IF(たられば)の女 ⑦ 「遊星よりの物体X」のマーガレット・シェルダン

 

 

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 THE THING FROM ANOTHER WORLD・・・とにかく名作

 興味深い(interesting)けど面白いか(fun)どうかは保証しかねるかもしれないね、二十一世紀の現代からしたら。リメイクのジョー・カーペンターズ版でさえもはやSF映画としてはクラシックの粋だし。OPのクレジット観ると「ハワード・ホークスプロ」の製作で名匠ホークスは監督を自分の弟子に託してプロデューサーにまわっている。(でもかなりの部分自分で監督したらしいけど)ホークスは1938年発表の短編を30年代中には映画化権獲得して1951年になってようやく公開にこぎつけたのだっ。でもそんだけ力いれていたこの作品を現代の理科好き小学生が観たらおそらく「えーっ!動物の血なんか養分にしなくても植物は呼吸をするものだよー」とか「なんだかキャプテン(大尉)と博士の秘書役のお姐さんがいちゃいちゃしてる婚活映画じゃんかあ」・・・などと鋭い突っ込みをすること必至でしょう。(笑)当時やっと脚光浴び始めたばかりの「SFジャンル映画」を成功させるために、低予算で済む新人でキャストを固め、RKOニューフェイスのマーガレット・シェリダンを売り出すための映画にしているからなんであります。だからキャストでも一番最初にクレジットされるのはヒロインのシェルダンだし、最終的にXをやっつける大まかな方針を決定するのも彼女なのだよ。

11月のアンカレッジにしちゃ、皆さん薄着のような・・・

 冒頭ではそんな感じがしたのですが(室内シーンだしね、パッと見暖炉だけで暖房しているようにしか思えない(笑)実際北極が舞台になっているのでアンカレッジの平均マイナス30度に近い他の州(ギリギリ北極の環境に近い所でロケしようと冬場マイナス20度になる)地域で組んだそうです。マイナス30度を下回ると当時のフィルムはバリバリになっちゃうんだとか。ある日アンカレッジ基地に極地で研究しているキャリントン博士(ロバート・マーンスウェイト)から巨大な隕石が近くに落ちたと連絡が入ります。ヘンドリー大尉(ケネス・トビー)のチームが日頃から博士と懇意なので研究所に向かうと氷の下に巨大な物体を発見。周囲の磁力計は物体のおかげで狂ってしまって物体から磁力が出ているのは明らか。爆弾を使って氷から掘り起こそうとしたのですが物体の大半は爆発によって破壊され残ったのは凍った人体らしきもの一体だけ。それを研究所に運んだところ温まったらしく動き出したの、犬ぞりのイヌがいきなり襲われたみたい。姿も音も立てない怪物なんだけど凍った状態の時から放射能を発してたので、ガイガーカウンターで怪物の襲撃を感知して奴の襲撃に備えましょう・・・とハナシはあっという間に怪物退治の展開になります。でもヘンドリー大尉は研究所の報告を受けた時から博士に逢いに来たかったんじゃなくてお目当ては博士の秘書のニッキ(マーガレット・シェリダン)だったから新発見の物体を運んできてもそっちのけで彼女の所へ入りびたりなんだけどね。ニッキはそこらへんのオトコよりよぽど酒に強くて酒につぶれたヘンドリーを置いて帰っちゃったとかひたすら男女のいちゃいちゃが続きます。でもそんな二人がいいカンジになりかけた途端に怪物の襲撃が本格的になるのだっ。

少ない味方で襲撃を迎え撃つ「必殺勝利の装置」

 装置というのはかの蓮實重彦センセの命名で特別に「ホークス装置」とまで呼んでおります。なんか活劇映画の際に必ず必要な美術・小道具・システムというか・・・まあいまどきのTDLUSJにあるアトラクションの概念(アイデア)の原型を観ることができるっていうと誰かに怒られるかもしれないけど。(でもそれが説明としちゃ一番解かり安いかとも(てきとー過ぎるけど笑)・・なんだかそんなもん。ホークス装置として有名なのはピラミッド [DVD]の砂がいっぱい入ってくるのとか赤い河 [Blu-ray]に登場する牛の大群とかなんでしょうが、「遊星より・・・」の場合は研究所の食堂とか電熱装置のある地下室という「密室」になります。そこへ怪物を追いこんで皆でやっつけるってこと。やっつけるのは良いのですが怪物は結構長身で怪力で不死身(犬に腕を食いちぎられてもまた生えてくるのさ、植物生まれだからねぇ♡)なものですからどうしようということになってヒロインのニッキがアイデアを出す「火よっ!」って。そんで食堂に研究所の皆で立てこもって怪物がやってくるのを待つの、ガイガーカウンターが反応するの、ドア開けて怪物が入ってくる!、そしたら皆で怪物に火をつけちゃおう!食堂のクッションも燃えるし危ないから消火も忘れずにね~(笑)実に効果的で簡潔な解決策。でも怪物は完全には燃えてなくなってはくれなかった。(だいたいそんなことしたら建物も燃えちまうし)それに一杯あったはずの灯油が無くなって火責めは無理だね。そうだ電気を通すのはどお?って話にいなったんだけど、そしたら電気まで止まりやんの。キャリントン博士だけは怪物の発見が惜しいから死なせたくないんだよ。そこはまるでエイリアン ブルーレイコレクション(5枚組) [Blu-ray]みたい・・・ホークスの死後続々と登場するSF特撮映画の設定が全部揃っておりますね。

原作者のジョン・W・キャンベルというお方

 原作は「影が行く」という短編で怪物の正体もホークス版の「植物の妖怪」みたいな単純なものではないようです。そこらへんはジョー・カーペンターズの「遊星からの物体X」の方が原作の雰囲気に近いのだとか。アマゾンレビューでホークス版が好きじゃないヒトの感想に「映画自体が人種差別そのものを描いていて厭、ハワード・ホークスって人種差別主義者なの?」という内容がいくつかありましたが、原作者ジョン・W・キャンベルがバリバリの白人至上主義者だったそうで、そのテイストに関しては素直に出ているのかもしれません。ハワード・ホークスの映画はいつでも簡潔、合理的がモットーでそこにユーモアを加えることによりヒーローと互角に渡り合うヒロインが活躍したり、移民社会アメリカの雑多な人々の描写にほっこりできる・・というのがパターンになっております。「遊星よりの・・・」でも研究所の職員、軍人、ジャーナリストといった人々が危機に対して一致団結するという展開にはなってますよ。ホークスの映画だと同様にSFっぽいのはコメディだけどモンキー・ビジネス [DVD]もありますけど尖がっている分どこか奇怪な印象を観た後受けるヒトが多いのでしょうか。ウィキペディアハワード・ホークスについて読んでみたのですが、映画作家として圧倒的に評価されているフランス等のヨーロッパ諸国ほど米国では(特に一部のうるさ型の観客、評論家サイドには)人気無いみたい。ノーベル文学賞もらったウィリアム・フォークナーがブレーンだったとか聞くとホークスの周りはインテリ集団のサロンか何かかよっ・・・て昔からイメージしていたんですけどウィキでの執筆者達の態度は割と冷淡なカンジだったのが意外でした。

