お祓い/Purification される女 ④ 「奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせガール」の水原希子

 

 しかしタイトル名が長すぎてめんどくさい・・・

 以前にも書きましたがちょうどこの映画が劇場公開された折、「まだ首相でいたいボーイとすべての政党狂わせガール」というキャッチーなコピーをネットで見つけましたがそれ以上のできの良い換えフレーズがなかったってのが、この映画のやたらと面倒クサい部分を象徴しているような気がします。だいたいどうして奥田民生になんかなりたいのさ、若い男が。そこが当初から疑問だった。(笑)当然奥田民生になりたい理由は主人公コーロキ(妻夫木聡)にはキチンとあって映画冒頭にヒロインの天海あかり(水原希子)に延々と話すのですが、じゃあ奥田民生みたいになった自分って具体的にはどんな人間に出来上がるのか?というのはイメージがワカナイ。コーロキは編集者なのですが男性誌から出版社の看板であるスノッブなオシャレ雑誌「マレ」に移動することになり戸惑っている。名物編集長の木下(松尾スズキ)は多彩な個性の部員が欲しくてコーロキみたいな一見するとダサい感じの自分にもそれなりに期待はしてくれている様だけど、やっぱり慣れない。そんな落ち着かない引き継ぎ期間に取材先で出会ったのがアパレル会社の広報担当のあかりだったのさ。しかしながらこのあかりちゃんという娘、超ほれっぽいとおうかそこまでイージーにコーロキの告白承諾して大丈夫か?って感じ。(500)日のサマー [AmazonDVDコレクション]のサマーと一見似ているようであかりはだいぶ違います。両者とも相当に変わってますが、正直私自身はサマーの方がまだ親近感がわくといおうか話相手くらいにはなれそうな気がしてます。あかりはもう同じ女性だとしてもまったく別の生き物のようです。

猫のような女が好みのタイプなんだそうだっ

 あかりはコーロキとあっさり付き合う事に決めて、さっさとイチャイチャ初めてしまうけど、実は直前までコーロキの先輩編集者のヨシズミ(新井浩文)の彼女だった。特に理由もなくコーロキにアプローチされたから彼氏を取っ替えただけなのだ。普通の頭で考えたらあかりという女の子に不信感を感じても良さそうなもんだがコーロキはあかりに目がくらんで彼女の言いなりに振り回される・・・。しかし今どき大手出版社勤務の雑誌編集者って肩書きだけでもモテそうなのにぃ、何故?て観ながら思っちゃった。良い仕事についてるエリートなのに此奴らそんなにも普段モテないのかと。役柄が同じ編集者というだけで潔く柔く (2枚組 本編BD+特典DVD) [Blu-ray]に出てくる岡田将生だとかと比べてしまう。あんなんでモテるならこっちの映画の編集者だってさあ、てちょっとだけ思ったのだった。まあ互いの映画の演出の仕方によって独身男のむさ苦しさの表現が違うのだけど(笑)それだけじゃなく「奥田民生になりたいBOY」ですから当人の理想がかなり高めなのもおそらく一因、ってコーロキには自負もあるだろう。木下にあかりとの交際について相談して「猫のような女がタイプなんだよね」って互いに話し合ったりするし。でも21世紀を生きる大半の若い娘にとっちゃコーロキやヨシズミ、木下のような面倒なこだわりを抱えた男達は意外に恋愛の対象外なのかもしれない。下手すりゃ彼ら以上に面倒なこだわり屋のコラムニストの美上ゆう(安藤サクラ)のような女しか見当たらないのが、コーロキの周辺なのだから。

映画見る前から気になっていたのが

 この映画最初YOU TUBEで予告編をたまたま目にして「こんな映画誰が観に行くのだろう?私くらいしか居ないのでわ」と思ったんで観に行くことにしたのだが、公開前からムック本なんかも出てた所為か劇場ではそこそこ女性客が入っていた。実は観に行こうと思った理由のひとつに「ひょっとして映画後半からカジュアルな松本清張的サスペンスがあったりして」という期待があったの(笑)。コーロキとあかりに怒ったヨシズミとかさあ、いいぞお松本清張チック!と一人で盛り上がったのは良いんだが、話の締めはどうするのだろう・・・やっぱりアレは必要だろうアレはでも舞台は都内だしぃ、とゆうことだけ気になったのだ、そう松本清張に代表されるような日本の男女サスペンスに必要なのは「崖」じゃないですかあ、何といっても崖(笑)。男女間の激情を表す山の崖もよいけど(昔のあの頃映画 「事件」 [DVD]とかさ)松本清張原作だとなんと言っても海岸の崖モノ♡、諸行無常ってゆうか。実は2017年度に公開された邦画って「崖映画」が結構あったのだがこの映画のクライマックスにも崖は登場する。ぶっちゃけそこでアタシは狂喜したよ(笑笑)!!オサレな都会のど真ん中にも崖あったね~段差はスゴーく小さかったけれど、水はちゃんとあったし、哀れな男がちゃんと墜落していた。

ほろ苦い「サクセス」

 元から大根仁監督ファンの男性にはこの映画あんまり評判が芳しくないようなんだけど、その手のタイプほどラストは見応えあるんではないだろうか。まずコーロキはあかりには手痛く振られるけど、結局は仕事でもプライベートでもとりあえず成功を収めるんだよ、でも飛び上がる程の幸福感が感じられない。コーロキにはそんなつもりは無かったし、ただ好きな事がやりたくて名声が欲しかったわけでもないのに「マレ」に移動した時に自分には無理だと気後れした「センスが良いけど自然体」な業界人にいつの間にかなっちゃっているから。何だか嘘ついて生きているような気がしてしょうがなくてひとしきり立ち食いそば屋でコーロキは泣くんだけど、正確には「ためしにちょっと泣いてみる」んだよね。そんなコーロキの姿を冷徹な目で観察している「あかり」の表情で映画は終わるのだ。だからこの映画は終始ハードモード。あかりって女はもう存在が都市伝説て言っちゃって話終わらせているんですね。しかしこんな女世の中に居ますかね?でも日本の何処かには確実に居るんだろうな・・・と思わせる、結構リアル。少し前だと比較的高学歴で良いトコのお嬢さんで育った作家の小説やエッセイ等には登場するタイプの女でもあります。日本にだってエスタブリシュメントは有りますし、エスタブリッシュメントの家族一族が支配階級であり続ける為にはあかりみたいな娘が絶対に必要なんですね。自分が他人と比べて能力が抜きんでる必要は無いけど、抜きんでた能力の持ち主を自分に引き寄せてコントロールする能力は身につけないといけない、でもリーダーシップを取ってると気づかれちゃ困るからぶりっ子するという。ハリウッド映画に代表される日本以外の映画だと「ファムファタール」とか言ってポジティブに持ち上げますが、邦画だと隠微でなおかつ最も狡猾な悪女の部類になります。

 それにしても最近作の「SUNNY強い気持ち強い愛」の池田エライザにしてもそうなんですがちょっと度外れたスケールの女性のキャラクターを所謂「純粋日本人」には到底見えない容姿(水原希子池田エライザも両親の片方は外国人です)の女優に任せるのはまあしょうが無いとは言えますが、水原希子の場合は特に母親が(おそらく在日の)韓国人で父親がアメリカ人で幼い頃に両親が離婚しているというおよそ日本ではエスタブリッシュメントとは無縁の環境で表舞台に進出してきた彼女なのに、この役なのね。皮肉だなあとは思ったりもしますが、その所為かあかり役の水原希子なんとも言えない孤高なる姿はちょっとだけカッコ良いなと思いました。