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「麦秋」は「晩春」「東京物語」と合わせて「紀子三部作」(ヒロインの名が共通して紀子だから)ということになっています。が、おすすめの鑑賞としては「晩春」「めし」「麦秋」の順番でいくのがベストではないかと。「晩春」が結局のところ、どS、もしくはどこかエロい映画だとすると、「麦秋」のほうはどМの映画。とにかくМ的に長いんだもん(確か二時間以上あったよ)小津映画としても例外的に長い映画ではないでしょうか。内容も概して総花式っちゅうか、だからみんな普通のことしてるだけじゃん、何が言いたいわけってな感じでして。血気盛んな年頃のヒト達には面白くもなんともないかもしれません。
ただし小津「耽溺者」にとっては別・・・というか人生のある時を過ぎた男のヒトが特にうっかりハマってしまうような吸引力がある変なテンションの映画。突然映画「麦秋」の良さに気が付いたという中年男性のハナシはよく聞きます。(おそらく勝手な想像ですが)原節子演じる紀子さんにちくちく口撃されたーい、もっと悪口言われたいというМ気分が刺激されるのではないでしょうか。ここでの紀子さんはオールドミスだけど、明るく元気でそれでいてちょっと辛辣。ここまで闊達な原節子さんもあまり他では観ないのです。
そして「М」な映画はマゾというだけではなくて、盛りだくさんという意味でもあるんですね。大家族の話なんだけど、原節子をはじめ大人たちはずーっと食べてばっかり(子供寝かしつけた後大人だけでケーキ食べたりするんだ)子供たちのほうがもっと食料よりも大事な夢だとか、文化に対しても餓えを感じているからそんな大人に怒って家出したりする。で、てんぷらだのケーキだの食パンだのやたら「粉もの」ばっかりでてくるんだなあ・・・とぼーっと考えているうちに気が付いたんですが、タイトルが「麦秋」っていうのはひょっとしたら麦の実りを謳歌している当時の日本人についての多少の揶揄も含んでいるのかもしれんと思えてきました。戦後米国は食糧難の日本に対して猛烈な小麦攻勢を仕掛けてきて、日本を食料輸入漬けにしていくきっかけを作っていきましたからねぇ。
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「晩春」「麦秋」とキレイにSM体験を経ると気分はだいぶスッキリするかもしれませんが、じゃああの二つの映画のキモっていったいなんなの? という疑問は残ります。で、「めし」観ましょう。それこそ小津映画ってあんまり好きじゃないという方がより「ああ晩春のヒロインってこういうことについて心配してたのね」と理解できることうけあい。「そうね、こうやってキチンと説明してほしかった」とかね、納得できます。成瀬巳喜男監督作品なので前述二作を理解するのに補完となるはずがないのですが、しっかりそういう機能を果たすからある意味凄い。やっぱ小津をライバル視しているヒトだけのことはあります。「めし」だって物語としてはどうってことのない夫婦の心の漣を描いたホームドラマでしかないのですが「晩春」ではすっ飛ばされているヒロインの心情がここではきちんと拾い上げられてしかも簡潔に表現されています。・・・そしてこの映画の原節子はキレイ。成瀬映画の原節子のほうがずーっと好きという人も多いでしょうが、それにしてもワンカット、ワンカットまるで絵のように美しいから不思議です・・・・って「絵」のように?
女学校の友達と気まずい会食の席を交えるシーンだとか、一人愚痴りながら夕飯の米を研ぐシーンが完璧に「絵」。構図が完璧としか思えなーい、何だこりゃ、と不安になるくらい美しいのでありました。まるで美人画のモデルが動いているような錯覚すら覚えます。本当の美人だからそうなんじゃない? そんな単純なことなの?
だんだんこんなことを思うようになってきたのですが、もし原節子の真価を論じなきゃならないとしたらポジショニングの天才的な上手さ、芝居をする女優として以前に美人画のモデルのような完璧なポーズを瞬時にやってのける凄さにあるような気がしてきました。ついでに言うと成瀬監督は比較的自由に演技させるタイプのようだったらしいですが、だからといって成瀬映画の女優全員が原節子ほど完璧な構図に常に納まっていたわけではありません。神がかりな芝居をする女優を、どんなに才能溢れる監督がただ誠実に追っかけたからって「いい枠(フレーム)」に存在させられるわけでもないってこと。(とにかく十代に出演した映画の宣伝スチールなど変です、最初っから他の同時代の女優とは違うアプローチで演技しようとしてたとしか思えません。あれじゃだいぶ周囲から怒られていたことでしょう)
ここ2,3か月彼女と同年代の森光子や共演者だった淡島千景らが他界し、評伝なんかも出版されたところをみるといよいよカウントダウンが近い(2012年末)のかもしれません、だから長いことほっといて唐突に更新したということではないのですが、原節子の「神秘」や「孤高」をいうときに男関係のことしか話題にならないのは非常にモッタイナイと思う昨今であります。