 ちなみにキャンベルというSF作家&編集者は映画監督ホークスと同様二十世紀に起こった新しい文化のジャンル黎明期において活躍し、後進の人々に讃えられるタイプのお方なんですが晩年は「デューン」シリーズのハバートさんが作ったサイエントロジーにはまり込み自分が育てたハインラインアシモフ等の錚々たるSF作家たちに疎まれてしまったのだそうです。しかしサイエントロジーっていつ頃からあれほど盛り上がったのか?日本の私メにはいきさつさっぱり解からんのですが。

IF(たられば)の女 ⑥ 「ブレードランナー」のショーン・ヤングとダリル・ハンナ

 

 今観てもカッコいい・・・今はこういう贅沢なSF映画観られないしぃ

 ホントだよ、だって今じゃ全部CGでやっちゃうから。作り込んだミニチュアセットを作って撮って、なんて面倒なことはしないもんね。今観てもCG画面と比べて圧倒的な奥行きと暗闇からキラキラ光る照明が立体的に「幻視の未来世界」てのを演出するのさ。つい最近「オデッセイ」なんて映画もあったけどリドリー・スコットSF映画はCGじゃない画面がメインの「自分の〇ん〇肥料にしてジャガイモ栽培」するシーンとか方がよりセンス・オブ・ワンダーしていてわくわくするのですが、ブレード・ランナーではそれしか無いので観るヒトによっては超モダンなSFだし、ヒトによってはクラシックなフィルムノワールやら「メトロポリス」のような無声映画時代のSFやらを思い起こさせるのですよ。その代わりストーリーは何が何だかさっぱりわからず(笑)、主演のハリソン・フォードブレード・ランナーでのデッカード刑事役が嫌いだという噺も聞いたことがあります。まあこの前久しぶりにTVで冒頭のシーンを観たらフォードのその気持ち解かる気がしなくもない。現代目線だとほとんどソーシャル・ネットワーク [SPE BEST] [Blu-ray]の冒頭で有名な自閉症スペクトラム傾向の主人公ザッカ―バーグとガールフレンドのやりとりを彷彿とさせるもんね。ついでに言うと人間のフリしているレプリカントを見抜く能力が抜群だとして登場するデッカードって実は・・・ていうオチが(示唆している程度だそうですが)ディレクターカット版ではあるので余計にハリソン・フォードには気分良くなかったかも。

80年代の華、ショーン・ヤングダリル・ハンナ

 ということは90年代に入ると失速したってことだけどね・・・80年代ってもうメリル・ストリープを中心に大人の自立した女性の全盛期(脱ぎっぷりが良いのも含めて)で若い娘はあんまり出番が無かった。ショーン・ヤングダリル・ハンナはスタイルも良くて顔立ちも正統派の美人でこの映画で注目されたそうですがブレードランナー」は日本公開時にはまったく当たらず彼女たちを後に出演した映画で「そうかブレードランナー」にも出てたのね(笑)・・・ということで認知されたようです。ショーン・ヤングはその後恋愛トラブル等で徐々に「変わった女」扱いされてしまってるのと、ダリル・ハンナは故ケネディJrと交際破局した後なんとなく失速したカンジがするのが気の毒ですがこの映画での彼女たちは存在はどっか陳腐なんだけどそこが「世界観を体現」しているのでありました。クラシックとも80年代ちっくともいえる肩パッドスーツ&アップの髪型から後半ガラッとイメージを変えるショーン・ヤングレプリカントのプリス嬢を演じるダリル・ハンナは今観ても眼福ですよぉ。デッカード待ち伏せするときのダリル・ハンナなんてまるで機械仕掛けのコッペリア(バレエで有名なやつね)かしらんと思っちゃった。結局撃たれて断末魔になるシーン・・・足をバタバタさせて息絶えるのだけど怖いけど美しい。ロイ・バッティ(ルドガー・バウアー)がプリスが死んでものすごく悲しむのが解るぅぅ・・・アタシも哀しいぃぃ・・・ていつも観る度に思います。

原作者フィリップ・K・ディックは死後ブームが到来

 80年代中頃には今は亡きサンリオSF文庫を支えたと言っても良いくらいに日本で次々と翻訳され今現在でも早川とか創元でも読めるディックではありますが、私がブレードランナーの原作アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))をなんとか読み切った頃までは二、三冊あるかないかだったと思います。映画の影響?それとも?というくらいいっぺんに来たドデカいブームだったので、私も原作を読んで二年くらいたって初めてTVで映画観たくらい。それも当時のゴールデンタイム(淀川センセイの日曜洋画劇場とかTBSの萩センセイの月曜日の番組とか)の映画としては「暗い映画ですけど今時の若者にはウケてるらしいから」でこわごわ放送されていた印象がありましたっけ。で、そんな時だったんです、深夜の映画を録画したらまだ駆け出しのハリソン・フォードがチョイ役で出演していて、もう泣きそうになるくらい不条理に怖かったのさハリソン・フォードぉ。

 その映画が例のカンバセーション・・・盗聴・・・ コレクターズ・エディション(初回生産限定) [Blu-ray]てやつね。コレ観て衝撃的だったのは「知らなかったCA(カルフォルニア)て恐ろしい街だったのねぇぇぇ」で思わずブルっちゃったことでした。それまではCA=「思い切りアメリカン~♪、きてきてきてサンタモニカ~♪」というひたすら明るいイメージしかなかったものですから一見カルフォルニアに居るフツ―のビジネスマン然としたハリソン・フォードがとにかく焦っているジーン・ハックマンに対して頑なに拒絶する演技が超おっかないの・・・まるでディックの小説に登場するヒトっていうのか、レプリカントみたいっていうか。

ブレードランナー続編決定だぞ!!

