お祓い/Purification される女 ⑤ 「ピアニスト」のイザベル・ユペール

 

ピアニスト (字幕版)

ピアニスト (字幕版)

 

お前とらぶ♡ぼくしんぐ、とことんらぶ♡ぼくしんぐ

 よく女性が書くブログやSNSに出てくるようなクズ男の描写だと「日頃アタシに何も連絡くれなくてちゃんとした彼女のような気がしてなかった今日この頃突然暇だからと急に呼び出されて来て会ったらいきなり押し倒されて終わるとまた急にアタシに興味がなくなりしょうがないので別れて夜道を一人とぼとぼ歩いて帰っています。アタシは今とても哀しい」・・・等とゆうのを偶に目にする方が居るかと思いますが、まず書き手女性のネタ(悲恋ポエム)だと考えて良いと思います。「ピアニスト」の監督ミヒャエル・ハネケはこの作品をメロドラマのパロディだって言ったそうですが その彼が想定しているようなメロドラマが上記のネットに溢れるような女性の想像する「酷い男との恋愛に傷つく女」のお話。言い換えると20世紀的には中島みゆき風一人芝居、蓮實重彦センセ言うところの19世紀的なメロドラマ、と言い換えることも出来そう。あのさ女性も充分に社会進出してんだから俺らだっていつまでもそんな都合の良い「クズ男」なんてやってられないよ、っていうのが実はこの映画のヤバい所です。原作小説があってどうも作者女性の実話を元にしているらしいという噂(学生時代には演劇、美術史を研究しつつオルガン奏者として二足のわらじをはいて活躍してた才女なんだそう)がある、ソレ踏まえると告発でもあるので中には観たらショックを受ける女もいそう。現実はとことん残酷なのさ。

偶然だってひょっとすりゃ運命、俺とお前は闘う宿命

 冒頭ヒロインのエリカ(イザベル・ユペール)と母(アニー・ジラルド)の親子喧嘩シーンが結構長くあり、注意深く2人の芝居を観ていないとこの母親の娘への締め付けの内実が結局何なのか21世紀の日本人の感覚では掴みづらいかもしれません。まず原作者のエルフリーデ・イェリスタという女は自分の家庭の事情で心身が辛くなり、精神科医の勧めで創作を始めたのだそうで「ピアニスト」の発表は1983年、でも映画はだいたい映画公開時(2000年)のウィーンの世相を映していると考えた方が良さそう。・・・というような事を踏まえますとエリカ母の理不尽な態度というのは自分の娘に対して「自慢の娘と夫の身代わりと自分のライバル」像を託している事からくるもので、お母さんはとにかく混乱してて娘に頼り切りのようなんですね。エリカの父親は精神を病んで病院に長く入っている。エリカと母親ではこの「父/夫」の存在の重要性は全く違うというのも映画後半描かれるのですが、そこは今の日本の毒母と娘の状態のケースとは似て非なるものかもしれません。「ピアニスト」を観るとオーストリアの家父長制は日本のソレとは比べものにならないくらい強力で強権だと云うこともよく分かります。そして若くハンサムでやたら快活にエリカへアプローチするワルタ(ブノワ・マジメル)という男は強力な家父長制度をもった社会の男性代表みたいなヤツ。彼はピアノ教師一筋で地道にキャリアを築いてきたエリカを圧倒する。大学で電気工学を学びスポーツもという文武両道、さらにピアノにも才能豊かで音楽大学の教師達に絶賛されてしまうのさ。んでエリカにピアノの講師を懇願してくる、口説きたい気満々で。どうして40手前の女に25の男がガンガン言い寄るのかが説明ないのですが(ただ似たようなシュチュエーションで年下に追いかけられている女性を間近で見た事はあるので)時々はあるんでしょうねこうゆうの。

何時でもお前は笑ってるの、ギリギリの距離でかわされるのっ

 「ピアニスト」は他の方の映画系ブログでもいくつか在りますが、女性の書き手は圧倒的にヒロインへの性被害に激怒していますし、男性の場合は「ものスゴく夢中になったのに年上の女が裏切り続けるので怒った若い男が罰した」てな風に話の顛末を(アマゾンレビューだったかな)解釈してました。そのレビューを読んだときは映画未見だったので何のことやら?と思ったんですが。・・・まあ主にエリカ様の性癖が拗れきってしまって喪女状態がスゴすぎた所為だからでしょう。でもワルタ君はエリカ様の告白だとか手紙だとかを全く信じていないし最後まで理解にしてないのですが。エリカは長いこと男性ばっかのポルノショップに出入りしたりカーセックス中のカップルを覗いたり、覗いたりしてる時に失〇するとかぁ・・・ポルノ施設にいる周囲の男どもも彼女に引いてしまって声をかけられないくらいの彷徨ぶりでウィーンの夜の街を過ごしてきたからです。ピアノの教え子に対しても女の子には優しく男の子には徹底的に虐めまくってマウントする。もうこのくだりでワルタ君に「君もまだ若いんだから考え直せ」って云いたくなる人も続出しそう。内気な露出狂の変態オッサンの女体化みたいなのを映画で見せられてもちょっと困るって気になりますが、そんな自分が哀しくて涙を流すイザベル・ユペール映画の中でも一番綺麗だったりする瞬間だったりするから尚のこと戸惑う。そしてエリカはワルタ君にはこのような姿は見せてはくれません。てか彼はエリカの話を終始聞かない、彼女が思いきって「自分はド変態でドMだからアナタは何時でも終にして良いのだ」と暗に打ち明けるつもりで手紙書いても怒ってエリカの家に押しかけるだけ。彼女の家だって教えてもないのに自分で後をつけて探しだしたとか平気で言っちゃうし。(駄目でしょ)

