ふられてもしょうがない女⑦ 「アデルの恋の物語」のイザベル・アジャー二

 「麗しきストーカー」かつ「勇敢な冒険家」

 ・・・ってことですよ。それに私自身が初めて「ストーカー」なる単語を認識したのはまだ鑑賞していないんですが、タルコフスキーの「ストーカー」って映画のタイトルだもん。そこではストーカーってヒーロー的なボジションの主人公だったはず。「アデルの・・・」にしろ当時18歳のアジャー二が演った時はたしか70年代ごろだったし、その時代はまだ恋情ですべてをぶっちぎって突き進む女は羨望のまなざしで見られていたっけ。フランス映画は未だその伝統が健在なんでしょうが、日本の場合はどうなんでしょう? この映画を観て友人と感想を述べ合った時、友人の方は「怖くてとても観ていられなかった」んだそうです。そういう彼女自身は私なんかよりはよっぽど恋多き女性みたいだったんですが。それともオトコ日照りが当たり前のヤツには身に詰まされずに済むってことなのでしょうか(笑)

映画のエピソードは殆ど「アデルの日記」自体に書いてあるそうな

 主人公はアデル・ユーゴ―という文豪ビクトル・ユーゴ―の娘でコトの顛末も実際にあったことだそう。とは言っても実際のアデルがかつて自分に言い寄った男を追っかけて新大陸へ一人で渡航しに家出したのは30代後半ぐらいで、トリフォーがTVで十代のイザベル・アジャー二を見初めてアデル役に抜擢すると言い出した時、ヒロインの年齢のことで突っ込む意見もあったそうですが「それが何だったつーんだ?」って言い返したとか。

細かいストーリー・・・実は「お、思い出せないっ!」

 何度も思い返してみたんですがね。はて、どんなハナシだったことやら・・・となっちゃう。なんたってこの映画ほぼヒロインの行動についてだけの描写で内容の大半を占めているんだもん。だから観たくせに話のストーリーの詳細を語れないのはなにもワタクシめ独りだけではないのよっ。(うふふ♡)必ずアデルが追いかけている男の名前は「ピアソン中尉」っていう英国軍属の軍人である旨はどのガイドにも書いてありますが、何故にフランスの文豪の娘っ子が英国人との激しい恋に落ちて、新大陸?(アメリカ? カナダ?ってことだけは寒そうなんでようやく解かる程度)にまで渡って下宿までしてんのか、今ひとつ納得できないままアデルの暴走がどんどん痛々しいくらいにエスカレートしていく様に付き合わなくちゃならなくなる。アデルを除くと他の登場人物といえば、カナダに下宿した先の大家のマダム(MOVIE WALKERのコラムでようやく映画のプロットの全容が分かったのさ)、催眠術師のおじさん、バルバドス島の黒人マダム、そしてひたすらアデルにとっての恐怖の記憶としてフラッシュバックされる「若くして水死したアデルの姉」という人たちしか印象に残らない。最後にはアデルったら、追っかけているはずの彼とすれ違ってもピアソンだと気が付かないくらいに正気を失ってしまうのですが、それ以前にピアソンっていう男に強い印象が無いものだからあれれこのヒト、この擦れ違いのシーン以外に「バストショット」まできちんと映っていることあったっけかなあ・・・ってつい思っちまった。だから「アデル・・・」の細かいストーリーを紹介しなくちゃならない人間は「たしか、ヒロインが追いかける対象の恋人役の名前はピアソン中尉・・・」ってところからつい書き始めたくなっちゃうよね。(笑)

カノジョの「取り巻いている背景」も「内面」もどーでもいい、のだっ

 アデルが当時棲んでいたのは英国領の島だったそうで、なんでかっていうとお父さんのビクトル・ユゴーが帝政ナポレオン時代のフランスでは追放されてしまってたからなんですね。それでそもそも娘アデルによる英国軍人との恋愛沙汰なんてのが起きてくるのですが、そういうことがようやく分かるのも政権が変わって父ユゴーがフランスに帰還できたというエピソードが、アデルが18年間の放浪生活を終えてユゴーの元に戻ったという、もう映画のほぼエピローグって感じの最中に、ナレーションで事務的に伝えられるっていう・・・トリフォーの映画では最後によくやる「ちゃちゃっとした説明」で「FIN」てやつです。ここの内容をちゃんと押さえていれば、そうか! だから19世紀っていう時代にアデルって娘は平気で女一人、海を渡って見知らぬ大地へと旅ができるのかぁ、カッコェーぜなどと思う人もいるかもしれません。(まあだいぶ奇特なヤツか)21世紀になった現代の観客はよりマニアックでインテリぽいというか、アデルは父親サイドから過干渉を受けていたからああなっちゃたんだとか、アデル一人で「偉大な文豪ユゴー様御一家」の苦難を体現する人物だったとか、いろんな深読みをしたがるかもしれませんがトリフォーはそういう主人公の背景や内面を大仰に表現するのは好きじゃないらしいので、南国バルバドスのテラスで一人の教養のある黒人のマダムが「レ・ミゼラブル」を読んでいると、そこへぼろぼろの姿のアデルがやってくる。そんなマダムが思わずアデルを助けようとする・・・という表現の仕方しかしません。そういうストイックなやり方で映画を作ると、後々の人々に名作(クラシック)として語り継がれるらしい、ということも知っておくべきかもね。

 ホントすいません・・・増村保造監督のこの映画とトリフォーの名作「炎のエチュード」にはほっとんど同様の問題カットというのが存在してまして、「セックスチェック・・・」の方は題名からも察せられる通り訳わかんなくてド変態な内容だし、非常に地味に表現されているので公開当時は皆問題にしませんでしたが、「炎の・・・」の場合は当時のフランス映画界からの大ブーイングをかって問題カットは削除されて公開されました。上の記述が当初想定していたよりかなりお上品になってしまった為、こんな映画二作を合わせて紹介するのはとてもきまずくなってしまいました。奇特な方だけが参考までに「セックス・・・」と「炎の・・・」の二作を続けて鑑賞していて頂いて是非「ろまんちすと」と「変態」は紙一重なんだってことを楽しんでください。潔癖な性格の方(特に女性)にはお勧めしません。