2018年に劇場で見たクラシック映画

 考えてみたら昔の映画もあんまり観ていない事に不安を抱くようになってます。こうしている間にも(2018年1月現在)やれ「アトランタ号」なのなんだの話にだけは聞いていた映画が公開されるので見逃したらどうしようかと新作映画よりも一層焦ってくるので要注意でぇす。

 

シェーン HDリマスター [Blu-ray]

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  何だあ限りなく日本映画っぽい西部劇だったのね。という第一印象だったです。西部劇としても今までに無い暴力シーンに当時のUSの観客は驚いた・・・て逸話も聞いたことあるのに、開拓民同士の二つの派閥争いはホントに畑耕すお百姓VS牛飼い軍団で意外に主人公シェーンが味方するお百姓さん達がより皆さんワリにヴァイオレンス派だったみたい、んでこの手の腕っ節でごねるタイプの百姓や百姓上がりの任侠は日本で映画ではおなじみだったりするのでぇ・・・等と年末の飲み会で話をしたのですが、シェーンの脚本家がそもそも日本の戦前のマタタビ物や時代劇好きだったらしいという事を教えてもらいました。開戦前からUSでは日本の研究を相当やったという話はよく聞きますがハリウッドでも徹底的にやったんだね。

 

七人の侍 [Blu-ray]

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  デカいスクリーンで初めて観ました。今回は後半部分で村の水車小屋が燃えて、菊千代(三船敏郎)が生き残った赤ん坊を抱えて「コレは俺だー」って叫ぶシーンが一番良かったです、TVで何度も観てたのですが、そん時は「なんでこんな慌ただしくこんな芝居をぶち込むんだろう」と感じてただけだったのですが。

 

雨に唄えば 製作60周年記念リマスター版 [Blu-ray]

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  夏休みの息子と一緒に新宿まで観に行ってきました。いつもは午前10時の映画祭って殆ど予告編を流さないイメージがあり、10時ぎりぎりに劇場に到着し息子を席にと先に着かせてポップコーンを買おうと思ったんですが、例のクレジットカードで素早くお買い物のレジが幅をきかせているシネコンなので現金レジのポップコーン売り場が激混み・・・遅れちゃうとそのまんま席に着くとこの時に限って予告編を延々10数分流すという具合だったのでぇ、ポップコーンが無いと落ち着かない息子はプンプン。映画本編が始まって15分ぐらいは「ポップコーンはっ?」と五月蠅かったのですが、その後は映画にのめり込んでおりました。ウチの息子はとにかくミュージカル&音楽映画なら激ハマりするタイプのようです。当初は古い映画なので行きたがらなかったんで母親としては驚異でした。ちなみに私はいつも終盤のジーン・ケリーシド・チャリシーのダンスシーンがいきなり投入されてる部分でついうっかり寝てしまいます、でもあれも有名なシーンなのよね。息子に「何故母ちゃんココで寝るんだよ」と無言で起こされました。彼にとってはすっごくドラマチックで良いとこ/シーンであったようです。でも女の私にはあのジーン・ケリーが夢想する男の自叙伝風ミュージカルの「しつこさ」は謎。(笑)

 

早春 デジタル・リマスター版 [Blu-ray]

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  映画観た後、同じく早稲田松竹のロードショーで観た若い女の子が「古い映画でオジサン達がゲラゲラ笑ってたけど、ラストのヒロインの長台詞では皆笑わないの。私はゲラゲラ笑った」という内容のツイートを目にしました。そう、もっと若い娘たちこそ笑わなきゃいけないですよっ。

 

んで、あと一個リバイバル映画で紹介するのが残っちまったんですが、しょうが無いので長めに書きましょうか。(続く)

 

2018年に劇場で見たアニメ映画だよ!!

