ミセスな女 ⑤ 「プリンセスと魔法のキス」のディアナ

プリンセスと魔法のキス ブルーレイ(本編DVD付) [Blu-ray]

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 興行成績が今イチ悪かったのは・・・「プリンセス」のせい?

 「この作品がディズニー映画ではセルアニメーションで製作される最後の一本になることはほぼ間違いないでしょう。なので、我々は完全CGではおそらく到底達しえないレベルまで行こうと最善を尽くし、今まで以上に音楽とアニメ映像の融合を目指しました。結果として子供向きとしては内容的にやや難解な部分が生じたかもしれません。しかし後の時代に残る映画を作ってその記憶を継承していくのも、大事な企業ブランド戦略と考えています。」・・・私がディズニーの幹部だったり、プロデューサーだったらこうやって株主やマスコミに説明するけどな。まず映画の原作として一応「カエルになったお姫さま」というグリム童話の「カエルの王子」のパロディーみたいな児童文学が米国じゃ存在するらしいし、ソ連のアニメにも「カエルになった王女」という作品もあってこれについても内容的にかなり戴いちゃってるしね。プリンセスという冠をNothingにする方が無理があるんじゃないかって気がしますけど。2010年当時のお子様の間には「アニメ映画っつたらCGじゃなきゃB級じゃん」という認識が既にあったかもしれないんですが、自動車が擬人化されてアニメキャラになったり、カラフルなモンスター達が跋扈する作品と、華麗で流麗なプリンセスを表現するのでは訳が違いますからね。この後公開されたディズニーCGアニメでやったカチコチのティンカーベル観たらきっとお子様たちもその辺すぐに理解したろうに・・・ホント変なのっ!

 「女の子は皆プリンセスになれるのさ」VS「プリンセスなんかに憧れるなんてバッカみたい!」

 ヒロインのディアナは幼い頃にグリム童話の「カエルの王子」の絵本をお母さんに読んでもらっても、「カエルにキスしなきゃいけないなんて気持ち悪ーい」という感想しか抱かない。でも一緒になって聞いている幼友達で金持ちお嬢様のシャーロットにとっては運命の王子様のような相手と劇的に結ばれることが一番の夢なのでディアナの横でうっとりしちゃう、まだほんの小っちゃい子供なのに。このワンシーンだけで米国の市民の意識が富裕層とそうでない階層(黒人層とその他の少数民族)でハッキリ隔絶されているのが判ります。米国といえばアメリカン・ドリームで今や21世紀なんだから、女の子だって大きな夢は持つのは当然なんですがどうもエスニック色の強いコミュニテイで育った少女達ほど結婚よりキャリアに執着するのがエスニック社会の仕切る年配オヤジ達の危機感をあおるのらしいのさ。ニュースでもたまにやるけど中産階級化した黒人社会において今一番の悩みは高学歴で優秀な黒人女性ほど結婚したがらないということなんだそうだ、へぇー。でも黒人社会だって富裕層ともっと大多数の貧困層に分断されているわけだし、少しでもそこから抜け出す若者が出ることこそ取りあえず優先させたら? なあんてリベラル系やフェミ系の人達はすぐに言い返しそうですけどね。そんで成長したディアナはお母さんに「孫の顔が観たいのよ」と言われても亡くなった父親の夢だったレストランを開くことで頭がいっぱい、王子様なんかよりレストランにふさわしい物件をただ求めているの。怠け者で王家から勘当されたナヴィ―ン王子のとばっちりでカエルにされるなんて災難以外の何物でもないのさ。それこそ沼地のゴッド・マザーともいえるママ・オーディー(全米の黒人女性で一番のお金持ちに成り上がったTV司会者のオプラ・ウィンプリ―が声優)の強力なお説教にも何言われてるかのかディアナには理解できない。でもさ、漠然と自分の将来を模索中〜てな感じで、「金髪もブルネットも赤毛の娘もいいよねぇ♪」と謳うばっかりのナヴィ―ンよりデイアナの方へ「アンタ、それじゃあまずいよ」ってママ・オーディーが断言するってのも実に強硬な態度だよね。独身女性に対して半端ないプレッシャーかけるんだね全米の年配層って奴らは。思春期前からMTVで白人女性と遊び回ってる黒人ラッパー等を散々横目にしながら一生懸命勉強してさ、キャリアを積んでさ、しかも怠け者で能天気でしかも同じ人種の男の尻を叩いて立派に家庭を作って「黒人としてのアイデンティティーを守ってくれ」なんて要求されたらしまいにはキレるってば。(そんなんじゃ同性愛に走る黒人女性が増えるのも無理ないのか・・・)

具体的な道筋が見出せるような「夢」を実現しよう

 この映画の監督や脚本家は90年代に「アラジン」をヒットさせてその後ディズニーを出たり呼び戻されたりといろいろあった人達なんだそうで、もうセルアニメの時代じゃなくなるだろうし、どうせこの後俺たちはリタイアするしかないんだろうけどこの機会だから後継の若いモンに対して映画のエンターテイメント何かという俺たちなりのお手本とかなんとか考えたんでしょうか。どう客観的にみても近年のディズニーアニメとしてはダントツの傑作と言って良い「プリンセスと魔法のキス」だけど子供向けにしてはかつてない程何でもかんでも描いちゃうのでした。だって「絶対善キャラを殺させないディズニー」作品の中で最もあっけなく悲しすぎる死が登場するんだもん。蛍のリーは南部育ちで大家族のコミュニティで育ったガッツな若者(歯抜けだけどね)。本人はだいそれた夢を見ているつもりなかったんだけど、彼にとってあこがれの彼女(蛍)エバンジェリスタが実は夜空に輝く星だったなんて知らなかったのだっ。カエルになったディアナ&ナヴィ―ンやジャズのアーティストになりたいワニのルイスを力強くサポートしていたリーの最後は小さいお子様たちにとっては「・・・でもしょうがないよね、リー」という漠然とした哀しみと思索のきっかけを与えるし、いい歳した大人にとってはオイオイと泣けるものだし、そして困ったことに思春期から35歳ぐらいまでのヤングな男子にとっては哀しみを通り越して怒りを覚えるかもしれないくらいのインパクを与えるのでした。皆さん、実現できる手段が見いだせるような「夢」を持ちましょう、ちょっとした考え方や観方を変えるだけでそれは実現できるかもしれないよ、自分が生きているうちは実現しないのに何故だか死後に達成できるものもタマにはあるけど。・・・いやあ深いですね、深くて&過激っていうか。過激すぎて映画公開後ディズニ―内部で仁義無きプリンセス抗争勃発みたいなマーケティング戦略を飛び越えた世代間対立とか起きてたらどうしようかと心配なくらいです。

 原題は「TANGLED」って言うそうだけど・・・

 日本人には随分と殺伐とした印象を受けますけどね。でも新生ディズニーとしちゃあ男性にも今以上にアピールをしたいというんで、ラプンツェルの髪の結び目がもつれるのと、事態が込み入って混乱してくるのをかけたのさ。(ちなみに「アナ雪」のタイトルも英語圏じゃ「FROZEN」だもんね)タイトルのつけ方といい、内容といい殆どディズニー印と謳う必要があんまりないような正調ハリウッド娯楽映画です。まあ、平均以上には楽しめたんですけど。ヒーローがフライパンを武器にして戦うようになるのを取ってつけたように感じるのは私の性格がへそ曲がりだからでしょうか?