「とにかく何か着てよ!」てレイが叫ぶ、壁や襖の奥にいるカイロ・レンとしてついに可視化されるのです。さすがは理力/フォース!って言ったら良いのか、まさかそんな風な使い方するのかとか、日本映画のapplicationが止まらない。もっとも監督のライアン・ジョンソンって人はインディーズ映画時代から名作映画からの引用が多い所謂正統派の映画ファン出身者のようなので引用は小津安二郎だけに止まりません。だって小津はOZUですから。

 「最後のジェダイ」の中では、おず/小津/OZUはそれ以外にも鏤められています。それこそ東京ディズニーランドの隠れミッキーのように。

ジェダイマスターのヨーダでも「OZUが復活」

 「最後のジェダイ」のクレジットではヨーダに「フランク・オズ」てデカデカと出てきまして、私はギョッとしたのですがSWファンの友人に言っても「だから何なんだ今回はただの声優出演だろ」と言われてしまいました。でもおそらくヨーダはCGアニメではないでしょう。顔だけモーションキャプターであっても今回のヨーダの含み笑いは怖かったもん。SW参加以後イン&アウト [DVD]ペテン師とサギ師/だまされてリビエラ [DVD]とかのおっかないコメディ映画を撮るようになったフランク・オズが再びマスターヨーダになって還ってくるって、教えのスパルタ度が時間をかけてのしかかってくるようです。んで映画鑑賞終了直後はヨーダの事ばっか気になってたのでしたが、しばらくしてTVでワイルド・アット・ハート [Blu-ray]やってたのをちょっとだけ目にして、あああそっかあぁぁ・・・と気がついたのですが、「最後のジェダイ」のローラ・ダーンって終始「オズの魔法使い」で有名な南の魔女のコスプレみたいな格好で登場するんですよね、なんで反乱軍でもあんな浮いたロングドレス姿なのがサッパリ理解できなくてずっと悩んでいたのでした。「ワイルド・アット・ハート」でのローラ・ダーンオズの魔法使いのドロシーみたいな役柄だったから、すっかり忘れてたけど。デビット・リンチはかつてデューン/砂の惑星 日本公開30周年記念特別版 Blu-ray BOXも撮ってたしねえ。

 しかし「デューン砂の惑星」のケースが典型的だったのですが、緻密なマーケティングに基づいた商業主義映画なのか、それともヤング(オタク)の懐をあてにして金かき集めて作った博打としての大型カルト映画なのかよく分からないまま公開されてた80、90年代のSF名作映画達と似たような作り方を思いっきりやってるのに、SW8で商業主義に完全に飲み込まれてしまったというのは正しい指摘なのか誤っているのかは私判断出来ませんが、とにかく隔世の感があるなあ、とは感じます。

 

 

 

 

 

 

 

お祓い/Purification される女 ①の前編 「SW/最後のジェダイ」のデイジー・リトリー

 

 SWシリーズのヒロインとヒーローなのにっ

 これから「お祓いされる女」シリーズってのをまとめてやりたいのですが、当初自分が観賞した映画の中で「お祓いされてしまふ」状態に陥るヒロインなんてそうはいないよなああぁ・・と(実を言うと想定できる映画が一本しかなくて)シリーズにはならんと考えておりました。ところが2017年公開の映画にはやたらとお祓いされるヒロインの映画が登場してビックリしてます。特にこのSW最新作には驚いた、後ジョセフ・ゴードン・レビットがカメオ出演している事実を知ってさらに感慨深いです。実は同じく「お祓いされる女」映画として(500)日のサマー (吹替版)も取り上げたいんだよね、要するになんだかやたらと拗らせてる恋愛映画の事を「お祓いされるヒロイン」映画として私は考えてたのさあ♡このところ。で、日本語の「お祓い」に対して100%見合う英語はやはり無くてPurificasionとは主に「浄化」という意味の方が適当らしい。より過激な(映画的といってもいい)表現だと Exorcism rite/厳密な(悪魔払い)儀式てヤツになります。さらに付け加えるとこの手の「お祓いされる」映画に登場する男のキャラクターは皆どこか「司祭様」or「牧師様」みたいな奴らばっかです。一見するとやや内気で真面目な二枚目だけど・・・てな感じ、そう沈黙-サイレンス- プレミアム・エディション(初回生産限定) [Blu-ray]でイエスズ会の宣教師演ってたアダム・サンドラーなんてのはまさにドンピシャで当てはまりますよね。大多数の古手のファンは💢、それまでSWに興味無かった新しい世代のファンが少しずつだけど出現している賛否両論の激しいけど(PC対応としてはバッチリな)SWエピソード8です。