 

  この映画もうっかりすると2018年の頭に観たのを忘れて2017年度のモアナと伝説の海 MovieNEX [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray]の時みたいにすっ飛ばす所だった。何だか「安定のクオリティ」がより感じられる方が何時観たっけ?って忘れてしまうので困る。それに2018年はやたらディズニー&ピクサーばっかり公開されていて、しかも息子を連れて行かねばならないケースも多々あってドンドン頭がごっちゃになっていく。一年に1,2本ぐらいの鑑賞で個人的には良いんだけど。

 

  怖い、ただひたすらに怖かった映画。映画が終って、見に来た若い女の子の中にはすすり泣いている娘の居たのを尻目に、私の前の席にいたオタクど真ん中の男子二人組の一人が「ああ~つまんなかった」と言いマジで感動した相方が「お前何言ってんの?」と多少諍いになったのに出くわした。ちなみに若い男だったら「つまんない」って言ってたヤツの方が私からすると多少見どころあるかも。ま、20代青年ならこの映画にビビったオッサン達よりはクリティカルな思考で観てくれよって事で。映画自体は中々のモノです・・・ただし作り手女性監督の感覚には、オバちゃんとして引いてしまう。

 

  私的にはおっこちゃんの映画と並んで2018年のアニメではベストです。実際にUSの玄人受けはバッチリで放送映画批評家とかなんとかいう賞とPGA賞のアニメ映画部門でノミネート。でも最近は「ディズニーアニメで映画だけじゃない事語りたい」系の人々にはエキサイティングな出来じゃなかったみたい。アタシとしてはPC方面からもスゴイぶっ飛んでいたと思うし、ピクサー映画としても洗練されすぎる故に過激なこの映画に対しての一部の観客様の反応には(`ヘ´) プンプンなんですのよっ。だから長めのヤツも書こうと思ってます!

 

  オバちゃんはね、もうおっこちゃん自身が辛すぎて大好きな両親が死んだ事を受け入れきれなくて涙も出ない様子を観て大泣きしてました。(自分の泣いたシーンを思い出す度に泣けてきます)初夏の頃から予告編を劇場でしょっちゅう観てまして何だか観たくなってきたんだけどハズレだったらどうしよう、てのが観る前から不安だったんですが「予告編が気に入った邦画はアタリ」という自分の勘の良さにますます自信を深めました♡。

 

  しまった!コレもうっかりして取り上げるのを忘れる所だった。息子がBSのニュース番組でやってる藤原センセーの何時よりやたらテンション高めの映画解説に影響されて「絶対観たいから連れて行け」で近所のシネコンでは朝一回だけの上映なのでチャリを30分以上こいで劇場にたどり着き、私「間に合わなかったら今日は観られないよ」息子「イヤです」私「間に合わなかったら帰ろうね」息子「間に合わなかったらピーターラビットにします」(俺にはもう子供っぽいからピーターラビットは遠慮すると当初は言ってた、観るのかよ)んで、私らの他は何故か爺さんと30代以上の男性客しかいなく映画終了したら座席をポップコーンだらけにするようなチャラい観客は私ら母子のみでした。映画の登場人物以上にストップモーションちっくにドタバタしていた私と息子の印象強すぎるぅ(;゚ロ゚)・・・でも映画の最後に出てきた俳句は日本語訳にせよかの夏井先生あたりにジャッジメント欲しい気もちょっとしましたw。

 

 この映画の前後ぐらいに観たと思うBLEACHもそうなんですが、日本製ファンタジーには「ユングの母殺し」のモチーフが非常に重要なんだなあ、って思います。ユングはまた男子における「母殺し」に対応する女子の母殺し象徴としてよくギリシア神話の「エレクトラ」の物語を引き合いに出していたんですが、私自身は男女とも「母殺し」のプロセスは一緒であるという考え方なんで、さよならの朝に約束の花をかざろう (特装限定版) [Blu-ray]のような映画はなお一層「怖いわ」って思うタイプです。ユングの母殺しってのは「自立してオトナになる」過程を物語で表現するって理屈の事なのよね。

 

 

 

 

