2022年度公開では私的なベストワン
コロナ渦が極まった2022年は劇場公開映画の環境が非常に劣悪で異常な圧力がかかっていた一年でありました。この映画を鑑賞しようとした日もあまりにもヘンテコな事が劇場でも予告編でも頻発し、却って映画内容の衝撃度が高いんだと改めて認識したくらいです。「芸術的で美しい映像のドキュメンタリー」という感想もありましたが。実際はかなりジャーナリスティックで日本人には思いもつかないような中東の内情が、細かい説明のなく次から次へと提示されます。それらをつい推理したくなりますが、私が思うに中東に生きる男性達の人生はホントに厳しいものがあるわって気がしてなりません。
冒頭の「日本の女性なら激怒しそうな」長閑な新婚夫婦の姿
どこの国なのかは不明ですが、石畳が立派な古都といった町並みに若い夫婦が住んでいて夫が夜の街を太鼓を叩き歌を歌いながら家路をたどるというエピソードから映画は始まります。夫が歌う歌詞には「妻となる女が結婚してくれとウルサイから」などという古風なそしてなおかつきわめてアジア的な箇所がありますが、ソレを唄いながら若くて可愛い新妻が待つ居間へたどり着く夫は心から嬉しそう。でも私を含め日本人の女性からすると「この人達いつまでもこんな認識が当たり前で良いのか大丈夫なのか」って気がしてしょうがないし、実際にもそんな長閑な人生があっという間に壊れてしまうのが現代の中東には至る所に起きるであろう・・・というシーンに変わっていくのでした。
草原の鳥追いの少年と中東のどこかにある精神病院の男達
映画のポスターにもなった少年はだだっ広い荒野の街道に一人立ち尽くし、やってきたジープに乗り込んでいくシーンから登場します。数々のエピソードから少年の身の上や生活がぽつぽつ語られていく。少年の住む場所はおそらく紅海の湾岸エリアで、女性達は港に集まって仕事をし(ただし全員が黒いチャドル姿です)少年の家には母親らしき世話役の女性と少年よりも年下の子供が生活していますが少年や子供達の父親はおろか成人男性の姿が一切登場しません。二回目に少年がジープに乗せられたどり着くのがホントにアラビア半島に実在するのかと思うような緑の大草原で、猟師の男性が打ち落とした鳥を走って取ってくるのが少年の仕事、に驚きです。それにしても古風に見え、あまりにも物寂しくみえる美しいシーンに裏に「少年に日常生活で対峙する成年の男性がこの猟師の男だけだったら」という事実があったらちょっと心が辛くなってしまいますね、なんか不穏で心配。
大草原の鳥追い少年のエピソードと交差するように続くのは精神病院に入院している三人の老境にさしかかっている男達。精神科医は彼らに自作のシナリオに基づいた演劇を練習するように指導します、そしておっかなびっくりそうに台本を読み込み芝居にうちこもうとする男達。病院はオアシスにある豪華な邸宅風のロビーなども存在し三人組の他には患者も存在しなさそう、彼らは一見して手厚い治療を受けていそうなのですが、病室にあるテレビで流される「イラクとクェートの戦争映像」には三人とも皆落ち着かず常にパニックを起こしている。日本人の我々には全くさっぱり理解できないのですが三人の男達の身の上がもし「クェートで捕虜になったイラク・フセイン政権の軍幹部とか政権幹部」だったらひょっとするとこんな感じなのかもしれません。今更湾岸戦争についての戦後処理をやりたくて旧フセイン政権を担った人間に興味を持つのも、クェートの人々しかいないだろうし。それにしても彼らに姿が哀れなのは過去に怯えるとか罪の意識にさいなまれるというのはなく、男性としてのアイデンティティを何処に求めたら良いのかが解らない流民としてなのです。
クルドの娘たちとシリアの老婆に甘える娘