 んでわりと最近「盗聴」観直したところ、この映画のハリソン・フォードは社長秘書のフリをしてるけどむしろゴットファ―ザーみたいなマフィア的な結束力をも持つ組織にいる血気盛んな兄ちゃん・・・てな役だったので「不条理極まりない」印象は最後にははっきり崩れておりました。だからもしも「盗聴の時の君をみてデッカード役にふさわしいと思った」などと持ち上げられたら、ご当人却って納得いかないことでしょう。あとブレードランナーの続編が今夏(2016年)から製作がスタートして2018年に公開するのが決まったらしいです。P・K・ディックはブレードランナーの映画完成を待たずに死んじゃったので当然ハナシやキャラクター完全オリジナル。ハリウッド映画の中にはアメリ国立図書館に永久保存されるフィルムが厳選されているのですがその中でハリソン・フォードが出演したのは「ブレードランナー」「盗聴」とスターウォーズのエピソード5「帝国の逆襲」なんてのがあります。(どうもこの三作品だけみたい)・・このラインナップなのかあ、とハリソン・フォードの存在についてもいろんなコト考えてしまいますね。続編が製作されるのにかなり時間がかかったということは「ハリソン・フォードブレードランナーが好きじゃなかった」という噂はどうも本当らしいという気がしています。

IF(たられば)の女 ⑤ 「her/世界でひとつの彼女」のスカーレット・ヨハンソン

 

「声」の演技だけで最優秀女優賞だって

 映画公開時の評価が高くスカーレット・ヨハンソンひょっとしたらオスカー候補になるやも、と一時話題になりましたが結局なりませんでした。なにせオスカー前哨戦と云われるゴールデングローブ賞などは役者本人が画面に現れるのが条件とされてたりするのでどうも「声優」は演技賞にならないということがはっきりしたみたいですね。(米国では劇場公開する外国語映画もすべて吹き替えを使ったりするそうなので、その感覚で言ったらフェアな印象が無いのかも)でも何故かヨハンソン、ローマ映画祭では女優賞を取ったそうなあ。(よく解からん)まあヨハンソンの役柄というのが人口知能という姿形がそもそも無いものなんで純粋に声優の仕事ってことじゃないしぃ、などいろいろ事情がややこしいんですけどね。ちなみにこの映画人口知能/S・ヨハンソン以外の女性のキャラクター達、主人公の友人役のエイミー・アダムスから元妻役のルーニー・マーラー、デート相手のオリヴィア・ワイルド他の演技が皆素晴らしい。オリヴィア・ワイルドに関しては名前と話題だけはよく知っていたけどあれほど説得力のある演技をするとは予想だにしていなかったので強烈な印象を残しました。映画の設定が近未来のLAっていうんだけどぱっと見あんまり未来っぽくはない・・・ところから始まりますが設定も登場する未来的な小道具も練り上げられミニマムな都市の外観やインテリアにじんわりと未来っぽさが漂い繰り広げられるストーリーが突飛に感じられないのが本当に凄いですわ。

ルーニー・マーラーが「そっくりさん」

 近未来の設定ではありますが主人公セオドア(ホアキン・フェニックス)の仕事は手紙の代筆屋のいうかなりローテクな職業であります。しかも会社としてかなり儲かっており、セオドア自身も中核のやり手代筆ライターという設定・・・カスミ食って生きていんのかあ?て気もしましたが、とにかく妙ちきりんな設定のロマンチックコメディー映画であると考えると妥当な職業かもしれません。ちょっと前にあった(500)日のサマー [Blu-ray]の主人公だってそういえばメッセージカードのコピーライターなんつー「楽そうだな、アタイにその仕事分けてくんないか(笑)」と思わず言いたくなったくらいだったので、ちょっと浮世離れというか概念とか論理(ロジック)を積み重ねて進む余裕がないと特に昨今では恋愛映画が成立しないのかもね。で、しょっぱなからどんよりして登場するセオドアは当然のごとく離婚調停が長引いている最中、いっそのことと思ったのか話題の新製品である人口知能型OSサマンサ(スカーレット・ヨハンソン)を購入し会話を楽しむようになる。そんなことしてると友人のエイミー(エイミー・アダムス)夫婦には注意されるけど。でも会話だけだと寂しいのでテレホンセックスしたり、ブラインドデートで女の子(オリヴィア・ワイルド)に出会ったりするけど、何故かやたらと神経質でメンヘラチックな娘たちに当たって、うんざりするだけ。何よりOSのサマンサが凹んでしまうのさ・・・やっぱりお互い「会話」だけじゃ物足りなくなるのかな?というわけでセオドアとサマンサはヴァーチャルセックスにふけるようになるのであった・・・もうこのくだりで「アホくさ~」になる方は最初っから映画観ない方が良いですね。セックスに関する「センス・オブ・ワンダー」がスパイク・ジョーンズ監督氏とは全く合致しないということなのでぇ。ただ私がこの映画劇場で観た時はなんか皆さん息を詰めるように鑑賞していたのがすごかったです。だいたい怖いもの見たさだったり、思い詰めたようなヒトがたくさんいらっしゃってて。平日の初回でしたが私のすぐ前に並んでいた30代くらいの男性は結婚指輪して一人で観に来ていたのに「こ、これはただ事じゃないのかぁ」と急に緊張感が走ったものさ。

 そんな時にセオドアの元妻との離婚についての話し合いのエピソードが割り込みしてくるのがまた強烈に「頭グラグラしてくる」というか、知っているヒトには「ヤバいわルーニー・マーラー映画撮ってる監督の元の嫁さんにそっくり作り込みしてる~」とつい個人的にザワザワしてしまうのでした。(笑)エイミーも交えて元妻のお父さんに厳しく育てられ過ぎたとか思いっきり言っちゃってるしぃ。・・・まあコッポラ家のことですから入り婿になるのは大変だったろうとは容易に推察しますがぁ。

