ミセスな女③ 「いつも二人で」のオードリー・ヘプバーン

 まさに「王道」といえるミセス物、カップル話の傑作

 どうぞ、「なんだよ、そのミセス物ってのはぁ・・・」という突っ込みしてくださいませ。今現在の日本国にお住まいの全独身者事情とは比べ物にならないくらい、「結婚」というものが人生において最重要だった時代の映画で、この手のジャンルとしてもかなりの上位に入る傑作でございます。この前の昼顔 [DVD]では今も昔もまったく泣けるトコはありませんが、この映画は既婚者なら泣けるよ、そんでもし独身なのに(特に女性で)うっかり泣いてしまう方は、諦めないで地道に婚活することお奨めします。で、結婚自体に期待より不安が大きい人間が観た場合、割と淡々として地味なだけじゃんと感じるかもしれませんが、そこは気にしないで70年代のオードリーが着こなす当時の高級プレタポルテの数々を目の保養にしてくださいな。

「あそこのカップルは恋人? それとも夫婦かしら?」

 映画の主人公のジョアンナ(オードリー・ヘップバーン)が恋人に発する象徴的な台詞として有名なんですが、実をいうと同じセリフを不倫中の愛人にも結婚前の夫マーク(アルバート・フィニー)にも尋ねているんだよ。愛人とランチ中の会話の中に出てくるシーンが有名なので、後半マークとの会話のシーンでちょろっと出てくる方のエピソードは大抵のヒトが忘れちゃうみたいなのだけど。ちなみに観ていない方の為に説明しますとこの映画はジョアンナとマークが大学生時代に旅行先のフランスで知り合って、結婚し、子供が生まれ、夫の仕事成功した後双方に溝ができてヒドイ倦怠期を迎えているというお話をアトランダムにエピソードを繋げて構成しております。なんで時間はあっちこっち移動するのに、いつも舞台は夏のフランスで、やることもバカンス時なので、ひたすら観光しているだけ。この「同じ場所(しかも一見非日常な休日期)で男女十数年の軌跡を描く」という設定がいかに秀逸なのかというのも結婚してみると本当によく分かりますから。だいたい男のヒトって最初は如何に自分が遊び好きで、旅行好きだと女の子にアピールしたところで外食するのも旅行に連れて行くのも結局はいっつも同じ場所て決まっているものです。その上「楽しかったろ? あん時だってキミ結構楽しそうにしてたじゃん」などと意味もなくたたみかけ、しかもヘンに交ぜっ返すと深刻な喧嘩になるので、だんだん妻とか彼女とかいう女性たちは辟易してくるのですが、そういう夫婦の行き違いがマックスにまで達してしまったのがこの主人公夫婦なのでした。で、先ほどのセリフのシーンに話を戻すと一回目と愛人との会話はジョアンナ夫婦の娘が5、6歳ぐらいで、映画冒頭のすんげー夫婦仲悪い時は娘がもう小学校3,4年ぐらいになってる感じのそろそろジョアンナの子育ても一段落よといったところ、二回目に登場するマークとのシーンはホント二人の恋愛初期で一番昼でも夜でもいちゃいちゃしたい盛りの若者期にあたります。独身(特に男子)はヘプバーンもうおばさんじゃん(出演時30代後半)に気を取られるのもあるのか、ごちゃごちゃして判りにくいよでしょうが、これが所帯持ちになって「どこで俺の人生間違ったのか?」自問するようになると映画の構成に無理が無いような気がしてくるのではないでしょうか。女なんて結局どんな黒い腹で自分なんかと結婚しようとなんか思ったのさ? そのくせ文句ばっか言いやがってて内心憤ってるだろうしね。