2018年に劇場で観たドキュメンタリー映画


映画「縄文にハマる人々」予告篇

 予告編に期待しすぎちゃったきらいがあった映画。昔D・スペクター氏も言ってたのだけど日本語の長話って延々と聞かされるとひたすらに眠くなるんだよね~だから映画開始20分ほどで、もの凄く眠くなり気がついたら縄文の「土器」についてハマっている人々の映画になっていた(笑)。縄文時代っていったら他にも貝塚とか黒曜石とか縄文人も船を操って日本列島を廻ったとか・・・もう少しダイナミックに話題が広がりそうなもんだとも思ったが何故だか、縄文土器にドッキドキな人々の熱すぎる「語り」ばっかりになってんの。(でも居眠りしてたから前後のつながりとか撮った監督が何故縄文土器の話題に絞り込んだのかが不明、ごめんよw)で、でも土器の話も眠い・・・私自身は縄文土器に入れ込んだ人々が気にしてる弥生時代になって「土器」の性格が変わってしまった人々の価値観の大転換の「謎」の話題が退屈・・・だって縄文の火焰土器って皆同じように見えるしぃ。と正直困ってたら最後の最後にヘンテコな陶芸家のオジサンが登場して私自身の縄文土器の「謎」がすっかり解けてしまった!目も覚めた!・・でもそこからはあまり深く「突っ込まず」に展開して映画は終了します・・どうして?ひょっとしたらこの映画の監督、縄文土器にドッキドキな人々の気持ちが理解出来なかったのか?それとも縄文にハマっている人に対する違和感をドキュメンタリー対象として維持していく為に縄文土器の「罠」に自らも落ちたくはなかったのかな?

 

華氏119 [Blu-ray]

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  この映画ではさすがに寝なかった。コレで寝るならよっぽど観に行かなきゃ良かっただろ、何のつもりだったんだって言われそうですが。でも私最近映画観ながらボーっと別の事考えている時もあり、それが「華氏119」ではとても多かったのも事実。構成がいつものムーア作品にも増してドラマチックではあるのですが、かなり複雑でもあるんですよ。あっちこっちに話題が跳ぶのに退屈はしなかったんですが、そういう自分自身がきちんと映画の伝えたいトピックについてどこまで理解出来ているかがちょっと不安にはなってくるの。トランプの友人である実業家のスナイダーて人物がミシガン州の知事になるや州の自治や役所の仕事の内容を全く別物に変えてしまい、水道を民営化したのは良いものの、そのツケを黒人の住民が多く住むフリントという街に押しつける。そこの水道水は浄化をキチンとやらない所為で多くの鉛成分が水道水に混入し、子供達が皆鉛中毒になってしまうというくだりはただただ恐怖しかありません。しかもフリントってマイケル・ムーアの故郷なんだってばさあ。もうミシガン州フリントを巡るエピソードは映画全篇にわたって少しずつ観客に知らされるのですが、もうどうしてここまでドツボにはまっちゃたの?ってくらいに顛末も悲惨。ホント色々あるけどこれほどのUSの悲劇があるかって感じです。一つの国に世界一の先進国と別世界の国が並んでいるみたい。それにけっして「建前と本音」などいうような国民の意識に内面化されたものじゃなく目に見えている現実/リアルですからね、USの場合は。ひょっとしたら今の日本の状況もそうなのかもしれないけれど。

 上映中、私の前に座ってた年配のご婦人がしょっちゅう席を立っちゃあ戻るの。風邪でも引いたのかお腹でもユルいのかと最初は思ったんだけど、おそらくその方映画の内容が辛くてそれでも気合い入れ直して頑張って最後まで鑑賞してたのかも。繊細な人の中には途中で見続けるのが困難な方も結構いらっしゃるかもしれませんって映画。

 