スカーレットだけはいきいきと「電脳空間」を飛び跳ねてて、魅力的♡

 OSのサマンサは起動した最初からアクティブでフレッシュ。セオドアの語ることにもいちいち驚いて感激してくれる、スカーレット声は基本ハスキーなんですが、顔が見えている時よりもフレンドリー(なのはある意味当然といえますが)でより純粋(ピュア)で危うい魅力があるのね。知能の高い生まれたての赤ちゃんみたいな所に惹かれてしまう人間の心理ってあるかもって、サマンサとのやり取りを観ていると思えてきてしまう。実際サマンサはセオドアとのヴァーチャルセックスには飽き足らなくなって、若い娘(ポーシャ・ダブルデイ)を連れてきて実質3Pまでしようとまでするし。びっくりしたセオドアはだんだんサマンサとの関係をセックス中心からお互いのコミュニケーションのあり方を世に問いたいということで本の執筆を始めるのさ。まあ・・・そうやってサマンサとの関係を熱愛恋人同士から落ち着いた互いの伴侶へと至るプロセスを踏もうということでセオドアがすっかりそれに安住すると、サマンサ今度は同時に641人とおつきあいを始めたり、当代№1の哲学者からの知的刺激を受けたりしたもんで、セオドア貴男とは別れるわ私を探さないでぇ・・・ときたよ、それであっけなくジ・エンドさ。もう3P以後のめまぐるしいお話とロジックの展開はまさにガチのSF、センス・オブ・ワンダーランドォォォーだったわ。そういや主人公の名前どっかで聞いたことあると思ったけどセオドア・スタージョンってSF作家から取ったかもね。(私昔短編小説でいくつか読んだ記憶があるっきりだけど)あまりにも本格SF過ぎて当時(2014年)話題になったどっかの理科系研究雑誌表紙がオンナの子型家事ロボットのイラストで女性蔑視って非難集中したこともあり、発想の貧しい日本の技術者連中はこの映画観て皆凹んじまえ、バーカ、バーカ、バーカ!!と一人で盛り上がったのでした。

 もっともサマンサが「アタシこんなにも自由なれたの♡これからもっと大きな存在になれるわ嬉しいワクワク・・・じゃあバイバイ」とひたすらあっけらかんと別れを徹底的(とにかく容赦なくはっきり(笑)に告げる際には劇場のお客さんかなりのヒトはげんなり、もう辛いわ勘弁・・・て感じで席を後にするお婆さんとかいた。なんか重かったよ空気がぁ。私の後ろの席に座っていた団塊っぽい世代の夫婦がなんかウルサクて旦那さんが「俺やっぱりこういうの駄目だー」とか言ってた・・・だったらお互い一緒に来なくてもいいのに(笑)なんだか気になるんだけど既婚男性一人で観る勇気なかったのかなあ・・・じゃ、じゃあチケット買う時に私の前に並んでいた30代既婚男性はっ(-_-;)

 

  私にとっちゃパパコッポラはゴッドファーザー コッポラ・リストレーション DVD BOXじゃなくて↑の映画を撮ったヒトだったのずっとね。だから娘コッポラの映画に「盗聴撮った時のコッポラ」の面影を探しながら観ていたりしたのさ。まだ全部観ていないんだけど「ヴァージン・スーサイス」なんてのもスッカスカの空間に「盗聴」観て本気怖かった時のことを一瞬思い出・・・そうとしたんだけど、むしろ元娘婿の映画の方がずっと似ている(どうしてなの)危険だわぁ。・・・やっぱハリウッド大物映画人同士の離婚は多少は「映画史の必然」になっちゃうのかいな。改めて振り返る「her」でのルーニー・マーラーの台詞にあった「貴男は私のことをただの陽気なカルフォルニアガールだと思っているんでしょ(怒)」の言葉とお芝居が怖かったよう。

 

 

 

 

IF(たられば)の女 ④ 「ゴジラ×メカゴジラ」の釈由美子

 

日本映画なんて「つまらない」で当たり前さあぁ・・・♪ 

 だって予算が無いんだもん、脚本がバカなんだもん、スポンサー等が煩いんだもん、何より「お客」がバカばっかりだからさあ・・・理由をつければ際限なく日々つまらないメイドインJAPANが量産されている気がしてきます。その割には未だ数が多いよね(笑)、もうすでに過去の名作だけで皆充分コンテンツでお腹いっぱいになれそうなのにぃ、そうならない。まあ新作作り続けないと過去の映画や名作小説等もそのまま引き継がれないでしょうから量産の結果大半がスカだとしても鑑賞は続けなければならないのよ、とババアになりかけの私なんかは思います。この極地にまでたどり着けば多少は年とっても楽しくヲタクLIFEが満喫できるかしらん、楽しみ。♡

 そんでもって今回はミレニアムゴジラシリーズを代表する映画にしたよ。

ゴジラ映画はタイトですっきり、解かりやすく。ゴジラ好きの監督が満を持して登板。

 手塚昌明監督は昔から熱烈なゴジラ映画ファンだったそうです。でも助監督としてついたのは西河克己とか市川昆とか本格的派の巨匠な分、ヤングな映画青年には忍耐を強いられそうな環境で修行なさったご様子。ゴジラ映画でも助監督経てゴジラ×メガギラス G消滅作戦 【60周年記念版】 [Blu-ray]で初めて手掛けたのは良いのですが、プロット的には「・・×メカゴジラ」と殆ど一緒、主人公が自衛隊出身の女性で映画冒頭にゴジラの襲撃に遭い仲間の隊員を失い自責の念に駆られて、男たちを後目になんかやたらと頑張るっていう・・・何でも「オンナ主人公」でないとゴジラ映画を監督しないとまで言ったとかって話も。しかも二作品とも映画観る限りは「どうしても主人公が女性である必要もないんじゃあ?」という感じだもんね。そんでヒロインが田中美里より釈由美子のヤツがより有名になっちゃったのもまずは製作サイドが前作の反省を生かしたからなんでしょうけど、それ以上に釈由美子の個性のおかげでしょう。っ個性っつうか釈由美子自身が持つ危険(ヤバさ)がゴジラ映画にドンぴしゃだったてことかも。今時年頃の若い女性が使命感に駆られてストイックにブレずに物事遂行しつつ子供に優しいって・・・そんなお子様向けの特撮ヒーローが女性にひっくり返ったようなのやり通す度胸は無いんですね普通の女は、でも釈さんならできちゃうのだ。「妖精が見える」というのも彼女の場合ネタというより「こういう現象が起きているのを私の中では妖精が現れると言っているんです・・・」と長々説明する姿が皆怖いから関わりたくない、そんな釈由美子なら館山の海に沈んだ初代ゴジラの骨格から作られた「何だか危なっかしい機龍」を任せても大丈夫・・・とにかく相性は良さそう。(笑)

