- 出版社/メーカー: 松竹
- 発売日: 2005/08/27
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現代だとむしろ「スーパーウーマン」扱いされるかもね
木暮実千代は戦前、戦後の映画やTVドラマでもずっとトップで活躍した女優です。もっとも私が子供の頃に知っていた木暮実千代といえば、土曜のお昼にやってたバラエティー番組のいわゆる「大御所コメンテイター」としてでした。その番組当時の奥様向けのウィークエンダー(意味解かる人にはこれで通じるね)みたいな感じでエッチなB級の洋画(ちょうどエマニエル夫人が流行ってた頃)とか紹介されていたのを覚えています。そこで超然とした雰囲気で中央に鎮座していたのが彼女でした。小学生にはとんでもなく綺麗なおばあさんに見えたんですが、まだあの頃は還暦真近っつーくらいなだったのよね確か。現代の50代とは比較にならないくらい、老けているというよりも女性に「貫禄」や「毅然」という魅力があった時代の女ってことなんでしょうね。女優以外にも芸能人ボランティアの先駆けというような活躍をしてるし、戦中では夫ともに満州に渡って「満映」にも関わったらしいです。ひっそりと亡くなったのであんまり振り返られる機会が無いのですが、残した映画はかなり粒ぞろいの所為なのか、カンヌでクラシックな映画スターのブロマイドの店をやってるおじさんが「日本の女優で一番憧れているのは木暮実千代」て言ってたのをこの前TVの旅番組でやっておりました。私自身もそんなに映画で木暮実千代を観ているわけではないのですが、いわゆる「定番」と言ってよい「意地悪敵役ババア」だの「悪女」だの「婀娜っぽい年増役」だのをここまでうっとりするくらいキレイに演っている女優さんはいないんではないかと思います。「お茶漬けの味」での彼女もこれまたホント絵に描いたような我が儘な有閑マダムなのだっ。
女友達にとっても扱いがメンドクサイ「婦人グループのボス」
大会社の部長でエライはずなのに佐竹(佐分利信)は妻妙子(木暮実千代)に頭が上がらない。妙子は佐竹と比べて御育ちが良いもんだから、地方出身の夫のやることがいちいち気に入らなくてなんだか欲求不満な日々を姪っ子の節子(津島恵子)や女学校時代の友人アヤ(淡島千景)、高子(上原葉子)と遊び回ってやり過ごしている。同様に結婚している友人たちも妙子と一見似たような感じなんだけど、彼女に調子を合わせて佐竹について寸評するととたんにヘソを曲げちゃうのさ、このシーンでは妙子以下4人女グループで風薫る五月の頃、平日に伊豆の修禅寺温泉になんて泊まっているって設定なの。憂さ晴らしなんだか却ってお互いストレスなんだかよく判んない典型的な女子会お泊り旅てやつです。メンバーの中で一人年若い姪の節子にはそんな年上のミセスたちが正直ちょっとうんざりなんだけど、彼女の方も両親から「嫁に行くのに見合いしろ」と日々うるさく言われている身の上なので、都内に住む佐竹夫婦を便利に頼っているのでした。「すみれの花、咲くころ〜♪」と謳っていれば良かった学生時代と違ってそれぞれ家庭を構えてると悩みもウチウチにたまってくるし、同性に自分の悩みをやたら雑に理解してもらうくらいなら、いっそ孤独の方がマシっていうのも世間の奥様の本音にはあるんだけどね。だから女友達にも妙子の本当の悩みが正直判らなくて振り回されている・・・女グループには必ずいますネ「妙子」みたいな何故だかボスキャラというか女王様みたいに周囲に気を使わせる状態を作りだす女、メンドクサイんだけど、彼女がおとなしくなっちゃうとグループ内のネタが無くなってちょっと寂しくなるっていう。(笑)
「ちょいと」のセリフが連発
choito!=(ちょいと)というのは副詞として「少し」などの意味を表す場合と「ちょいと、お待ちなさいよ」という感嘆詞の意味があるそうな。で、この映画の登場人物達は「ちょいと」をやたらと連発する世代とまったく言葉として出てこない世代にきっちりと分けられている点に私は驚いたよ。(今回改めて見直したもんで)佐竹夫婦や妙子の友人たち&配偶者は皆「ちょいと」を頭につけないと話しかけられないくらい多用していて数えたら台詞の中に「ちょいと」が10回程度は出現しているはずさ。小津映画っていったら日本映画でも屈指の台詞の少なさ、簡潔さで有名なのでわざと「ちょいと」をフィーチャーしているのは間違いない。それに対して津島恵子や皆に「ノンちゃん」呼ばわりされている鶴田浩二といったヤングな二人の台詞にはちょいとなんて言葉は一切出てこないの。