あっという間に終わるSWエピソード5、長ーく感じる今回のエピソード8

 映画公開前にキャリー・フィッシャーハリソン・フォードと不倫していたとの告白をフォード了解の元に暴露するわ&その後急死という大事件が起き・・・私自身がスター・ウォーズ エピソード5 帝国の逆襲 リミテッド・エディション [DVD]観て、恋愛ものとしてちょっとドキドキしてたのは何だったのよ~!調子狂うわ~と感じながら今年の正月第1発目で観に行ったのでした。その所為か最初っからエピソード5とエピソード8はお互いが「対」の存在になるのかな?て印象が公開前からすり込まれていたみたい。んで、「帝国の逆襲」は観た人は皆一様に「あっという間に終わるんだよねエピソード5って」て感想を抱くのだ。そう、エピソード5は登場人物が皆「どSキャラ」揃いなのと不穏なラブコメから後半から急転換していって緊張したまんま終わっちゃうのが特徴。んでもってエピソード8はルーク(マーク・ハミル)が脇に引いているのはともかくもフィン(ジョン・ボイエガ)とローズ・ティコ(ケリー・マリー・トラン)の掛け合いやら唐突に出てくる子供達やらローラー・ダーンやらDJ(ベニチオ・デル・トロ)やらが一見するとバラバラな印象でそれにレイ(デイジー・リトリー)とカイロ・レン(アダム・ドライバー)のやたらと重たい恋の駆け引きがどどーんと乗っかているという・・・終わった後皆がっくり疲れる、観客の「M度合い」が試される(笑)映画になっているのだ。あのラストはしょうが無いと思いつつも辛い、ウチの息子も観た後にぐったり来てたもん。私なんかにはローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー MovieNEX [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray]と今回のエピソード8に続く流れは自然な感じはしましたけど。ただ最初観た時は個人的には面白いんだけどSWを見慣れていないヒトには「稚拙」に感じるヒトもいそうだわってのが第一印象。実際にはコアなSWファンほど「稚拙な第二創作」って酷評する方が多いようですね。

中国人に大不評だった

 あまりの不評に中国で途中打ち切りになったという「最後のジェダイ」。そりゃあティコ姉妹の美人姉(ベロニカ・グゥ)があっという間に去り、変わって天童よしみ似美人の妹ティコ(ケリー・マリー・トラン)がど根性で恋の勝利者になる展開なんでねぇ、アジア系全員がぁ・・・とは思わないけど中国の方々(特に男性陣)には気に入らないかも。私は彼女が気に入らない云々ではなく、SWともあろうものが学園物のラブコメのような、或いは下町を舞台にした人情時代劇or昔懐かしい西部劇のような展開をしても果たして善いのだろうか?という事には少し悩みました。ドメスティック過ぎるというかね。それまでのジョージ・ルーカス版(エピソード1~6)のSWというのはあくまでもダースベーダー一族の中での家庭劇で、共和国側の人たちは基本「脇筋」に置かれていたわけです。外伝で脇筋のキャラが主役/ヒーローとして活躍するようになり改めてSWのエピソード8も主役グループ以外のキャラクター達が本格始動を始めたということです。これを評価したのがUSの主要批評家とか日本の町山智浩氏って事でしょう、「正史」とは血族の物語でなくそこに存在する総ての人々もの、理力/フォースは総ての人々に恵みを与えねばならないってか。

じゃあじゃあ、伝説のジェダイルーク・スカイウォーカー」の扱いってどうよ?