ゴジラの襲撃は「現場で起きている」のか「会議室で起きているのか」

 映画冒頭館山沖に台風と一緒に上陸してきたゴジラ。家城茜(釈由美子)所属する特自のメーサー殺獣光線車隊はゴジラに応戦しようとするも、いきなり光線車体を踏みつぶされるという事態になり、隊長死んじゃって茜だけ助かってしまいます。そん時、日本の内閣首相柘植(水野久美)はゴジラ対策として科学技術庁長官の五十嵐(中尾彬)に機龍の計画を一任。4年後総理大臣になった五十嵐は自ら指揮して秘密裏に(かつてオキシジェンデストロイヤーで倒した)ゴジラの遺体を手に入れ機龍のシステムを完成させようと湯原(宅麻伸)をはじめいろんなとっから学者を集めるのでした。もうこの辺の展開は「昭和のウルトラマンかよ」言いたくなるほどひたすらにベタ。館山沖の時の失敗から左遷されていた茜が機龍のオペレーターへ引っ張られてくるっつうのもそうだし、昔の「小学○年生」とか「TVマガジン」で特集されるようなお子様特撮映画っぽいのであります。ただ湯原の一人娘沙羅(小野寺華那)の存在が重いというか、「ゴジラだって生き物で大切な命」でしょうという主張が映画を一本調子にはさせないかも、でもこれだって昔のウルトラマンをはじめとする円谷怪獣モノのド定番なパターンを彷彿とさせはしますが。柘植首相役の水野久美サマが意外なほど「首相っぽく」、そういや小泉政権が発足したばかりでかの田中真紀子氏全盛の頃だったのを思い出してしまいました。水野サマの芝居で何となく「まあぁぁ・・・いいかぁ」という気になり、いきなり中尾彬なんかに好きにさせていいのかよぉ~と心配にはなったんですが、こうゆうことくらいトップダウンで事を進めても良い案件ではないかと(笑)。相手はゴジラなんで専守防衛にしか法律的にはなりようないし。「そんなことして開発した機龍とやらが暴走したらどうするのですか!」なんつー反対意見が飛び出すようなエピソードなんかもはや退屈だし観たくないしね、だいたい。なんかこう、一種のコミュニケーションの欠落?・・・が映画のテンポを冗漫にしないで効果を上げているような気がしてならないのですがね、気のせいかな。でも同様のことを茜のエピソードを観ていてもかんじるのですよ~。

本気のヒロインはパーフェクトなまでに「中性的な魅力」で通す

 茜が特自の機龍チームに引っ張られ配属されると4年前のゴジラ襲撃で亡くなった隊長の弟なんかもいたりして早速いちゃもんつけられるとか、まあて定石通りなのですけど思い出せば、以前に取り上げた世界侵略:ロサンゼルス決戦 [Blu-ray]の主人公二人の設定は「茜さん一人分のプロフィール」だったことに気が付いてしまいます。茜は4年前の出動シーンでは詳細に描かれますが、彼女は元々どんな性格でどんな育ち方をしてきたとかさっぱり掴めないキャラクターでもあるのです。激しい戦闘時はともかく中学の制服を着用しただけで普通の女の子化してしまうような「エヴァ」に登場する綾波嬢やスタンレー嬢みたいな一種のサービス、サービス♡のような雰囲気を醸し出すこともなく、常に訓練を怠らない釈由美子は「孤独な背中で語る」というか迷える青年のようにも、はにかみ屋の少年のようにも見えるしそれでいて沙羅と一緒の時には柔らかな女性らしさも感じさせます。こういう一途なヒロイン像(かつての志緒美悦子サマみたい)はウチラのような昭和の特撮ファンにはおなじみですが、21世紀にもなってこんなのを見せられると陳腐に感じるストーリーの芝居でも人間が演るっていいなあ・・・という感慨になるから不思議です。そんで男の役者がこの主人公の設定だった場合には男社会における「男同士での以心伝心」につい気を取られるのでストイックな言動が観客の興味や共感を得るには至らないのでは? という「性差が与える印象」とでも言うような傾向に思い当ります。実のところ「オンナ主人公でゴジラ映画を撮る」というのは手塚監督のゴジラ映画をモノにする為の重要な戦略の一つであって、センチメンタルな趣味の発露というだけでは決してないのではと思いました。水野久美サマの首相役起用も当初は無かったそうで急きょの配役だったとか。あくまでも効果的に役者の芝居を見せるための「ヒロインが活躍」設定なのでしょうね。

しかし現在九州、特に熊本はぁぁ・・・

 エライことになってまして(2016年4月現在)。今度のゴジラ新作の7月には何とか地震災害等がおさまってくれることを望みたいものです。おりしも先週(4月15日)に今度の「シン・ゴジラ」はキャストが総勢328名って発表された日の夜に「前震」が起きちゃうってのもアレなんですが、それ以上に映画のおすすめポイントがゴジラなんだか忠臣蔵なんだか解からないノリになっている・・・ような気がするのが個人的に少ーし引いてしまいましたぁ(-_-;)

 

IF(たられば)の女 ③  「V フォー・ヴェンデッタ」のナタリー・ポートマン

 

 今のハリウッドを代表する「兄弟」⇒「姉弟」⇒「姉妹?」のお仕事ね

 要するにウォシャウスキーさん家のお子さんたちのことです。(笑)この映画では主に製作と脚本を担当しています。英国のコミックの映画化なので公開当時も皆ごく普通に接していた記憶がありますが、今になってよくよく鑑賞すると「かなりいろんなコトを慎重に示唆」しているのがよく解かります。そのせいかアノニマスなんてゆうグループがヴェンデッタのお面を非常に気に入ってよくサミットなんかで抗議アピールしていますね。今度日本の伊勢志摩でサミット開催するそうですが、日本の警察はあからさまに目立つお面など簡単に剥ぎ取りそうなのでアノニマスの方たちは無理してそんな遠出して抗議することなんかないですよーとアドバイスしたいですわ。もしどうしても・・・というのなら伊勢志摩非公認萌えキャラ碧志摩メグちゃんのお面で「反骨を示す」という意図をごまかす(笑)とか工夫してみるとかも手ですかね・・・んまあ「たられば」の話はこれぐらいにして、次に行きましょ。