映画『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』予告編

 ジャクソンハイツってのはNYのクィーンズ区にあるエリア。オフィス街にも近くて金融機関に勤めるような富裕層が居住を狙っている・・・って背景も映画全篇を通して描かれてはいるけど、アジア、アフリカ、ヒスパニック系住民もいっぱい住んでいるまさにNYの下町。そんなジャクソンハイツの数日間の住民達をひたすらスケッチ風に紹介していく街ドキュメンタリー映画ホント何の説明もなく進んでいくのだけど観ていて全然飽きないの。映画で人々の生活をのぞき見するような感覚って(それがドキュメンタリーだろうがフィクションだろうが)私自身にとっちゃ映画を観る一番の楽しみのようなものかもしれない。でも普通はこの手のドキュメンタリーでも1時間ぐらいしか集中力が続かないんだけど、2016年にアカデミー賞の名誉賞を取った巨匠フレデリック・ワイズマンの手にかかると緩急をついたエピソードのつながりに感心します。重要な住民のストーリーの間にいつも「こんな事してくれる美容院有るよコーナー」があってそれが必見っw!楽しいのっ。南アジア諸国からの移民達が使う美容院、主なサービスは顔の脱毛サービスでそこの通う女性達は皆眉毛の手入れに余念がない。それにかかとの角質を取るとか足の指の爪を切るとか(他にも海外では足の爪切ってくれるサービスの店が多いですね)さ。素顔&素足が基本だからこそ手入れにもこだわる。最近はメークしたくない若い女の子も多いみたいだけど、素顔が基本の国の女性はメークする代わりに顔の産毛や眉毛の手入れはしっかりやるのが当たり前になってるみたいだから参考にしてみては。以前にも取り上げた追憶 [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]に出てくるヒロイン(バーバラ・ストライサンド)は元の地毛がチリチリのクセ毛で、NYのハーレムに在る美容院を探して髪の毛をストレートにしてもらったって話すのだけどハーレムって黒人が沢山住んでいる場所だからわざわざ黒人が経営する美容院でやってもらったという事なのね。いろんな国の移民がやって来るのでソレによってもUSの美容や女性の美容の意識が変わってくるんだぁって感心したことを「ジャクソンハイツへようこそ」観ていて思い出しちゃった。

 それとやはりなんと言って良いのやらと思うのですがあまりに強烈なので印象に残るのは中米からの移民達の集会で一人のおばさんが自分の娘がいかにして国境を越えてテキサス州に入ったか、その時自分の娘は砂漠の中をさまよっていて携帯がなかなかつながらなくて母親の私に電話するのも大変だったとか・・・オバサン色々話すし、皆厳粛な表情で話を聞くんだけど、聴衆は彼女の娘の苦難に共感して険しい表情なのか、彼女の話があっちこっちに跳んで要領を得ないのに圧倒的にしゃべり倒すので突っ込み所がわからなくて困惑しているのか・・・とにかく住民の皆さんオバサンの話に相づち打つのにも大変そうw、だったシーンでした。ああぁ、庶民、いや市民が生活してるっていうダイナミズムを強く感じました。縄文土器の話と違って全然眠くないっ。

 

 

2018年に劇場で見つけた「妊活映画」コレクション

 

悪女/AKUJO [Blu-ray]

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 このネタだけは年内にアップするぞっ

 と数ヶ月前から決意していました(笑)。2018年の個人的ベストなんてもう頭痛くなってくるだけのような気がしてきた。(年間100本以上観てきたので自信をもって年間ベストテン選びますって方々って尊敬しますわ、特に仕事でもない方)コッチは年間100本も観てないのに今年は劇場で相当寝てました私。ああ!今回上げる3本は違いますよ。あと超個人的な「ネタ」として取り上げてるので個別の映画の凄さを予想して期待感が増すか?と言えば・・・多分お役には立てませんゴメンナサイ。