 ジョアンナはセヴリーヌよりも遥かに図々しい女

 ま、「昼顔」なんかと比べるとそういうことですね。マークとの最初の出会いからしてですが、マークはやたらせっかちな青年でよく探しもしないのに「やばい、パスポートがどっかいった!」とすぐ騒ぐのですが、そんな彼のパスポートを見つけてあげたのが地味でもっさりした娘のジョアンナ、この後結婚してからもひたすらマークはパスポートをどっかに忘れちゃあジョアンナにみつけてもらうのです。これが続くと妻に尻に敷かれているってよりも「パスポートを見つけて管理することぐらいしか自分のやることって無いかも」という気分に陥って暗ーくなっちゃう奥さんも世の中多いんだけど、そんな女の機転が「この男はアタシいなきゃあ駄目なのかも」という確信を抱かせるのも確かなんです。で、そういうベタに尽くすタイプジョアンナはひょんなことから、マークの一人旅にくっついていき、マークも本当のところジョアンナが一緒にいた方が楽しいし嬉しいということで結局二人はくっついちゃうのでした。マークは当初警戒してジョアンナにいろいろ御託を並べるのですが「オンナの子は何だかんだ言ったって身持ちが固すぎる」や「一度そんな関係になったら結婚を考えるのが普通」という女子が一緒にいて安心できるし、結局俺はそんな女子が好きだっていうのもホントよく描いています。マークの元カノというのも登場し、振られたのは元カノに「コイツは出世の望み薄と値踏み」されたからだということがバレちゃうエピソードもあるしね。ちなみに英国製作の為かマークは米国の大学に留学して元カノはモダンで合理的なアメリカ人女性というのくすぐりもあるのさ、そんな脱線も面倒がらずに楽しまないとこの映画の結婚生活って一直線に幸福でも不幸でも無いて感じが理解できないよぉ。で、ジョアンナのひたすら粘り強い図々しさも観て後学としましょう。セックスした相手とは結婚しないとやっぱどこか損したと感じないわけにはいかないわ、結婚しただけで子供も居ないと退屈で我慢できないわ、ヨソの男に引っかけられても長々と旦那と愛人比べたあげく、結局しらけちゃうわて・・・ある意味どこまでも「上から目線、もしくは健全な自己中心主義」の凄さ、結婚するにちょう良い安定した女性の内実とはこんなもんです。だから彼女は「あそこのカップルは・・・?」という質問を恋人達相手にに平気で繰り返すのさ。

 日本の洋画ファンには結構やっかいな「オードリー・ヘプバーン問題」

 オードリー・ヘプバーンといえば日本のクラッシックな洋画ファンにとっては永遠の憧れ女優№1として特に80年代後半からしっかり定着しています。なんたって彼女の活躍時期を通して「日本人が好きな人気女優一位」として映画雑誌でもフィーチャーされていたわ、当時の日本の服飾業界でも崇められていたわで当然ともいえるのですが(どれだけの影響力だったかというと、現代でも古風な露店ではお便所サンダルのことをヘップ履きと表示してあるのを見たことある人いませんか? あの「ヘップ」はヘップバーンからきているの)、それ故か結局演技力で勝負した女じゃないんでしょ? 単に可愛かっただけでという声も根強くあり、映画評論界では「神の声」ともいえる金井美恵子センセーの手にかかると「あんなのは宣伝用スチール写真のおかげでようやく持っているガキんちょ」でしかないんだそうです。しかし、実際に演出する側(金井先生にとっては殆ど女を観る目のないバカ男)にはヘプバーンのような男優の個性を引き出す相手役女優はなかなか得難いんだそうで、高い評価をしてる人間も多いのです。「いつも二人で」でいうと夫役のアルバート・フィニーはガッチガチのシェークスピア俳優から出発し、ずっとシリアス系のヒトだったらしいのですが、この映画では開けっぴろげで怒りっぽいけど割と素直、という役をのびのびと演じています。後のミラーズ・クロッシング [Blu-ray]での強烈マフィアの親分役も「いつも二人で」の演技が無かったら生まれなかったかもしれません。

ローマの休日 日本語字幕版 オードリー・ヘプバーン グレゴリー・ペック FRT-096 [DVD]

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 最初観た時は「この映画が最初で最高だった可哀想な女」だと思ってた

 ・・・でも最近の意見は違います。当時のハリウッドは赤狩り旋風の真っただ中でこの映画の製作過程はも単なるロマンチック・コメディーでは終わらない、スリリングなものだったらしいですしね。ヘプバーンは偶然にも小学校ぐらいの歳でナチスに抵抗するアルチザン活動のパシリをやっていたような娘で、そんな彼女だと製作チームの雰囲気や要請をつかむのも抜群に上手かったことでしょう。こういう女は周りにただ「作られて」終わることは決して無かったはずです。