「超映画批評では100点満点中30点」、私の友人は絶賛してたけどさ

 ちなみに友人の彼女は他にX-MEN:ファースト・ジェネレーション [Blu-ray]を押しておりました。で、ヒュー・ジャックマン主演のXメン一連シリーズはよく知らないという(笑)、ことなので一体どちらのお奨めが信用できるかということなのでしょう。私はもちろん友人の絶賛の意見を参考にしました。なにせ彼女はあんまりこの手の映画を見慣れていないのが明らか(笑)・・・だけど若い頃から「痴漢が怖くて名画座で映画なんか観られるかよ」と豪語する映画ファンなので、それほどバカなSF映画ではないだろうと思ったわけです。ちなみに取り上げる映画をGoogle検索してかの超映画批評に出くわすことが殆ど無いのですが、たまたま出てきました。30点の評価の根拠も「欧米ではともかく日本人にとっては興味持てないと思う・・・」とかなんとか態度が煮え切らないご様子だったのよ。とは言っても冒頭でも語られる「ガイ・フォースの逸話」はエリザベス一世統治時代ぐらいの地味な歴史のエピソードでそんなに米国やほかのヨーロッパまで広く知られた話だという気がしませんがね。原作コミックは1980年代の英国でまず白黒で発表され1988年にはDCコミックとしてカラーで出版されました。なのでコミックは英国におけるサッチャー時代の「体制批判文化」を色濃く反映されたカンジっつーか、ヒロインのイヴィーの描き方にも80年代の匂いというか、当時の十代の女の子の置かれていた状況がコミック版のプロットを読むとよく判ります。これをウシャウスキー元兄弟は2000年代の「常識」に合わせて上手く脚色しました。そのせいなのかナタリー・ポートマンは自らオーディションを受けて役を勝ち取ったそうです。

Vはより「ヲタッキーな紳士」に、内容はより「LGBTの存在」をはっきり主張

 舞台は(架空の歴史としての)首相アダム・サトラーが独裁体制を敷くイングランドBBCに勤務するイヴィー(ナタリー・ポートマン)は上司のゴードン(スティーブン・フライ)の家に訪問するために夜の街へ出ると秘密警察の人間に見とがめられ、襲われそうになります。そこへ現れたのがV(ヒューゴ・ヴィーヴィング)、なんかやたら古風でしゃべり方が大仰なとにかく「ガイ・フォークス」の仮面被ったまんまなのにやたら強い男。だいたい武器がほぼナイフっつーより、剣ですかあ?で秘密警察のおっさん達をやっつけるしね。ちなみに映画では英国が独裁政権になった理由が若干複雑というか変な事故を契機にして国民が知らない間に独裁政権になってしまったという設定です。まあそれが「V」誕生の秘密に関わるようになるのでしょうがないかなあ・・・というぐらいに公開当時(2006年)は受け止められたでしょうが、大震災を経験した今の日本人なら果たしてどう思うかなあ、とは気になります。・・・で、とにかくこの映画女性の支持がやたら高いのですが多分理由は冒頭のくだりや後にやってくる同性愛者のヴァレリーのエピソード、それから何といっても「V」のキャラクターのおかげでしょうね。多弁でシャイなヒトなのよ(笑)、Vはイヴィーを自分の秘密の隠れ家にかくまうんだけどアンティークなジュークボックスがあったりする「趣味度が高い」部屋で、イヴィーに作ってあげる朝食もすごい凝ったエッグトーストだったりする。そんでもって話し方が「持ってまわった」クドイ言いまわし連発・・・まさに「オペラ座の怪人」のパロディーかよってノリのやりとりがイヴィーとVの間で交わされます。ただし原作コミックの根が暗いせいなのか(笑)あんまり軽快な印象がありません。映画の中には所々引きつったようなユーモアがあり、ツイテいけない人間とああディストピア物ってカンジよね~と割合素直に入っていける人間とに分かれそうな気はしました。確かにイヴィーの上司でBBCのバラエティー番組ホストのゴードンのくだりなんかは、どっかで観たような気がするぅ、反体制のゲイ知識人死すってやつと既視感を覚えるヒトがいそうだね。いかにも英国原作コミックにありそうですがゴードンのゲイ設定は映画オリジナルだとか。原作コミック(コミックノベル)のいわゆるノベル担当のアラン・ムーア氏はずっと映画化に怒っていてまったく協力もしなかったそうで、コミック版のプロットを知る限り「そうだろうなあぁぁ」とは思いました。コミック版ではイヴィーをはじめ女性のキャラクター達への扱い方が酷いというか(生活苦に陥るとすぐにセックスワーカーに走るようになる設定等)Vのキャラクターにしても、もっと「観念的な存在」でありそもそも普通に感情移入することさえ拒否するようなお方らしいです、オペラ座の怪人に匹敵するイメージは主に脚色したウシャウスキー元兄弟が造りあげたんじゃないかって気がしてなりません。

ウシャウスキー元兄弟が監督してたら・・・

 ここまでおっとりとした展開にはならないんじゃあ・・・みたいな気持ちはどうしても最後まで残るのですが。ただ最近の【Amazon.co.jp限定】ジュピター ブルーレイ スチールブック仕様(1枚組/デジタルコピー付) [Blu-ray]なんぞ観る限り、バウンド [DVD]マトリックス ワーナー・スペシャル・パック(3枚組)初回限定生産 [Blu-ray]で尖がった映画をやる情熱が尽きた?(笑)・・・て勘繰りたくもなっちゃいますよね。でも映画の最後ロンドンの街にガイフォークスの仮面をかぶった群衆が押し寄せたりするのは後々のアノニマスの活動にもインスピレーションを与えたりと、地味に影響を与えているのはやはり「正攻法」な創り込みのなせるわざで、改めてウシャウスキー元兄弟の脚本の手腕によるものでしょう。映画公開2年後にリーマンショック、4年後に東日本大震災と日本人にとっちゃ大惨事が起きた現在の方がより身近に感じられるかもしれません。

・・・ちなみにどっかのヒトが主張する「儲かるブログ」の秘訣には既にネットで発表したものも必要とあれば積極的に遂行すべしとあり(政治家のブログではしょっちゅう内容削除ばかりが話題になりますが)私自身も誤字脱字だけではなく、そろそろ内容も大幅に更新したいなあ、と思っているやつを何時手に付けようかしらん気になっている今日この頃です。

  超映画批評さんでは行う予定があるのでしょうか?(余計なお世話) 

 

IF(たられば)の女②  「ガンツ」の夏菜

 

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 ごく「普通」にヒットして・・・

 そしてごく普通に皆の記憶が風化しつつある映画になっているという・・・て書くとイケないのでしょうか? で、私自身はかなり面白かったと当時いたく感心したつもりだったのですが、「ガンツって面白いよね」「当たり前だろうが、なにせあのガンツなんだから」て漫画原作ファンはきっというコトだろうなあ、と発言を控えたくなる気分に公開当時なっちゃったからかなと。振り返るとこの後夏菜嬢だけでなく吉高由里子まで朝ドラヒロインになり、結局現在売れっ子の綾野剛でさえ一般ピープルにとっては「そういやガンツに出てたよね」ということで認知されている状態でもあるのです。それなのに結構忘れちゃっている。「ガンツ」っていうと思い出すのはまず何だったけなあ?そうだ例えば「田中星人」!アイツにはムカついたね、あとは夏菜ちゃん・・・いやあ別に彼女がいやだとか逆に大好きとかそういうコトじゃないんだけどぉ、夏菜。ぶっちゃけ今回ガンツのことを考えて夏菜をセレクトしたわけではなく最初に彼女のことを考えていたら「取り上げるのガンツにしよう」となったのさ、自分でも驚き。</