 エピソード8におけるルークについての描き方が総じて不評でありまして、カイロ・レンとの間の確執よりもヒロインのレイについて彼女に対するフォローがなってないという指摘が多々あります。これについては私自身は「はぁ?」とか思っちゃうんですよね。スター・ウォーズ/フォースの覚醒 MovieNEX(初回限定版) [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray]から「最後のジェダイ」でもレイの出自や両親については観客に全く知らされていないのが困るんだけどね。彼女の内に抱える葛藤の内容を知ることなく、カイロ・レンとレイの間の二人だけの秘密としたまま彼らの駆け引きの行方に観客とスカイウォーカーは一緒になって付き合わされているのは確かに頭にはくるかも(笑)だったのかなあ?。もっと単純に「初心な女戦士が不良の元弟子にたぶらかされようとしている」に怒って間に入る老練のジェダイって考えればルークは別にヘンテコな描き方をされてるわけではありません。まあ彼って独り身の上にジェダイとしての正当な後継者さえも居ないように一見見えます。ただその代わり、遺伝子ならぬジェダイの意志を多くの人々に与えてSWから去って行くのでありました。その姿が、まるで「BAKUSHU/麦秋」における菅井一郎のようだったりしますし、小津映画での「THE FATHER/笠智衆」よりはかなり頼もしくてちゃんとレイを導いてますよ。日本映画に影響を受けた歴代SWエピソードの筈なんですが、黒澤明じゃなくてさっきから小津安二郎の話をしている私って変ですよね?

 で、それについては「後編」で詳しくまた書きますよぉ。

 TO BE CONTINUE !

 

 

 

 

 

 

トンデモ悪女伝説⑧ 「女神の見えざる手」のジェシカ・チャステイン

 

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 「ミス・スローン」と「女神の見えざる手

 この前(2018年5月時点)に見た「モリーズ・ゲーム」は同名実録本の映画化で出版された2014年には映画の権利が取得されたのですが、実際に製作が発表されたの2016年、その間にこの映画がジェシカ・チャステイン主演で作られておりました。その所為か「モリーズ・ゲーム」は同じ女優が主演しているだけでなく内容としてもやや影響が感じられて興味深かったです。「女神の見えざる手」にしても英国で起きた実際のロビーストの事件に触発されて脚本が執筆されたそう。新人の脚本としては業界から異例の評価をされたのも主人公のロビーストを女性にしたのが大きかったようです。映画を見た後、原題の「ミス・スローン」と邦題の「女神の見えざる手」、どちらがより内容を深く的確に表しているか考えるだけでもお話の構成というか、ヒロインのとらえ方で意見が分かれそうですが、今回私は邦題を推しますね。「ミス・・・」の方はひたすら謎のヒロインに関して興味を引っ張る感じ。対して「女神・・・」の方はヒロインと運命の女神を二重にかけています。冒頭に彼女がのたまう「常に先を読む」との主張がまず本気なのか「ハッタリ」なのかでも意見分かれそうだね。

理想を実現する為にしか仕事しません、鉄壁の意識高い系オンナ

 もともとは所属するロビー会社で社長のデュポン(サム・ウォーターストン)に銃規制に反対するキャンペーンをやってくれと頼まれたヒロインのエリザベス・スローン(ジェシカ・チャステイン)は頭にきて仕事を断るだけでなく自分のチームの部下ごと一部引っこ抜いて退社してやるっ、と告げてしまう。業界で有名な私が「銃規制推進派としてロビー活動やる気満々」のスタンスでアピールすれば、すぐにオファーが来るもんねぇ、てなもん。で、実際にNGOとかの活動を支援する系のロビー会社に迎えられるのだけど、デュポンや銃規制反対の団体の支持を受けている上院議員ジョン・リスゴー)達には「思い上がった馬鹿オンナ」にしか見られていない。だいたい世間的に一見善いことに思える事案ていうのは善いこと運動する人々に対するネガティブキャンペーンの格好の餌食になってトーンダウンし安いんだよ(笑)、洋の東西を問わず。だからスローン女史の張る銃規制のキャンペーンの方が資金の調達も手法からも大変。資金の調達というのは「声を上げる人間の懐具合」も関係するのですが、まず手始めに彼女は銃規制により興味のある女性団体、女性の企業家から潤沢な資金を集めて銃規制反対派にプレッシャーをかけるのですね。とにかくやたらと喧嘩上手、そしてソレこそがスローン女史が謎の女たるゆえんなのさ。主張があまりにもハッキリくっきりしている為「何故に貴女ってそこまで?」の疑問が表出する。スローン女史と一緒に転職するのを拒む元部下のジェーン(アリソン・ピル)との描き方の対比でも浮かび上がってくるのですが、個人にとっての仕事って達成可能な目標を決めておかないとヤバいですよね。だけどスローン女史の場合はあまりにもデカ過ぎるので達成可能を何処に求めるのかが不明なんであります。そして優秀だけど将来的には研究職につきたい為の御勉強の為だけにロビーストの仕事をしているジェーンを強く勧誘して彼女の態度を徹底的に引き出そうとするのもまた謎。スローン女史の転職先のスタッフで高校時代、校内での襲撃事件に巻き込まれた経験が心の傷になっているエズメ(ダグ・バザ=ロー)に対してもそうなんですが、スタンスがハッキリしていて頑固な女性に対しての働きかけがもの凄い。コレはと見込んだ女性を積極的にコントロールしようとし、男性に対しては多大な期待を押しつけずに費用対効果の高いプロフェッショナルを求めるのがスローン女史の一貫した仕事の流儀のようです。でも何でもかんでもプロに頼めば良いってもんじゃなかったあぁぁ・・・でスローン女史にとっての最大のピンチが。