佐竹夫婦達にとっては若い頃にトレンディ―だった「ちょいと」も津島・鶴田には全くピンとこないというか、世代間の何気ない断絶が映画では台詞の工夫以外でも繰り返し描かれています。佐竹を班長さんと慕う戦友仲間(笠置衆)のエピソードもあんまり話の主筋には関係なく長めなのもミソ。1952年当時は「軍隊時代は良かったよなあ」と振り返るのとややぎょっとするする観客もいたかもしれないんですが、笠置衆さんが懐かしがって振り返るのはあくまでも戦争自体ではなくて、兵隊に行ったからこそ見ることができた南国シンガポールの自然のことだからね。世代間の断絶を軸に「多面的に物事を捉えよう」という視点で収束していくと思えばかなり成功していてるんですが、小津センセーいわく「狙ったことが表現できなくて失敗した作品」という旨のコメントが残っています。「お茶漬けの味」のプロットは既に1939年に出来上がっていて小津先生は自分の中国戦線から帰還後の復帰作として撮りたかったのを当時の内務省の事前検閲に引っかかって撮影禁止されちゃった。後にこれをひっぱり出してきて企画実現させました。中国に従軍した時の詳細な日記も存在してまして、その内容から察すると除隊後にやりたかった話がコレなのかよっ!ていう実はもの凄く「反骨(パンク)」な姿勢を貫いたのでありましょう。真にパンクを極めようとするとちょいとしたコトでも目を付けられるらしいのか、「出征しようとする男子をお茶漬け食べさせる等とはけしからん! 赤飯にしなさいよお祝いなんだから!」て怒られたんだってさ・・・。最初のプロットでは旦那さんが出征するという話だったんだけど戦後平和になって軍隊を離れた旦那さんは南米のウルグアイに赴任するという設定に変更されました。で、小津センセイ自身は中国戦線の後、日米開戦後にも映画人として徴用されましてシンガポールへ飛ばされたとか。二回も徴用されたのに易々と映画製作に復帰できちゃうとか、ふつうに軍隊に入る以上にいろんなタイプの人びとに会ったり、経験を積んだと仮定すると小津センセイてばとてつもない強運の持ち主、結婚だけはしなかったけど。
「我が儘を通せる女」にはそれなりの実力がある
いわゆる「女ボス」化している女性の存在はボスに付き従うグル―プの外から見るとかなりけったいです。特に男性陣からすると女性グループの中で最も美人とか賢いタイプの女性がボスとして君臨しているわけでは決してない。(合コン等行う際にもつい判断に悩むところですよね♡)やっぱり一番「ボス化」できるタイプの女性というのは上手に我が儘が言える性格であるということでしょう。同性異性問わずやたら自己主張を押し通せる「腕力」を持った女は強いです、なんたって人様よりは己の欲望についてより深い考察力があるわ、それを達成するノウハウを常に考えているわじゃ敵わないって。当然ちょっと努力すれば、凡庸な能力の持ち主よりは器用にこなせるし、できるんですが何故か自分ではやらずにヒトにやらせて得を取る。これだけ聞くとかなり性格悪いカンジがしますが、付き従う側にもこういった女性の「使い道」というのは意外とあるもんですからチヤホヤしてしまう。だって女ボスほど物事を瞬時に的確な判断を下すことが従うばっかりの女たちには不得手なんだもん、彼女の後にくっついていったら損はしなさそう。で、女ボスタイプの女はいわゆる「女優タイプ」でもあるわけ。映画ラストの佐竹夫婦がこっそり台所に入って乳母日傘で育ったはずの妻が慣れない手つきでお茶漬けを用意するということになっているのですが、動作がいちいち実に見事なんですね、木暮さんたら家事が得意なのがバレバレなのよ。(実際の木暮実千代は良妻賢母の女優で有名だった)だいたい小津映画の女優達は食い意地が張ってるくせに食事しているところは決して見せないんだけど、これは多少とも女優らしく魅力的にお食事することが求められた為に本当は何でもできちゃう木暮実千代をキャスティングしたのかもしれません。しかも本質的なところではこの有閑マダムの役が彼女の地に一番近い役ではとうっかり思えちゃう瞬間もあるから不思議なのだ。「お茶漬けの味」を「皆が羨むものを持っているのにその価値に気が付かない妻の話」として捉え直すとヒロイン自身と女友達の結婚生活との比較が身も蓋もなく簡潔に描き分けられており、女同志のマウンティングやら些細なママ友格差等をとかく言いたがる貴女には小津のライバル成瀬のウェッティなミセス映画めし 【東宝DVDシネマファンクラブ】とともに鑑賞することを強くお薦めしますよ