夏菜の「理由なきメンヘラ」

 夏菜の役は主人公玄野(二宮和也)、加藤(松山ケンイチ)とともにガンツに招聘される岸本というお風呂場で手首を切って自殺したところへ飛ばされてきた娘。ガンツに連れてこられた人間というのは玄野をはじめ皆いったん死んでしまったと思われた段階でガンツのあるマンションの一室に集うことになっているんで。そんでもってガンツが繰り出す「星人」と戦って勝った者だけがまた再び生者として自分の日常生活に戻れます、というわけ。玄野と加藤のように地下鉄の事故をきっかけにやってきた者もいるし、岸本や西(本郷奏多)のように自殺してきたような人間もいる。そしていきなり「実在する東京の多摩市あたりのようなんだけど」なトコで前述した田中星人やねぎ星人親子と戦わなければならない、まあ「ガンツスーツ」っていう着用すればほぼヒーローになれる強いスーツやら武器やらは提供されるけどね。でもプレーヤー自身がゲームのキャラになって戦うのは大変、油断しているとすぐに死んじゃうのだ。最初に犠牲になる小学生の孫とおばあちゃんのコンビなんてものすごく可哀想だったよ・・・そういう描写が日本人のセンス・オブ・ワンダーっちゅうか、「特撮&SFファン心」をつかんじゃう重要なつかみになるのよ。あとはなんだかひたすらに「暗くて重たい」印象の夏菜ちゃんね、彼女はガンツ内で戦闘に参加していてもどこか日常から地続きだということを感じさせる存在で、他のメンバーとは何か違うのさ。

おこりんぼう星人との激闘後に・・・

 GANTZ PERFECT ANSWER [Blu-ray]になると、地下鉄内での戦闘やらどんどん派手になって、玄野たちグループを追跡する警察公安の刑事(山田孝之)みたいな人間も登場しますが、映画ではあくまでも玄野たちとガンツとのゲーム内容が苛烈になってくるのに目が行ってしまうので、原作のファンには多少ものたりない所があるのやもしれません。西や鈴木(田口トモロウ)といったキャラクター達は原作漫画や連続アニメといった所ではもっと活躍する場があり、かなり生々しい存在感を放てるのでしょうがなにせ限られた尺の映画ではどこかもったいない印象を受けるかも。しかし意外と登場場面の少なさの割に間抜けな印象が無いのは短い芝居でも各自の個性がはっきり出るようなキャラクター造形がしっかり成されている(おそらく原作漫画の底力の成せる技)とあとは夏菜演じる岸本の存在が「濃い」ことが他のキャラクターを引っ張っている気がします。演技だけだったらもう一人のヒロインの多恵(吉高由里子)の方が安定感もあって達者なんですけどね。岸本は自分に自信が無く内気で他人と関わるのが下手な性格、自殺したのも彼氏に裏切られたショックらしいのですが、どうも岸本自身にも原因があるよう。ただそんな岸本は時に大胆行動に出て周囲を驚かせて、見事「成功」していしまうヒトなのですよね、だから上野でのおこりんぼう星人との激闘も最終的には岸本が動いたことによって決着がつく、加藤なんか死力を尽くしたというより岸本の死によって気力が失せて玄野から去って行ってしまう様。ガンツは最終決戦で多恵をターゲットとするんで玄野は「本当になにもかも失ってしまう」と追い詰められていくはずなんですがどうも私はおこりんぼう星人との戦い以後、長いエピローグだな・・・と思わず感じてしまったのだ!(笑) 我ながら「そんなわけないだろ」と突っ込みつつラストまで鑑賞を終えたのさ。

そして夏菜は「世界を救う」

 夏菜さんは大手芸能事務所にスカウトされ、幾度のオーディションを経て「ガンツ」への出演にあたり「ほぼ原作の岸本にイメージピッタリ」ということで決まったそうです。その後は朝ドラ主演だしとんとん拍子の出世になりそう・・・と思われていたのですが、何故か現在「あんな大手事務所でそこそこの視聴率を取った朝ドラ女優なのに気の毒過ぎる女」というかなり複雑な状態に置かれております。んじゃ、その後の彼女の出演作が不調かというとこれまたそうでもなく、CMにしても銀行系のカードローンとかノンアルコールの隆盛でことさら売りにくくなっているCHOYAの梅酒とか・・・あまり喜んでやりたがる若い女性タレントいないんじゃ? てな分野で長く活躍しているのを観るにつけなんだかんだ言う割に皆夏菜のことが好きだよな、と思えてくるのは私だけでしょうか。昨夏のTVドラマ「ホテルコンシェルジュ」なんて皆「夏菜にあんな役を振るなんてかわいそうー」との声が上がり、彼女が後半活躍するにしたがってまんまと視聴率が上がっていったという・・・(ウチの夫もコレに引っかかって最終回までみてやんの)もう何が何だか解からない現象が起きました。「スペシャリスト」シリーズ化にあたり夏菜がレギュラーに入ったのも「お願いこの世界を救ってほしい」というリクエストでもあったんかいな?と妄想が広がってしまうから不思議です。そして考えてみたら現在でも語られるほど「不評の朝ドラ」についてなんですが(笑)、結局は「ガンツ」の続編というか夏菜さんが演ったヒロインは実をいうと「武田鉄也星人」や「舘ひろし星人」とかと戦って勝利を収めるも、「お前が悪いんだー」って石を投げられたりするタイプ、キャシャ―ンやらザンボット3に出てくるヒーロー物の女性版を極めちゃった、しかも最後には「強ければそれでいいんだ~♪」のまんま、孤高のヒロインとして私充足しましたとして物語最後完結しちゃったところに超不評の原因があったんではないかと最近分析して一人で納得しております。しかしまさにスクラップ&ビルドを体現するヒロインてゆうのも得難い個性ではありますが、そんな岸本=夏菜を救おうと頑張ったのが加藤や玄野たちだったんですけどぉ・・・(-_-;)

