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そういえば「やさぐれる」とはどんな意味だったけ?
「ヤサグレ女」とくぐったのはそもそもどうやって取り上げたらよいのか? と悩むタイプの映画を集めてみたかったので、これからだいたい3本程度まとめた上でちょこちょこやろうかと思っています。「やさぐれ」とは国語辞典によると①家出する、宿無しの状態でふらふらする。②「ぐれる」とくっついた元々は不良の隠語、すねる、ふくれる、無気力で投げやりになる、という意味なんだとか。「やさ」は刀の鞘がひっくり返った表現とも・・・椿三十郎 [Blu-ray]の中には椿三十郎のことを「あなたは抜き身の刀のようなお方、いい刀というものは鞘に入っているモノですよ・・・」なんて評する有名なエピソードがありますがこれって、アンタもいつまでもやさぐれてちゃ、いけないわよって釘を刺しているということですね。で、「ヤサグレ女」が主人公ということはおのずと「どっかアウトサイダー」な要素があるヒロインということになるでしょう。「下妻物語」のヒロイン桃子(深田恭子)とイチゴ(土屋アンナ)だと片や「周囲の目線を気にせずロリータファッションに突っ走るマニア」と「根が真面目なヤンキー」というコンビ。まあ十代だし、世の中若い女の子に世の習いのを説くよりも利用できる時に利用した方が得・・・という高度消費社会においてはたいしてはみ出しようがないのですが、それでも映画の舞台である茨城の下妻というところではロリ―タだろうがヤンキーだろうが田舎過ぎて皆にスルー(無視)されるという不良にとってのある種の壁ががゆるーく存在している為、ヒロインたちの日常も結構めんどくさいコトが多いね、っていう映画になっております。そういう意味ではストーリーはあってないようなモノかも。
私はこの映画以降の中島哲也の監督作は観ていない
「下妻」が好きな映画に挙げてるファンの中にはこれよりもその後の「嫌われ松子の一生」とか「告白」でどっぷり中島映画の魅力にはまったヒトと私のように「下妻」一本きりの人間におそらく別れるのではないでしょうか。もっと云うとどうして「下妻」以降「告白」だの「嫌われ・・・」の方向性に行っちゃたのか考察するのが私としては一番興味深いかも。「下妻」以降の中島映画興味なしの人間には多分に世代も関係していて、なんか雑に育った昭和系文化にルーツを置くタイプ(私みたいなの)だったりするのかなあ。どっちかっていうと「告白」なんて話が好きなタイプの方が根はずっと心優しいヒトのような気もしないではない。
で、アンタは何故に「下妻」以降の中島映画に興味ないのかい? という問いに答えるとですね、それは私が基本的に「主人公がする行動(アクション)についてこだわるタイプ」の観客だからです。主人公が「ワタクシって○○な人だから」と映画の中で主張することにはあんまり興味ない。そんでもって日本人の観客は「主人公が自分は○○なヒトって映画の中できちんと説明してくれるコト」により深い満足感を覚えるタイプが実は昔っからとっても多いの♡。ワクワクな活劇の行く先よりも、情念(もしくは愚痴とか呪文)のひたすらリフレインが好き! とか、いくらコアな映画マニアが理論武装しても結局日本人はホラーじゃなくて怪談の方が好きなんだもーんとかさ。・・・まあ、私自身が日頃日本映画に感じているフラストレーションをひとしきり吐いたところで中島映画に戻りますと、「下妻」の後には「この子は結局○○なヒトなの・・・」ということを探るためにどんどん深くダイブしていく方向で物語がシフトしていく構成の映画を作るようになったのではないでしょうか。日本の観客にとってはむしろそっちの方がより娯楽(エンターテイメント)だし、映画が明かろうが暗かろうが感動的であろうが、タメになる面白い映画として評価しやすい。それにだいたいキャラクターの内部をえぐるように「ダイブしていく」構成で上映時間二時間強ほどをモタせるなんてのは並みの力量ではできません。2本立て興行中心だったロマンポルノや新藤兼人御大が脚本書いていたようなプログラムピクチャーの時代ではない21世紀において、よりポップで最新の技術にも強くてそれでいてかなり和風テイストの中島映画というのは貴重な存在とは言えるのかな、でも私自身は苦手かも。
自分はまだ何者でもないし、そんなこと急いで決めなくても良い。 そんなお年頃なの・・・
ま、上記のような屈託のなさというのはむしろ原作の嶽本野ばらサマ自身の個性のなせるわざだったかもしれません。「下妻物語」の先達のお手本としては橋本治の教養小説の傑作シリーズである桃尻娘 (ポプラ文庫)等もありますしね。どうせ小娘たちのやることですから行動は当然「取り留めのないモノ」でしかないし、ひたすら「こう見えても私○○なのよ」の青臭い自己主張の繰り返しじゃん・・・と言えなくもない。でも「教養小説」って小説の骨格が基本、主人公がいろいろな経験を重ねるうちに内面が変化していき、大人になっていくというコトらしいんですよ。なので「下妻」なかでも桃子の内面が劇的に変化しているシーンはきちんとございます。レディース仲間とのトラブルでイチゴを救うため原チャリで農道を走ってたら、(軽トラとか、耕運機だったかどっちだったっけ)正面衝突して桃子が意識を失っている間、今まで自分の育ってきた記憶を自己編集しながら夢で再現しているシーンのことですね。そこで桃子ちゃんが、何故尼崎から下妻へやって来たのだとか、桃子ママ(篠原涼子)が桃子パパ(宮迫博文)を捨てて桃子のことを取り上げた産婦人科医(阿部サダオ)と再婚しただとかが説明されることになるのです。ここを観た観客の反応で「下妻」からずっと派と「下妻」っきり派に分かれるかもしんないです。ずっと派の方は「やっぱり桃子ちゃんもクールに見えていろんなことを納得するのにそれなりに苦労してるんだ」とか「彼女の内面には多少なりとも傷がある」ことを確認して安心するんでしょうが、私ときたらここで桃子が文字通り産まれ変わるというキモともいえる表現なのは解かるんだけど、ちょっとだけ退屈って思ってしまったのだっ。お母さんが金持ちの産婦人科医とデキちゃったとかさ、あらかじめ桃子パパと桃子ちゃんで突っ込んで話し合いするシーンがあればこんな長くなくとも、とかって考える私はきっととんでもなく雑でめんどくさがりの客なんでしょう。むしろ何とか桃子がイチゴのピンチに駆けつけるのに間に合って、伝説のレディース・ヒミコに至るまでのオチによりスカッとするんだもん。
どうして「進撃の巨人」なんかオファーしたのさ
正統派の教養映画? から最近作の「乾き」までの反教養映画とひたすらキャラクター内面への「ダイブ」で映画を構築していく中島哲也監督に進撃の巨人 (初回生産限定盤) 全9巻セット [マーケットプレイス Blu-rayセット]映像化の依頼をするなんてのがそもそも無理があったのかもしれません。だってあの主人公、自分の母ちゃん食っちゃった「巨人」族の一人に自らも変身したというのにあんまりパニック起こさないんだもん。力への希求が半端ないくらい強い、ある意味究極マッチョでグローバルな内容の少年漫画になりそうだもんね。予算がどうとかって以上に中島ワールドとはまったく非なるものだったので降板、てことでしょう、おそらく。