名前に「Jr/むすこ」ってついている彼だから

 とにかく他人のトラウマや心の隙を狙って食い込んでいくスローン女史は自分の過去やバックボーンについては多くを語りたがりません。皆内心では変だなあと思いつつも彼女の過去について核心を突いた質問が出来ない。まだ彼女が20代前半に数年だけ国境なき医師団で活動していた事実だけは映画でも告げられますが、何気なくスローンにそれを質問した女性スタッフについてもデュポンの送り込んだスパイだとしてさっさと追い出してしまうくらい。んで自分の過去について語りたがらない彼女はまた他人への共感力が高く、また相手に合わせて話し方や情報を小出しにしていく・・・コミュニケーション能力の高い女性にはわりと多いタイプで、他人に気を使う親切で優しい性格の女だったりするんですよ。それが必死過ぎると先回りして自分の考えをごり押ししていくような「敵」からは油断のならない女になる。彼女は仕事で男性的に振る舞うのに疲れるので恋人は求めずに時々エスコートサービスを利用するのですが、彼らが無神経にもスローン女史の担当ではない青年を派遣してきても、次回にはその彼にチャンスをあげちゃったりします。とにかくすごく気持ちが荒れている為にSEXでメンテナンスしなければならなかったようなんですが、1度はキャンセルした相手を何故スローン女史次に指名するのでしょうか。男性だと1度「チェンジで」って言った風俗嬢を指名するなんて話は聞かないのですけどぉ(笑)。男性のプロフェッショナルには常に費用対効果を望む彼女としてはモチベーションの高い状態の人材の仕事ぶりに期待したかったのか、それとも「前回傷つけてしまって悪いと思った」くらい優しくて共感力の高い女だったからなのかは解りません。ただ「スペンサーJr」って名乗るその青年は自己肯定感とスタミナの強さがスローン女史の想定外だったようで、彼女が公聴会に出席する際に敵の切り札になっちまうわ、彼女を追っかけて「君の過去を知りたい」なんつぅ事を言い出すんですよ。困ったスローン女史「嘘ばかりついてた、生き延びる為に」とか言い訳しちゃう、まるで「過去の話なんて相手の気に入るようにでっち上げれば良い」と心得ているベテランの娼婦のような言動で危うく納めるのだっ。お金払ってるのは彼女の方なのに本末転倒感がスゴイというか、何を狙った皮肉(アイロニー)なんだぁ?・・・と少し悩みました。脚本書いたヒトは元弁護士でアジアに興味があり、韓国で英語を教えながら脚本執筆したんだそうですが、まさか韓日に共通する風俗業界文化とかホスト業界に強い好奇心があったりしてたらどうしようかと一瞬気になっちゃった(笑)。

 必要なのは出口戦略

 全米公開時はかなりの小規模で興行したのにも関わらずジェシカ・チャステインの演技はその年のゴールデングローブ賞の主演女優にノミネートされましたが、映画そのものの評価は賛否両論あるのそうな。確かに私から見ても終盤の逆転劇は「いくら何でもそんな都合良くいくかよ」な部分があるっちゃあるかなと。しかしスローン女史の最大の強みはヒトが心密かに望んでいる行動を促す、行動を起こす勇気を与えるという所に一番ありまして、彼女に促される人間は最終的には喜んで加勢してくれるのです。そう意外とヒトの良心とそして「聡明さ」にこそ期待して働きかけるのがミス・スローン、ある意味とんでもなく大胆なギャンブラーなのでありました。でもそんなギャンブルに打って出るにはまず「どんな結果になろうとも確実な出口戦略」をしっかり練ることななんですね。またこの出口戦略は「協力してくれる人たちを巻き込まない為」に必要なのでした。結局彼女って人一倍周囲の人間に気を遣う善い女みたいです。なので買春するのだけは向いていないかなと。ミス・スローンったら二枚目でも自分のタイプでなければ「チェンジで」って言える女じゃないんですから。