IF(たられば)の女 ① 「トゥモローランド」のラフィー・キャシディとブリット・ロバートソン

 

 ウチの息子はコレを観た後、唐突に勉強を始めた

 最初に何といったらイイのかちょっと悩む映画。娯楽映画としてははっきりいって構成を失敗しているというか結局何がやりたいんだよコレ(怒)となっちゃう方いそうだな。ただ真の主人公フランク・ウォーカー(ジョージ・クルーニー)につい肩入れしちゃうオッサン=昔の子供にとっては間に女子高生ケイシー・ニュートン(ブリット・ロバート)が活躍してくれないと行き場が無いという内容なもんで、というトコが辛いかなあ。でもある種のヒトにとっては「つい最後にキュンとする」わけ・・・まあ「ある種の病」を持っている人間にはということなんですけど・・・「IF(たられば)病」あと昔流行った言い方で「センス・オブ・ワンダー病」というのもありました。個人的には「危険なヴィジョン」というやつが一番しっくりあってますがっ(笑)特撮だのSFアニメだのばっかりに浸って育つとたまに大人になっても治らなくなるってことなの。

 個人的には傑作だと思ったミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル ブルーレイ+DVDセット [Blu-ray]を撮ったブラッド・バードの次の映画がコレっていうのが、もう何か・・・苦笑するしかないんですけど、嫌いになれなーい。

It's a small world⇒Tomorrow Land の入り口さ

 映画は1960年のNY万博、少年フランク・ウォーカー(トーマス・ロビンソン)が自作のジェット・パックという発明品を持って万博責任者のディヴィット・ニックス(ヒュー・ローリー)へプレゼンする所から始まります。お子様フランクの言うコトですから当然大人たちには門前払い、ですがそんなフランクに不思議な少女アテナ(ラフィー・キャシディー)が近付いてきます。アテナが「イッツアスモールワールドへ乗りに行きなさい」と指示するものですからフランクが言う通りにすると・・・いきなりそこは観たこともない超ハイテク社会の「トゥモローランド」!万博なんか目じゃないくらいの未来的な街が広がっておりました。そしてフランクは訳も解からずトゥモローランドの世界に巻き込まれていくや・・・舞台は暗転、2015年のケネディ宇宙センターへ忍び込む高校生ヒロインのケイシー・ニュートンブリット・ロバートソン)のエピソードへ続く、という展開に。

(特に日本人からすりゃ)ラフィーちゃんに「ほだされちゃって許す♡」に(笑)

 ・・・なってしまうかもね。ケイシーはパパ(ティム・マッグロウ)がNASAを解雇されるのに腹を立てて基地に侵入に失敗、警察に保護されていた所で変なバッチを拾う。で、そこからトゥモローランドについて知ることになったり、オッサンになったフランク(ジョージ・クルー二)に逢いに行こうとしたり、アテナがケイシーを迎えに来たりと・・・まあそれなりに謎と冒険とアクションが続いていきます。が、いかんせん映画冒頭のフランクとアテナのエピソードが強烈なのに、妙なタイミングでぶった切られているもんですからなんだか興味持とうにも宙ぶらりん・・・唯一アテナの活躍(殆ど少女版ターミネーター)に「微笑ましい、悪戯っぽい笑顔の女の子がはきはきおしゃべりして滅茶苦茶強いってなんか可愛い」・・・ほぼそれだけの感慨でボーっとしながら中年フランクとの合流まで見ちゃいました。あとケイシーが訪れる(つうか罠として仕掛けられる)田舎町の玩具屋の主人の名前が「ヒューゴ」おお、ヒューゴなの!相方の女の人の名前は「ネビュラ」って言わないのぉ・・・っていう、ごくくだらないコトが気になっただけ(笑)

トゥモローランドの崩壊について・・・「はぁ?」or「まあ着地点としてはギリかな」

 ・・・ということなので、鑑賞してご確認をとしか言いようがない。ディズニー製作でディズニーって割と政治スタンスがはっきりしている会社とかぁ、穿って映画観るタイプには興味深いかも。(ハハハ)展開としてはケイシーとフランクとアテナ三人でトゥモローランドに乗り込んで行って「本当に世界の危機が迫っている」のを知り、止めようとするつーことです。ただ、それよりも少年フランクがトゥモローランドに向か入れられた後、25年後に追放されるまでの経緯がアテナの長台詞によってあっという間に語られるシーンがぐっときます。で、「ぐっとくる」感情に襲われるタイプの人間、IF(たられば)病の可能性大かも。少年老い易く・・・と普通に思い入れできる貴兄もおられましょうが、だから何なのこれって小馬鹿にする方もいそうなので。個人的には少年フランク役のトーマス・フランク君はなかなか子供らしくて可愛らしいのですが、かなりジョージ・クルー二似なものですから、つい「将来苦労するのでは?」とかクルー二兄貴の「二枚目な若年寄」の二十代の御姿を思い出したりして(コラコラ)いろんな意味で「少年老い易く・・・大器晩成イケるのか?」などいろんな感慨に囚われてしまいました、御免。

 

 英国ブッカ―賞、そして偉大なノーベル文学賞よりヒューゴ&ネビュラ賞

 でしかない人間には「合わない」とだけ申し上げて終わりにした方が良いのでしょうが(笑) でもついこの間「ホロコーストの収容所で労役に従事されられたゾーンコマンダー達でさえ暴動を起こした」映画観たり、映画 暗殺教室 Blu-ray スペシャル・エディション(4枚組)程度でも「なんか↑の映画より手際の良い世界観じゃないか?」という感想がどんどん膨れ上がってきてしまうぅ、危険だっ。(2017年秋には原作者がノーベル文学賞まで受賞している現在ならさらに)だって「純文学」なのよ「純文学」なんだからあ、どうして登場する奴ら皆「随分と経済効率の悪そうなディストピアを破壊するほどの覇気」を持てないんだよとか、よくこんな「キブツっぽい」環境で育ってんのに何故お互い性欲だけは活発なの?(イスラエルキブツ内で育った子供たちでカップルになるの凄く少ないらしいのに)とか、あまり突っ込んではいけないのよっ。特に「せかいかーん」なるものが遡上に乗るコンテンツの場合、「自分の好きな世界がdisられる」ヒトの身になって少し控えめにしようかなという気がしてます。

 

 とにかく(ある程度は予想できましたが)かの岩井俊二監督とアタイじゃ、徹底的にセンスオブワンダーの感覚だの世界観だのに共通点が無い、ということだけは今回よく判りました・・・