か弱い身体/BODYにくらわせるの、覚悟を決めろよ(イヤ犯罪だから、それは)

 エリカはワルタに言い寄られて自分も寂しいので、つい受け入れてしまいそうになりますが、何せ実態は「痴女だけど喪女」だったりするので彼にバレるのがひたすら怖い。なんで一か八かでトイレで彼に出来うる限り満足させてやる、なんつう事してしまいます。これがヒジョーに緊迫感のある男女のやり取りというかどっか清廉な青春ラブコメ風なのか?で描く。ワルタはエリカにいきなりズボン下ろされてパンツに手ぇ突っ込まれてパ二クっている表情の上に何故か「可愛いピアノ小曲」みたいなBGMが乗っかるのがヘン。でも終わったらワルタがヒャッホーって喜んで小躍りしちゃうし。後、最後にもう一回ヘンテコなBGMが印象的に鳴り響くシーンがあります。これボクシングのゴングのつもりなんじゃないかと私思ってる。男と女の間の格闘技こそが恋愛で何ラウンドも続いていくから快楽もあるんだぜ商業的ポルノグラフティなんかくだらない!って手厳しい文明批評な感じもします。が、エリカとワルタのバトルはトイレ内での激闘のワンラウンド後、エリカ様のピアノ個人教授シーンに移り、数分に及ぶワルタのピアノ演奏とか(ブノワ・マジメル特訓したそうで演奏見事です)なんだか妙なアングルとか2人のコントみたいなやり取りとか、もしもここんとこ高尚なポルノだったらどうしよう(笑)と心配になるほどケッタイだったりするので・・・(..;)。

アッパー出してよ、俺のことグロッキーにしてよ

 トイレでの己の勝利に酔いしれたのにエリカとはこの後曖昧にかわされるばかりだったり、延々と理屈をこねられるし、誘われているの俺はちっとも気持ちよくならないし、で徐々にワルタは不機嫌になります。エリカはエリカでそれでもうしょうが無いなって感じであきらめてしまう。エリカの家では父親が入院先で死んだという知らせが入り、母親が動揺し、なおかつ止めた時間がまた始まったように娘への態度が変わっていく。そういや娘は好い加減恋人ぐらい居なきゃおかしかったわあぁぁぁって。でもなんだか母娘ともあまり深く考えたくないしぃ・・・とボンヤリしてた所へ、いきなりワルタが殴り込みをかけてくるw(という表現が一番ふさわしいかも)。エリカと彼女に感情移入して観ているタイプは彼が彼女に怒ってとっくに興味を失っていると認識しているタイミングなんですよね、それなのに「散々じらしやがって何のつもりだコッチは全部お前の為にやってんだぞ」ってわめき散らすのですから、女の方は訳が分からない。第一ワルタのやってることはエリカ様の言いつけなど一個も従っていないし。ホントに女の話を聞かずに何時になったら本番のセックスが出来るのかどうかしか頭になかったらしい。ただの鬼畜野郎です。あと事が終わった際に「この事は他人に言っちゃ駄目だよ」とまで言い放つんだわ。エリカのおっかさんときたら娘に起きた事把握してる筈なのに、若い男の蛮行の恐れおののいて全く役に立たないし、もう無茶苦茶。例えば小津映画だったら娘の家の外でひっそりとハッキリ暴力的に描かない事を家の中でやっちゃうんでヤバすぎですし、悲惨。エリカ様は当然💢に震えます。

そして次のラウンドへ

 映画のラストはエリカのピアノ演奏会で、エリカはワルタを待っていると(彼女はぶっちゃけ彼が自分に完全に飽きてしまって内心来ないのではと気にしているので)すっげー自信に満ちあふれて爽やかなイケメンそのものでエリカの前に登場し「今日の演奏期待していますよ」と告げます。んで絶望したエリカが自分の片腕をナイフで刺して映画は終了。何じゃソレって思います? 付け加えると、ワルタが登場する直前に妙に甘えて媚びた女の笑い声が響くのですよ。エリカ自身が気づいているかどうかは解らないんですが、とにかくゴングが鳴って学ばなければならないの今度は彼女の番という事らしいですね。ひょっとしたら彼女が与えられる番になるのかもしれませんが、相手はなにしろとんでもなく自分勝手な野郎ですし。それとワルタと差し違えるの止めたからって何故自分の腕を刺すのだけは解らなかったは私だけですかね。(まあそれまでの経緯を考えるとヒントは在るかもですが)