法螺あぁぁーな女⑦ 「こどもつかい」の門脇麦と西田尚美

 

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結局こんな時期に

 もう2017年の「ワー〇ト」だの「誰が観るんだよ」等の話題もとっくに終わった頃だとは思うんでけど、それでもこの映画片づけておこうかと。近所のシネコンで観たのですが公開3週目で既にガラガラで(私ともう一人同年代の主婦らしい方のみ)、見終わった後にコーヒー飲みに行った先のお店でジャニオタらしい女性が二人暗い顔をして話し込んでいたものですから「興行的には期待外れ」だった雰囲気が濃厚でした。そっか・・・と困ってネットで評判見たら案の定ぼろくそらしく、一人だけ(明らかにジャニオタではなくコアな清水監督のファンなのでしょうか)褒めているオッサンがいたので少しだけ勇気を出して、私も見終わった時「この映画嫌いじゃないかも」って感じたと言ってしまいましょう。そしてその後スティーブン・キングIT/イット “それ”が見えたら、終わり。 ブルーレイ&DVDセット(初回仕様/2枚組/イラスト・カード付) [Blu-ray]が劇場公開された折、予告編ではこの「こどもつかい」のBDがちゃっかり宣伝されておりました。(劇場に来ていた多くのお嬢さん方は思わず失笑)でもハリウッド版「IT」はとんでもなくゴージャスすぎる「精緻」なお化け屋敷の映画でありまして、少しだけ嗤っちゃうトコがあるんだけど嗤うのに気が引けるのよ。その点こっちは屈託なく嗤える予算リーズナブルだけど豪快なお化け屋敷映画なんですね。なんか中盤から終にかけて疾走感があるのに好感持ちました。(笑)

次々起こる怪事件

 映画冒頭にもう胸が悪くなるような小さい子供を虐待するシーンから、あっという間に子供を虐めていた母親は謎の死を遂げる・・・というエピソードから始まりいかにも日本のホラー映画あるあるな定番の展開だなあ、が一段落したところで登場するのが保育士でヒロインの原田尚美(門脇麦)。彼女は受け持ちの笠原連(中野遙斗)の母親がいきなり自宅マンションで変死してしまうのに遭遇し、連を自分の家へ引き取ってしばらく一緒に暮らします。尚美は新聞記者で(しかも冒頭の怪死事件について強い興味を持ち調べているっ)恋人の江崎駿也(有岡大貴)と同棲中なのですが自分自身もかつて死んだ母親との間に何かしらあったらしく、妊娠しているにも関わらす恋人にその事を告げられないとか、既に情緒不安定気味(割合こういう設定の主人公も日本のホラー映画あるあるですw)保育園の上司である園長の小松(西田尚美)に注意されっぱなしなのだ。実はこの映画、なかなかダークなホームドラマな側面があり中盤のドメスティックな子供達の受難が描かれているのが面白いんですよね、もっともあんまりやり過ぎると非現実的ホラーとしての緊張感が失われる危険性もあるし(そして心優しい人ほど観ていて辛くなってくるし)、おまけに肝心のこどもつかい滝沢秀明)の佇まいがあまりにも堂々&マイペースな為にギャップが激しいといおうか・・・「一体どうやって収拾つけるんだコレ」て少し心配になってきたところ、思いっきり力技で映画の雰囲気が転調を迎えるので、観ていてつい楽しくなってきました。(笑)

