三人の「漢(おとこ)」、一本の「〇〇〇」・・・
まさに「野郎の、野郎による、野郎のための」ドキュメント。とはいえ一発目に出すのは気が引けて二番手に登場させることにしました。
なにせDVDのパッケージにもあったみうらじゅん大先生の「コメディ映画であることには間違いない」というコメントと日本版と英語版の予告編のカンジが映像のチョイス以外はほぼ一緒だというのがまたあまりにもこのドキュメンタリー映画を正確に伝えているので泣かせます(笑)、まさに三人のオトコの生き様が激突、なぜにそこまでこだわらなきゃいけないんだろうっ、ていう。
三人の「ココロ熱き男たち」を紹介するぜ!!
まずアイスランドのフーザ・ヴィ―クという港街に「ペニス博物館」というのを建てた館主のシッギ(シグルズル・ヒャールタルソン)氏ね。このお方中学の校長先生までになられた実直な教師で学究肌の爺さんなのですがある日牛のペニスを観て心惹かれ死んだ哺乳類の男性器をホルマリンで保存した標本を作ることを決意、以来死んだ哺乳類の死体から男性器の標本を作ってコレクションするようになったとさ。博物館はもともとシッギ自身が作ろうとしたわけではなくて、家の中にコレクションが溢れ返っているのに困った奥さんの助言によるものだそうです。シッギの奥さんも夫を怒らせることなく標本を博物館に凡て持っててもらいホットしたそう・・・っていうのがなかなかアイスランド人の優しさっていうかヘンテコリンさなのかもしれません。で、映画の発端はシッギさんの男性器のコレクションは完璧に近いんだけどただひとつ足りない動物がある・・・それは「人間の男性器」だということでペニス寄付の候補者を大募集!・・というところから始まるのでした。
んで世界に向けて「ペニス募集」を発信したところ地元アイスランドから90歳の元探検家で有名なパゥットル・アラソン氏が名乗りをあげ、そりゃあ良かった博物館としても皆が知っている名士の一物というのは誇りだよ一件落着、となったのですが一人アメリカのカルフォルニアからトム・ミッチェル氏というまたお金持ちビジネスマンも同時に応募してきました。彼はまだ60歳手前というお年頃。ペニス募集に興味を持った御二方はどっちも若いころは絶倫でぶいぶい言わせてたぜっ!という過去の栄光を大事にしたいという(笑)強い願望があるらしくその証として「俺のやつ是非ホルマリンに漬けてよ」ということみたいなの。♡その点アラソン氏は年齢的に圧倒的優位で第一候補、早速ペニスの標本を作る準備だけしましょうかとサイズを図るために「片どり」を開始、確認したところ問題が発覚!・・・成人男子のナニしちゃ短くないか?って(おいおい、でもアラソン爺さん14センチはあるっていってんじゃんか)実はアイスランドは中世の時代から男性器の長さが短いと妻が夫に対して離婚を申し立てをしたぐらい男性のサイズにはこだわるお国柄だったのさっ。(日本サイズよりは大型が基本なの。だからじゃぱんめんずはアイスランドだと時に肩身が狭いこともあるかもねっ)だからシッギだけではなくアラソン氏の身内も含めて「アラソンおじさんの誇りを尊重するために」どうしたらいいのか皆で悩んじゃう、大ピンチ! 俄然巨〇を誇るミッチェル氏に候補の目が出てきたのだった。
三人のうち真っ当なる人物、そうでない人物・・・
この映画の感想を男性がやるとなぜだか↑のような議論を始めてレビューを進めるのですがアンタも何故そんなことばっかり気になるわけ?と女の私は突っ込み入れたくなります。三人とも真っ当とかそうでないとか超越してるじゃんか。(笑)それより男の誇りにもお国柄がでちゃうもんなのね~というところが味わい深いと思いますけど。シッギは「お葬式にペニスが無いご遺体だと家族が可哀想、提供して欠損した臓器とかだったらまだ良いけど」って悩むのですが、正直「?」な反応になります。(アイスランドは土葬だからかなあ?と超批評で推察してましたけど、すっぽんぽん姿で家族も埋葬したくないだろっ)どう考えても理解できないお悩みとしか。