 で、韓国の「悪女」です。残念な事に#me too 流行の中でカンヌあたりの映画祭に出しても評判は取れないでしょうコレじゃ。何しろヒロイン(キム・オクビン)に絡むエスパー伊東似のアポジ(シン・ハギュン)がキチンと家族計画していたら悲劇は起きなかったのでぇ。ファザコン気味の若い娘に強力なモーションかけられてその気になるのはしょうが無いですが、若い娘を殺人マシーンに育てないとか、自分ではこっそりパイプカットしとくとか少しは考えを詰めないと。(最近だと直ぐ元に戻せるそうですよっ)それに思い至ると中盤の結婚式以降の展開で飽きてしまうのね、私っw。

 

 

  上記の「悪女」より続きさらにバカップル度が上がりするとR指定のファミリー映画」なデプー2になります。さすがにコリアン暗黒街のボスと比べるとデプーの人生観や結婚観はポジティブなので、避妊を止めて妊活への誓いを交わすデプー(ライアン・レイノルズ)と恋人ヴァネッサ(モリーナ。バッカリン)は互いの指輪交換ならぬIUDとメタルバッチ(かなんかだと思った)の交換をします。IUDってのは所謂子宮リングのことで銅が精子を避ける効果が有るようなんですが、でもだからと言って映画のように「貞操帯」のような全部金属製の形状はしておりませんから。いくら意識低い系と言われようがカナダ人的にはギャグで通じてもそれ以上に性教育不全の多くの日本人にとっては意味が分かりません。日本のヤンキーの中にはゴムつけなくても忍術とか気合いで避妊する認識程度の馬鹿野郎が未だにたくさん居るのです(哀)。彼女はまず「自分を守る為に」バースコントロールをするのであって、愛する僕の為に貞操帯を外してくれるんだね有り難う・・・って意味だと追加で解説してくれると助かります。そしてゴムだって「俺様の身体を守る為」が第一目的ならないと!(まあヴァネッサの設定ってエロいけど純情なストリッパーってゆうもの凄くイージーでご都合主義的な設定のヒロインなんですが)・・・それこそ「デプー2」のPCの中では最も秀逸な部分になり得るのかもしれないかなと。

 

 

 そして貧しく知識も無いせいで「父になれない」男ってのも世の中には居ます。それがこの映画の主人公の治(リリー・フランキー)。普段は狭い家に家族6人という大偽家族なものですから思うように妻の信代(安藤サクラ)と何にも出来ないのですが、どういうわけだか夫婦二人きりになった夏の昼下がりに久しぶりに妊活に励む。とにかく終わったらいきなり「な、ちゃんと出来ただろう?」って女に聞くのもかなりヘンなんですが、この2人は本能のままにヤっても子供が出来ない。夫と妻のどっちに問題があって不妊なのも解らないし調べない。だいたいそんな難しい事をお互い突き詰めるより妻の信代曰く「他人が捨ててきたものを拾った方が早い」からこんな偽装家族を作ったんだね。一見いかにも古き良き日本映画を新たにやってますよぉシーンなんですが治と信よの2人の台詞のやり取りを注意深く聞いてるともう謎だらけだし「疑惑だらけ」なの。・・・おそらく治と信代は以前に「美人局」みたいなのをやらかしてます。映画では治が信代の旦那を(治の言い分だとDVに遭ってた信代を守る為に)過剰防衛による傷害致死させたとして服役した過去も有るそうなんですが、本当の所はどうだったのか?は映画では語られていない。息子の祥太(城桧吏)だってパチンコ店の駐車場の車両でほったらかしにされていたのを勝手に連れ帰って育ててきたけど、本当の親が赤ん坊の彼に冷たかったかどうかも実は不明。治と信代の夏の昼下がりのシーンはこの男女の底知れない悲しみと底が抜けている部分を描いているから名シーンになりました。治って男は無邪気な分、とんでもない「悪徳」を抱えてるのは間違いないし、だからこそ息子の祥太が万引き家族を破壊してくれて不肖の父親たる彼は何とか救われたのですよ。しかし前作の三度目の殺人といい、今度の「万引き家族」といい、こんな設定を秘めた内容を匂わせておいた上で映画を無理矢理「G指定」で作り倒してしまうセンスはちょっとどうかしていると思います。(もちろん良い意味でw)