カンクローさん、カンクローさん♪

 そして尚美が自宅アパートに引き取った連くんは次第に「カンクローさん」から始めるヘンテコな童唄を歌い出します。このシーンがソレまでの映画の展開の前後を考えると非常にぶっ飛んでおり(笑)いかにも日本の住宅事情、「日本の家庭が持つノリ」を反映した非常に湿った(それこそクロユリ団地 スタンダード・エディション [Blu-ray]みたいな)ちんまりしたホラーから、土俗的な要素も加味してる+お化け屋敷系アトラクションなはホラー映画になっていくのでした。そう「こどもつかい」は昔、といっても1950年代くらいな?子供達に大人気でしかもとっても可愛い♡腹話術のお人形だったんだよっ。ある地方の資産家が自分の稼いだお金も元手に資産家の息子や地元の子供達を喜ばせようと遊園地を開いたんだ。そして子供に当時最先端の娯楽と文化を与えたかったんだよ、犬神家の一族みたいな強欲な金持ちとは大違いなのさ。でも結局横溝正史もビックリの災いが起こってしまうのね、いつの間にか遊園地に遊びに来ていた子供達がいなくなり・・・異国から招いた青い瞳の腹話術師で人形こどもつかいのパパのことを子供達の親がつるし上げると、突然サーカスから火の手が上がり全焼。焼け跡からは居なくなった子供達と子供達を守ろうとした腹話術師の焼死体が見つかった。それからというもの遊園地を作った資産家が亡くなり、遊園地が存在した村も高度成長から取り残されて寂れて過疎になって・・・とまるで祟りにあったかのよう。んで尚美&江崎はかつての遊園地だった廃墟を探っていってぇ、という風に行動を起こしてくれます。予告編でも印象的だったカンクローさんの童唄って元は総て「英語」でありまして、「カンクローさん」は「come from」などとなっています。(詳しくは映画見て確認してw)英語詞→日本語詞の改変のくだりはマザーグースみたいなのを思わせます。「青い瞳の正体は~」というのが、いかにもど真ん中ホラーです。

それにつけても「尚美/NAOMI」が決め手、もちろんタッキーもね♡

 そうです、90年代「学校の階段」シリーズにも出演していた西田尚美はジャパニーズホラーにかかせない存在なのです。「クロユリ団地」で結局一番怖かったのも西田尚美だったし。「こどもつかい」のヒロインの名前が「尚美」で、彼女がいい知れないぼんやりとした不安を抱えてるホラー映画には定番の描写である導入部にかけて、「貴女の考えすぎよ」とひたすらに日常へとヒロインを促しプレッシャーをかける。そんな西田尚美のお姿は「ひょっとすると貴女様こそジャパニーズホラーの女王様なのではっ」という気に一瞬させます(笑)。そんな西田尚美園長先生も映画の中盤から後半にかけてどんどんホームドラマにおける良き隣人たる面倒見の良いオバサンになっていくのもご愛敬。そして最後の最後にタッキーの「吊り芸」で決めるというのが若干不思議というか、それでも感動したというか(笑)見所はそれなりにいっぱいありました。以前にも書いたのですがホントにクロウ-飛翔伝説- [Blu-ray]って映画を思い出したし滝沢君ブランドン・リーより腹筋も背筋も使ってますよ観れば解るけどぉ。「魔女の宅急便」もそうだったのですが「CGじゃないのでビビらせる」事に興味あるんですかねこの監督。(その一方でCGアニメ映画を手がけるとかいう報道もあったけど)とにかく若くて体力あるうちにもう少しホラー映画で頑張ってもらわなければなりません。なんか滝沢君と相性が良さそう気もしたし。

 ジャニオタじゃなくてS.キングの「IT」が好きだっていう女子にも

 わりとお奨めします。確かに映画館でちゃっかりと「こどもつかいDVD」の予告をなが流した松竹の宣伝はどうなんだあ?とは一思いましたけどお。でも最後にこんな余計な事書くのは、その後一人で「IT」をシネコンに観に行った女の子がそれこそ「IT」に登場するような腐れヤンキーな若い男二人に嫌がらせ受けたという訴えがSNSで拡散されたのを読んで個人的に滅茶苦茶頭にきたので特にカンケーないけど此所でもしつこく記しておきたかったからなんだぜ💢。んであえてお若いお嬢さん達に映画館での鑑賞アドバイスをしますが、レイトショーに一人で行くならメジャー系のR指定映画に行くよりマイナーな映画にしておきなさい。レイトショーでマイナーな映画に行く若い男やオッサン達はオタクなので15歳以上の女性ならそんなに嫌な目に遭う事もないでしょう。ただし貴女から見て、彼らが奇矯に見える行動を取ったとしてもあまりじろじろ観察しないであげることです。お嬢さんたちの行動範囲が安全に広がっていく事を心より願ってます、こどもつかいだってきっとそう思ってるさ。