男達とは対象的にひたすらにキビキビと、そして抜け目ない姿で登場するのは中東の若い女性たちです。クルドの女性部隊は皆で受けた訓練の内容をひたすらに反芻し軍務の準備にはげみ「私たちは出来る」とそれぞれに自らを鼓舞していきます。そして皆若くわりと小柄な乙女達といった風情。それでも夜間に作戦を実行していく彼女たちはホントにプロフェッショナルな兵士。映画は彼女らが特に何かをする事を映し出すわけではありませんが、若い女性たちはこうして屈託なく、より自分が自由にそして自分らしく在るための環境へ適応していくのだなあ・・・自分が生まれ育った土地への思いにもケリを付けていくのかしらんと感嘆してしまいました。そんなクルドの女性部隊に感心しているとシーンはいきなりぶった切られて、内戦でがれきの町並みのなかにひっそりと生活している老婆の元に若い娘の電話が掛かってきます。娘は一方的に話しまくり金銭の無心をするのですが映画では彼女のくどくどとした言い分が荒れきったシリアの惨状の光景と被さって描かれるので、ウンザリした気持ちになり、その娘の電話を携帯で機器ながら哀しそうな表情で切る老婆の姿にホント可哀想、て思いました。文明が発達したおかげで無事を祈っている大事な人の消息がかなり残酷に解ってしまう時代に私たちは生きているのだという気がします。
アイデンティティが瓦解していくのになすすべが無い
他にもイラクの少数民族のヤジティの子供達が保護されて精神的外傷を治療していくプログラムの様子などが登場します。衝撃的だったのは子供達が自分達の住む村が襲撃された時の事を絵にしていくのですが、当然のごとく残虐であると同時に襲ってきたISの部隊の連中は仲間割れが酷くて、部隊内のリンチの様子を村人に見せつけて脅す様子でした。子供達(男の子だけ)は皆「女の人を酷い目に遭わせてつり下げる、引きずり回す」と云い絵に描いて泣き出すのです。しかし同じような絵を描いても女の字達はそのようなヒステリックな反応も、悲惨な目にあう女性の姿も絵に描いている様子がないのです。ISの部隊がどのような方法でヤジティの人々を攻撃したのかが解りませんが。か弱い者=女という図式に則って、例えば人形を女性に見立てて残酷な姿で脅しつけたとすると、小さな男の子達は怯え女の子達は次第に白けて冷静になっていくのやもしれません。クルドの女性部隊の冷静さがどうやって自然と成し遂げられたのかという理由にもなると思いました。文明の発達は国境を越えてソレ以前から地域内で形成されていた文化的なアイデンティティを徐々に瓦解していく様を映画全体を通して見せつけられるようでした。
最後にこの映画を映画館で観た日の事ですが、上映前にコーヒーを買って席に着き座席がかなり空いていたので私も含めて館内で数人がマスクを取って予告篇を観ていたのですが、館内が妙に明るくなたかと思うと館内の職員が一人一人に「マスクをしてください」と注意にやってきました。東京の映画館では2022年の年明けから「予告篇が開始又は終了するまで飲食は禁止」だのの注意が始まり、マスクを外してほっとしたい映画鑑賞客を罰したい人々が映画館に注文するようになったみたいです。私の近所の郊外シネコンでは家族連れの反応がコワくて出来なかったらしく、わりあいマスク外しても鑑賞が可能でしたが都心部は年間を通し、そして現在でも映画鑑賞にマスク着用の細かい規制があります。「国境の夜想曲」ではそれだけでは終わらず映画開始直前に「映画上映中の飲食は禁止」というあり得ない表示が劇場で流され、一瞬頭に来て映画観ずに館内を飛び出し返金してもらおうかしらと思ったくらいです。おそらく私と同様に考えて怒って映画を観ずに帰った人やそれを狙ってワザと流したんだと思います。IS活動家はIT技術もあるし国際的に繋がって映画を観たい普通の人々に嫌がらせしようとするの可能だろうな、て気が強くしました。