 

  すっかり忘れてましたこの映画。この監督の前のヤツフレンチアルプスで起きたこと [DVD]と比べると分かりにくいよね、って思った方もいたのでは?でもコッチが2017年度のカンヌではパルムドール。ちょい難しい分風格が増しています、特にギャグの部分でね。妊活には当たらないのですが主人公のクリスチャン(クレス・バング)とUS人記者(エリザベス・モス)のアバンチュールでの「避妊具を巡る激しいバトル」が中々にミニマムかつみみっちく繰り広げられるのは笑えます。そりゃ女性にとっちゃ途中で勝手にゴム取って挿入する野郎は許せんし厳しく監視しなきゃいけませんが、そうかと言って勢い余ってどこまでヤルと安心出来るのかテンパってしまうエリザベス・モスはスゴかったです。彼女の宿泊する部屋に何故だかチンバンジーが居て、その後美術館主催のパーティーでゴリラの白熱したパフォーマンス繰り広げた男性(テリー・ノタリー)のシーンも合わせて見物。やっぱ北欧の市民だとて今現在最も洗練された「文明圏に生きてる」て意識が強いのかしらん?人間とサルとの対比にこだわるのが、北欧に生きる人々が抱えるの自己欺瞞の不安を表しているのかもしれません。テリー・ノタリーという方は役者というより猿の惑星 トリロジーBOX (8枚組)[4K ULTRA HD+3D+2Dブルーレイ] [Blu-ray]のシリーズでも活躍し、主に動物の形態の演技では第一人者というプロフェッショナルだそうです。彼のゴリラ演技になんだか怒りの感情を見て取った私は。アレはどういう解釈で監督とノタリーさんが話合ったんだろうと印象に残りました。最後は妊活とは関係無い話になっちゃった。でもひょっとしたらあれはゴリラの発情と求愛の演技だったのやもしれぬ。(笑)

 

 

 

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お祓い/Purification される女 ⑤ 「ピアニスト」のイザベル・ユペール

 

ピアニスト (字幕版)

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お前とらぶ♡ぼくしんぐ、とことんらぶ♡ぼくしんぐ

 よく女性が書くブログやSNSに出てくるようなクズ男の描写だと「日頃アタシに何も連絡くれなくてちゃんとした彼女のような気がしてなかった今日この頃突然暇だからと急に呼び出されて来て会ったらいきなり押し倒されて終わるとまた急にアタシに興味がなくなりしょうがないので別れて夜道を一人とぼとぼ歩いて帰っています。アタシは今とても哀しい」・・・等とゆうのを偶に目にする方が居るかと思いますが、まず書き手女性のネタ(悲恋ポエム)だと考えて良いと思います。「ピアニスト」の監督ミヒャエル・ハネケはこの作品をメロドラマのパロディだって言ったそうですが その彼が想定しているようなメロドラマが上記のネットに溢れるような女性の想像する「酷い男との恋愛に傷つく女」のお話。言い換えると20世紀的には中島みゆき風一人芝居、蓮實重彦センセ言うところの19世紀的なメロドラマ、と言い換えることも出来そう。あのさ女性も充分に社会進出してんだから俺らだっていつまでもそんな都合の良い「クズ男」なんてやってられないよ、っていうのが実はこの映画のヤバい所です。原作小説があってどうも作者女性の実話を元にしているらしいという噂(学生時代には演劇、美術史を研究しつつオルガン奏者として二足のわらじをはいて活躍してた才女なんだそう)がある、ソレ踏まえると告発でもあるので中には観たらショックを受ける女もいそう。現実はとことん残酷なのさ。