 

 

 

 

 BL版④ 「ヴェニスに死す」

 

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  いきなり古典&伝説の「BOYS LOVE映画」に挑戦しようとはっ

 思っていなかったんですけどね。でもこの間私も例の君の名前で僕を呼んで [Blu-ray]を観に行ってですね、ああやっぱりべニスに死すの二十一世紀バージョンなのね・・・と(文学作品としてにしろ映像版にしろ)感慨深かったものですから、今語るのがなのではと。それから私世代は思春期にビスコンティの映画ファンに予め徹底教育されたもんですから「ビスコンティの映画に出てくる女優の顔は皆どっかブスい」だの「いやあタジオ少年って顔だけで体つき胴長でイケてない」だのといろんな他人の錯綜した感想が頭に入り込み、正直自分としては結構キチンと観た筈なんだけど実ははっきりした特色とか印象がぼやけてんだよねと長いこと思ってました。この前久しぶりに観る機会があったんですがちょっと驚いたといおうか、ビスコンティって仏映画の巨匠ルノワールの下に助監督でついていたのは知ってたんですけど、どうも師匠ルノワールに対して影響という以上にトラウマになる程の衝撃っつうのを受けたんじゃね?疑惑が自分の中で浮上して一人で興奮してしまったからなのです。まあお試しとしてルノワールゲームの規則 ジャン・ルノワール監督 Blu-rayビスコンティ夏の嵐 [DVD]を交互に観てみては。だんだんと頭の中がグラグラして不安になってくるかも、特に山猫 4K修復版 [Blu-ray]のラスト近くに出現するたくさんの便器壺のシーンにゲッと感じた映画ファンならばね。

 青春が終わったと感じる年頃になると皆「わかってくる」のさ。

 主人公で作曲家のアッシェンバッハ(ダーグ・ボガード)はもう初老、たった一人でベニスで夏を過ごしにやってきた。海辺の海水浴を楽しみにホテルではアッシェンバッハ以外は家族連れがたくさん。その中にポーランドの貴族の一家がいてそこの長男がタジオ(ビョン・アンドレセン)。14歳で顔はもう彫刻かってくらいに端正なのに、姉と妹という女に取り囲まれた美少年はやることなすことが歳の割りに子供っぽい。そしてアッシェンバッハはタジオを人目見た瞬間に彼のことが頭から離れなくなってしまい、ためらいながらもひたすらに彼を見つめ続けるのであります。・・・というわけでいろんなヒトがアッシェンバッハ&タジオの関係についてあれこれ言及しますが、ひとつコレだけは言える事がある。「ベニスに死す」の観客は皆アッシェンバッハとタジオに一人の男の「過去」と「未来」を見いだすのですよ。んで観客は「現在」の位置に置かれている気分になる、だから終盤近く夕日が暮れていく海岸とコレラが蔓延するベ二スを慌ただしく出発するタジオ一家と白塗りに化粧したアッシェンバッハに胸が締め付けられていくのを感じるのさ。だいたい映画ではタジオを見つめ続ける作曲家アッシェンバッハと彼のたどって来た「創造と苦悶に満ちた生涯」を交互に見せつけられるからどうしてもそんな気分にさせられるよ。