アイスランドの人びとは優しいっていうかどんな偉大な実績を残した人物でも「加齢ともに縮む」現実を皆で哀しみともに受け止めるとか・・・共感力高いのもいいけど限度があるってば、なのね。これを「イイ人達」というのはともかく真っ当とまで言うのは同じ島国マインドの人間の発想だからこそと思うわ。またアラソン氏は老いてますます意気軒昂というか生涯関係した女性に関しての昔話が止まらないというか、普通の女性としたのは3百人程度でセックスワーカー系の女性とは別カウントだよっ、とかやたら自慢デカくなるばかり(笑)おまけに自分のモノを標本にしようとミッチェル氏の野心が暴走し始めてきたのもシッギの悩みの種になります。もうミッチェルさん自分のペニスは要らないからあえて「エルモ」と命名し我が息子として社会へと送り出したーいとまで言い出す。つまりね生きているうちにちょん切った自分のペニスの標本を博物館に置いてもらって自分で観に行きたいんだってさっ。そう肥大した自我を持て余しているのが超大国のリッチにとっては(サイズではアラソン氏に4センチ以上差をつけているものの)それは同時に苦しみかもしれないのよぉ、本人はツライかもね、観てる分には爆笑だけど。
ペニスの発音って・・・
辞書で確認してみたんだけどpe-nis(pi:nis)って発音するって書いてあるんだ。でシッギさんたちもだいたアクセントは最初のpeの方において発音しているみたいなんだけどこれが米国のミッチェル氏の場合なぜだか(pi:nas)って言ってさらに(na)の方に強いアクセントつけているように聞こえるんだよね。ミッチェル氏の生涯の野望は一度でいいから「誰よりも一番早くそれをやり遂げた男」になることだそうでシッギのペニス標本一番手になることに賭けている。シッギは生きているうちに切断した標本は博物館にとってはルール違反になるから要りませんて拒否したもんだからミッチェル激怒するし話がどんどん拗れていくの。焦ったミッチェルは自分のエルモにコスプレした写真を撮ってシッギにアピールしだすし、シッギはアラソンがダメでミッチェルも厭だとすると自分のでやるしかないのか?とかまた悩みだす。ミッチェルの夢はどこまでも膨らんで「エルモ」がまんまコミックのキャラクターになって人類の危機を救ったりするヒーローになるというプランを計画しているんだ。一方シッギはペニスのコレクションは「皆に嫌われているものを救いたいという自分の願いからきているんだ、エコロジストとしての精神からさ」という自説を説きアイスランド原産で今や絶滅の危機に瀕している北極キツネの保護に取り組んでいることも強調するんだよ。そんなこと映画は交互に描くもんだから観ているうちに笑うの通りこして呆れるもんね。
体調を崩し己が標本になるしかないのかと悩むシッギさんが保護している北極キツネをセンチメンタルなまなざしで見つめるのと、エルモのことを「ぴぃなあぁす」と発音しているミッチェルさんの姿は対照的。シッギさんに至っては「もうこのヒトの頭の中には死後自分自身の標本と北極キツネのとが並べて置いている図がばっちり入っているんだろうな」なんだよね。対してミッチェル氏はもともと自分の一物をエルモって名前にしたのもセサミストリートより早かったし、今度こそエルモのアメコミキャラ化で歴史に名を残す一番になりたいって力説する。話聞いているうちに「いやあ、それだったらチャールズ・シュルツがチャーリー・ブラウンで真っ先に実践したアイデアではないのかしらん」と思ってしまった。私昔っから何故SNOOPYの漫画が「PEANUTS」というタイトルなのか長年疑問だったのですがやっといろんなコトが腑に落ちるようになりました、そういう意味じゃいろいろ勉強になった映画だったよ。
標本の行方は・・・
それは鑑賞して確認してね。ラストに博物館にあるモニュメントも紹介されるのですが日本の神社などに祭られている「ご神体」と比較していても楽しいよ。♡