振られてもしょうがない女③ 「ハイ・シエラ」のアイダ・ルピノ

ハイ・シェラ 特別版 [DVD]

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 振られる女の陰にもっと手ひどく振られた男在り、の映画

「仇討崇禅寺馬場」のマキノ監督と「ハイ シエラ」等でお馴染みのラオール・ウォルシュ監督は活躍した時代もお互いかぶっているのと、とにかくいろんな映画をたっくさん撮っているという共通項の他にある特定の状況設定(シュチエーション)にこだわるという点があるような気がしてなりません。それはとにかく「異性に振られた男の悲しさ」について描きたがること。マキノ映画の場合だと「振られたらあきらめるしかない、あきらめられないくらいあっち(振った方)は輝いているとしても」っていうんで男の人が無理やり相手を忘れようとしているのが痛い。やっぱり戦前からのリメイクであの頃映画 浪人街 [DVD]という作品もありますが最後の最後は「DV野郎で我が儘な近衛十四郎にメロメロのヒロイン」に振られて一人さびしく去っていく方の浪人に哀愁を感じるシーンで終わっていまして、異性を獲得した側には決してかなわないという敗北感にうちのめされてしまいます。これがウォルシュの映画だと女性に振られることは振られるのですが、あくまでも「人生の選択に失敗した末に身を滅ぼした男のおハナシ」ということになります。実際に両作品を見比べると際立つのが、オンナとしての格はアイダ・ルピノの方が少なくとも千原しのぶよりずっと上で「ハイ・シエラ」において対抗馬の女優、ジョーン・レスリーなんぞはほんのハナタレの小娘程度のルックスしかありません。だいたい「ハイ・シエラ」って元は主人公をちゃんとした当時のスター俳優にやらせる予定だったのを、「話が暗いからイヤだ」と皆断った為に老けた新進俳優のハンフリー・ボガードに回ってきたという事情もあるので、クレジットでもアイダ・ルピノが看板になってでています。


 何故か振られてしまう、その理由

 ボガード演じるロイ・アールは凄腕の強盗犯、もう引退したいのですが最後の仕事ということで、リゾートホテルの強盗計画に加わります。若者三人とその中の一人の愛人らしいマリー(アイダ・ルピノ)が仲間になるのですが、彼ら全然頼りなくてまともにロイの話を聞いてくれるのはマリーだけ。ロイとマリーはマリーの愛犬(当時ホントにボガードの飼い犬だったビーグル)を通して仲良くなり、マリーはロイに好意を持ちますが彼女はひたすら賢明でしっかり者、という以上の自己アピールはしません。彼女は自分がダンサー上がりで気が付いたらギャングの情婦になっちゃったのを恥じているので、今更夫となる相手を見つけて堅気の生活を送るのはあきらめているからです。一方ロイの方は強盗引退後の計画がひそかにありまして、旧知の知り合いでいつも自分をかくまってくれる老人の孫娘ヴェルマ(ジョーン・レスリー)と一緒に所帯を構える気でいました。老人の方はヴェルマの足の病気の手術代をロイに肩代わりしてもらってることもあり、喜んで孫娘をロイの嫁がせたいと思っているのですが、肝心の彼女といえばロイに隠れて別の若い恋人をちゃっかり作っているので自分の足の手術代をロイが用意してくれるまでの間せいぜいブリっ娘していただけでした。日本の男だったらヤクザでなくてもふざけんじゃねぇぞ! このアマぐらいは叫びそうなところですが、悪びれるところなく自己を主張するのが当たり前のアメリカ娘にとっては義理を感じてオッサンと結婚するなんてナンセンスでしかないのでありました。ヴェルマという女の子は悪女ではないし、彼女の言うこともごもっともな感はあります。ロイがヴェルマに執着するのは自分が引退して牧場でのんびり暮らす傍らに寄り添う素朴な若い娘のイメージに合ってたというだけで、彼女の考えてるところとか、本当の希望には興味が無いのですから振られるのも当たり前っちゃあ当たり前なのですが、彼女の憧れる結婚のイメージは「都会のオシャレな中産階級の暮らし」で「ハイ・シエラ」ではこの都会の文明に憧れるヴェルマを最終的には下品な田舎娘として徹底して演出しています。最初に登場する時の朗らかで清純な彼女と後半のイメージの落差が激しいのもちょっと見ものかもよ。


 以前にも書いたけど「犬」がいいのよぉ

 手ひどく振られたロイはその後の展開、もうまったくと言っていいほどツイていません。ショックのあまり彼に緊張感がなくなってしまったからなのか、集めた仲間が使えない奴らばっかだったからなのか、強盗では後始末に失敗してマリー以外の男どもは捕まるか、途中で射殺されるか、病気で急死とか散々。ロイとマリーは指名手配犯となってしまいます、そこで初めてマリーはロイに求愛しロイもほだされるのですが、最初にロイがマリーの好意に気がついて「なんか二人気が合いそうだから強盗なんかやめて一緒に逃げちゃおうか」となったらもっと違った展開になっていたかもしれませんね。まあちまたの映画にそんな展開があるわけないけど、この時代のハリウッドは特に「最後には反省というか道徳を説く」のが正しいとされてたみたいなので、そのようにして当時の観客は犯罪映画には教訓があるから観る価値ありだよと言い訳しながら鑑賞していたのでしょう。(ま、現代の観客も概はそうですが)ロイはマリーを安全に逃がしてから合流しようとかいろいろ工夫するのですが、もう無理無理。苦難を切り抜けるのにずっと「幸運のしるしだった」ともいえるビーグルともマリーとも別れ、ビーグルが「止めてよ、ご主人さまぁ」とばかりに吼えるのがせつなーい。このわんこの迫真の演技(もっとも犬自身は本当に自分のご主人がずっと危ない目に合っているのが心配で撮影中は必死だったはずですが)は犬嫌いのワタクシでも心を打ちます。犬じゃなくてもペットが家族の一員だった過去を持つ人は皆感涙だねって思うよ。ラストにハイ・シエラの岩山でハンフリー・ボガードは孤独に最後を遂げます、そしてこの映画でボガードは大ブレーク。俗にいうボガード神話の始まりってやつですね。最初っから最後まで誠実で、まるで出来た奥さんみたいに貞節深いアイダ・ルピノが全体としてもとってつけたような印象を与えないのは、彼女にどっか知的な「できたキャリア・ウーマンのはしり」な雰囲気があるからでしょう。これが日本映画あたりだとアイダ・ルピノみたいなポジションの役柄の女性は「ヒーローの添え物」のようなことに下手をするとなりかねません。実際彼女はできたキャリア・ウーマンの一面があったらしく後に映画監督業に進出し「ヒッチャー」の原型になったB級犯罪映画の秀作を撮っています。

あの頃映画 浪人街 [DVD]

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 「ハイ・シエラ」の西部劇版として有名な死の谷 [DVD]の方を当初一緒に紹介しようと思っていたのですが、止めにしました。「浪人街」というと90年代に製作された黒木和雄監督(マキノ雅弘監修)版のストーリーだけだと思っているヒトも多いかもしんないと余計な気を回しただけです。サイレント映画としての「浪人街」シリーズはいくつかエピソードがあるので、この松竹版では近衛十四郎の豪放磊落っちゅうか、フェミニズムが浸透している現代ではほぼアウトだろっ! ぐらいの強力マッチョな個性を前面に打ち出している作品。これ一本観ただけで、松方弘樹の「二世俳優としてすごく辛い芸能人生だった」という意味が分かります、もうこんな個性の役者でないわな。