 何も知らない少年の「うっすらとした孤独」とオッサンの「絶対的孤独」

 ホテルに来たアッシェンバッハはとにかく落ち着かない。彼はホテルのレストランに行くといつも一人用の正方形のテーブルにちょこんと座って、気づかれないように周囲の家族連れを観察している。必ずしもタジオ一家の事だけじゃないんだよね。レストランのテーブルは家族連れには長方形のテーブルを提供するんだけど角は丸くなっているのね。で、角の丸くなっているテーブルについている家族やカップルでは女性が中心。この映画の女性は〇、もしくは曲線という記号で表現されているのさ。べニスにやってくる貴婦人達は「優雅な丸い日よけ傘」をかぶり「丸い日傘」を指し強い日差しの中丸い日陰に居てくつろいでいる。対するオッサンはといえばアッシェンバッハに限らずだいたい海岸では四角いテントの下でもっさりと座っている。最近日本で公開された「スクエア」もそうだったんだけど、◇と〇が緊張感バリバリで対峙している映画って◇と〇に性差(ジェンダー?)のイメージを乗っける事が多いです。そしてビスコンティの映画ではだいたいそれをやっていて、そして殆ど初めて本格的にやったヒトではないかしらん。タジオのお母様で優雅な日傘を指して優雅にスカートを翻し、顔は薄いベールで覆われたシルヴァーナ・マンガーノはとびきりお美しくて落ち着いていて充足していらっしゃる。ビスコンティ映画の女性はスカートとかの衣装をくるくる翻して動く時とか娼婦とかがベットの上に丸いペチコートを投げ出す時とか・・・そんな風にしているシーンが一番美しい。とにかく女性は存在自体が〇(円)なのよ。「夏の嵐」撮った時のビスコンティはまだ若かったからアリダ・ヴァリはスカートをくるくる回して動き回り、四角い木製の扉にもたれて怯えと激情にかられている時が一番美しい姿なんで顔のアップがブスいとかはどうでも良いの。(笑)そんな◇と〇の対比が一番劇的に表現されているのが「べニスに死す」かもしれない。海岸を歩くタジオはオッサンどものように四角いテントの影に避難するでもなく、「鉄壁な丸い影」のご婦人たちも不思議な他者でしかないからただ一人帽子もかぶらずほっつき歩いている・・でそれを涙をこらえつつ(かもしれない)見つめているアッシェンバッハ・・・なんでなんで?俺だって昔は彼みたいだったんだよ~って思って泣きたいんだよ、オッサンはっ。んでタジオも思う、アッシェンバッハとホテルの混み合ったエレベーターで思わずオッサンの顔を見つめ返す「ねえオジサンもさあ、今僕と同じ事考えていない? 此所って何だか退屈だよね。でも何故退屈なのかは僕はよく解らないの。オジサンは解るの?」・・・って感じ。ロリータはオッサンにはこんな事決して尋ねないよ。うっすらとした未来への不安と好奇心に駆られた美少年だからオジサンに尋ねるのっ。もうコレでおっさんの胸はずっきゅーん♡、てきちゃうのさああ!私は以前から感じていましたが、おっさんの中には「若い男の子に真剣に質問してもらいたい」欲望があるみたい、同様の内容でも女の子に質問されるばっかりだと寂しいのね。おそらく「おっさんずラブ」の仕事一筋の吉田剛太郎も部下に質問されたくてしょがないヒトなんだと思う。・・・つまりですねぇ、同性愛にはまずナルシズム/自己愛が根底にないとねって事です。

昔はすっごく可愛かった時の「俺」の残照を愛してしまう

 タジオ君の有名な「海岸のポールをもてあそびながらアッシェンバッハのオッサンをちらちら横目で見つめる」のシーンは演じるビョン・アンデルセンの顔だけ美青年のアンバランスさもあって以前はジルベールばりに男を誘惑するエロ子供のごとく言っているヒトも多かったです。(それを煽るように当時ビョン・アンデルセンはこの映画出演以来まるっきり消息不明のように喧伝されていた)しかしながらタジオ君はとにかく子供っぽい、トーマス・マンの原作ではタジオ君10歳くらいの設定ですから。映画では年長の少年と何かあったりして同性愛っぽい雰囲気も醸しだしつつ、同時になんだか無様な一面もある。顔があまりにも端正過ぎるので頭が良さそう、利発で才能がありそう、にみえないんですよ。でもだからこそ「昔すっごく可愛かった時の俺」の姿を彼に重ねたんじゃないかな、ビスコンティは。タジオ君が砂でできあがった「城」に入れ込んで凄くああしろこうしろと年少の子供たちに指示するシーンが挿入されているんですが、印象に残ります。「砂の城」はルートヴィヒ デジタル修復版 [Blu-ray]の主人公が作ったお城を思わせるくらいやたら精密なので驚きますがこの監督自身が生まれながらの貴族の出で城に関してのこだわりが映画のシーンのごとく幼少の頃から強かったかも、と考えると、ビスコンティ映画に登場する豪奢なお屋敷やお城が総て「なんだか悲しくて黄昏れている」ように思えて、また胸がしめつけられそうになります。でもソレがBLなのかそうじゃないのかは自分でも解らなくなってくるから不思議です。