昭和の女② 「七人の侍」の津島恵子

七人の侍 [Blu-ray]

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 大正生まれの師匠は黒澤明が嫌いだった

 一応看板に「時代劇研究会」と銘打って月一回の勉強会を続けているというのに、当の主催者であるウチの師匠は黒澤明のことは嫌いだわ、黒澤映画を代表するようなダイナミックな活劇としての時代劇にも殆ど興味が無い人だったので、黒澤映画の話題が出ることすらなんとなくタブーだったくらいです。おかげで勉強会をやっているうちに城戸賞を取った人やTV局主催のコンテストの賞を取って現在は人気劇画の原作もやっている人(しかもどちらも時代劇のシナリオで受賞)もいるというのに、彼らには未だに「大型時代劇」の仕事のチャンスだけが巡ってきません。こういうのもひょっとしたら何かの「呪い」ってやつでしょうか。ちなみにウチの師匠(下飯坂菊馬)の師匠にあたる井出雅人は乱 [Blu-ray]影武者 [Blu-ray]でも黒澤と一緒に脚本を書いているので、製作の裏話等を師匠はじかに聞いているはずなのですが、それでますます本気で黒澤嫌いになっちゃったのか「それなのにも拘わらず」ひたすら頑固に黒澤嫌いになっちゃたのかぁ? どっちにしても私にはよく解かりませんでした。だいたい3人ともとっくに鬼籍に入りましたから確かめようがないのだ。

 七人の侍」は戦時中田舎に疎開していた(主に)都会人像の投影

 ・・・だという説が、日本の映画評論の世界でも一応定説のひとつになっています。だから戦時中に外地ではなく内地で米軍の空襲やら攻撃に備えて頑張った人達なんだと思ったほうがいいです。黒澤明という人は実家の父と兄達が軍人なのに映画界に飛び込んだのですが、黒澤家では彼を徴兵させたくなかったらしいとか。(実家の親兄弟が士官クラスのなのに当人が一兵卒で入隊すると古参兵たちに相当苛められると予想したらしい)実兄の一人である黒澤丙午が無声映画活動弁士でトーキー導入の折に失意のあまり自殺したという経緯もあるので黒澤明自身の本意ではなくても彼は徴兵されるのを諦め、それが後々「罪悪感という心の傷」になったようです。で、他にも実はたいした理由も無しに、それも「徴兵検査に不合格」といった当人達には不本意な形で徴兵されなかった若者も当時はいたらしく、例えば三島由紀夫は親が高級官僚だったので学徒動員されず、うちの師匠にしても親が裁判官という家だったせいなのかやっぱり徴兵検査ではねられて勤労動員に回されたそうです。師匠自身の話振りから察しても、これらは必ずしも彼らの親達が積極的に手を回したケースばかりではないはずでしょう、おそらく軍隊の側が「戦後の日本を担う中枢の人材だけは守らなきゃ」と勝手に当時の行政側のセレブ系高学歴の若者を出したくなかっただけじゃないかと私は推測します。
 えーっと、それでいきなり映画の内容にハナシが飛んで何なんですが、うちの師匠は七人の侍の一人勝四郎(木村功)のくだりに激怒してコイツ(黒澤)生涯許さなねぇ!!ってずーっと根に持っていたとしか私には思えないんですね。師匠は当時勤労動員で水戸に飛ばされて畑仕事やらされるわ若いオトコがいないので地元ギャルに激モテされるわ大変だったとか。ハイ! そこで浪人勝四郎の村娘志乃(津島恵子)とのロマンスの顛末と映画のラストを思い出してみましょっ♡、「野武士の襲撃がくるウチは二人の恋の炎は盛り上がっていたのに、戦闘が終わって村に平和が来るや勝四郎は振られる」でしょ? つまりこの手のエピソードは地方に勤労動員された若者たちの間では腐るほどいっぱいあったようなモノだったの。戦時中は勤労動員の若者を追っかけてた村娘たちが戦争終わって地元の青年たちが村へ戻ってくるや、手のひらを返したように冷たくなったんだって、それはどこの田舎でもあったんだとか。なので「七人の侍」を観た勤労動員された過去を持つ若者たちの中には長丁場の映画で自分の厭な過去を思い出させられるわ、戦争当時の疎開先の内実を公共の場でバラされるようなもんですから血気盛んな年頃(師匠)で怒るのは当たり前だよね。

 「素朴で初心な女の子」役が得意だった津島恵子

 「七人の侍」の中でも唯一突出したヒロインとして登場する志乃(津島恵子)はその容姿からしてもここまで艶っぽく描かれるには平凡過ぎやしないかい? という印象を持つヒトもいるかもしれません。ただ彼女はそれ以前の出演映画、例えばあの頃映画 安城家の舞踏會 [DVD]での箱入り育ちの令嬢とか、お茶漬の味 [DVD]に出てくる主人公夫婦の親戚の娘役等、恋に恋するお年頃というかいかにも恋愛体質&結婚願望高めな乙女という役柄で印象深かった存在なのです。なんつーか、高峰秀子をもう少しおっとりさせたような感じ高峰秀子の方は戦後演技派のどんどん強ーい女性像へシフトしていきましたから、彼女が「お嫁さんにしたい女優」だった時の面影を津島恵子に引き継いでもらいたかったのかもね。「七人の侍」での津島の起用は黒澤の強いご指名だったそうです。ちなみに黒澤明高峰秀子との間にも結構因縁があったというのも有名な話ですが、それを踏まえてのあの勝四郎のエピソードだと思うと「七人の侍」への観方がかなり変わってくるかもしれません。外国人が七人の侍のうちどの「侍」がやりたいか? と尋ねると米国人は「志村喬」、フランス人は「宮口精二」、断然三船敏郎の菊千代が好きなのはイタリア人などと出てくると生前黒澤センセイはよくおっしゃっていましたが、誰も木村功の役がいいなんて言う人いませんよね、でも黒澤自身の自画像に一番近いのは「勝四郎」だったということですから。そういう意味ではうちの師匠と黒澤明にも相当共通点があるといっても良いと思うんですが、師匠もかなり頑固な性格だったのでとてもなんか共感しても良いかもという感想に変わることは遂に無かったようです。

 注意その1

 今回も毎度のウィキペディア情報に頼っているので、きっと一部間違いがあることでしょうし、今現在(2014年4月現在)のウィキペディアには載っていなかったんだけど以前には記載されていて「これはアリだな」と思った記述も参考にして書いてみました。黒澤明の場合はあまりにも神格化し過ぎちゃっている研究家もいるのか「黒澤が兵役に行かなかったのは当時の日本映画界が彼に戦死されちゃ困るから徴兵されないよう画策した?」等というかなりトンデモ本ではという著書もあるくらいですが、そういう意味ではウィキペディアの方がまだマシかも。しかし、すぐに編集し直されちゃいますけどねー。

 注意その2

 「七人の侍」の脚本は主に黒澤と橋本忍が執筆し、小国英雄がそれらをチェックした(とは言っても実際には小国が最終的な構成を決めたということなのでしょうが)というハナシです。なので脚本の中は「黒澤パート」と「橋本パート」できっちりシーンごとに分かれているということであり(エピソードの内容も別々に書いたんだよ)、ウチの師匠はそれを知ったうえで「黒澤嫌い」になったわけです。なので橋本忍御大に対してうちの師匠はなんの「わだかまり」も持ち合わせてございませんでした!・・・これだけは絶対言っとかないとね、だいたい今週末師匠の七回忌だってんで墓参りに行くのよ。(なのにこのタイミングで書くとは思わなんだ)