偶然だってひょっとすりゃ運命、俺とお前は闘う宿命

 冒頭ヒロインのエリカ(イザベル・ユペール)と母(アニー・ジラルド)の親子喧嘩シーンが結構長くあり、注意深く2人の芝居を観ていないとこの母親の娘への締め付けの内容が結局何なのか21世紀の日本人の感覚では掴みづらいかもしれません。まず原作者のエルフリーデ・イェリスタという女は自分の家庭の事情で心身が辛くなり、精神科医の勧めで創作を始めたのだそうで「ピアニスト」の発表は1983年、でも映画はだいたい映画公開時(2000年)のウィーンの世相を映していると考えた方が良さそう。・・・というような事を踏まえますとエリカ母の理不尽な態度というのは自分の娘に対して「自慢の娘と夫の身代わりと自分のライバル」像を託している事からくるもので、お母さんはとにかく混乱してて娘に頼り切りのようなんですね。エリカの父親は精神を病んで病院に長く入っている。エリカと母親ではこの「父/夫」の存在の重要性は全く違うというのも映画後半描かれるのですが、そこは今の日本の毒母と娘の状態のケースとは似て非なるものかもしれません。「ピアニスト」を観るとオーストリアの家父長制は日本のソレとは比べものにならないくらい強力で強権だと云うこともよく分かります。そして若くハンサムでやたら快活にエリカへアプローチするワルタ(ブノワ・マジメル)という男は強力な家父長制度をもった社会の男性代表みたいなヤツ。彼はピアノ教師一筋で地道にキャリアを築いてきたエリカを圧倒する。大学で電気工学を学びスポーツもという文武両道、さらにピアノにも才能豊かで音楽大学の教師達に絶賛されてしまうのさ。んでエリカにピアノの講師を懇願してくる、口説きたい気満々で。どうして40手前の女に25の男がガンガン言い寄るのかが説明ないのですが(ただ似たようなシュチュエーションで年下に追いかけられている女性を間近で見た事はあるので)時々はあるんでしょうねこうゆうの。

何時でもお前は笑ってるの、ギリギリの距離でかわされるのっ

 「ピアニスト」は他の方の映画系ブログでもいくつか在りますが、女性の書き手は圧倒的にヒロインへの性被害に激怒していますし、男性の場合は「ものスゴく夢中になったのに年上の女が裏切り続けるので怒った若い男が罰した」てな風に話の顛末を(アマゾンレビューだったかな)解釈してました。そのレビューを読んだときは映画未見だったので何のことやら?と思ったんですが。・・・まあ主にエリカ様の性癖が拗れきってしまって喪女状態がスゴすぎた所為だからでしょう。でもワルタ君はエリカ様の告白だとか手紙だとかを全く信じていないし最後まで理解にしてないのですが。エリカは長いこと男性ばっかのポルノショップに出入りしたりカーセックス中のカップルを覗いたり、覗いたりしてる時に失〇するとかぁ・・・ポルノ施設にいる周囲の男どもも彼女に引いてしまって声をかけられないくらいの彷徨ぶりでウィーンの夜の街を過ごしてきたからです。ピアノの教え子に対しても女の子には優しく男の子には徹底的に虐めまくってマウントする。もうこのくだりでワルタ君に「君もまだ若いんだから考え直せ」って云いたくなる人も続出しそう。周囲の強い男に負けたくないばかりに内気な露出狂の変態オッサンの女体化みたいになっちゃったのを映画で見せられてもちょっと困るって気になりますが、そんな自分が哀しくて涙を流すイザベル・ユペール映画の中でも一番綺麗だったりする瞬間だったりするから尚のこと戸惑う。そしてエリカはワルタ君にはこのような姿は見せてはくれません。てか彼はエリカの話を終始聞かない、彼女が思いきって「自分はド変態でドMだからアナタは何時でも終にして良いのだ」と暗に打ち明けるつもりで手紙書いても怒ってエリカの家に押しかけるだけ。彼女の家だって教えてもないのに自分で後をつけて探しだしたとか平気で言っちゃうし。(駄目でしょ)

か弱い身体/BODYにくらわせるの、覚悟を決めろよ(イヤ犯罪だから、それは)

 エリカはワルタに言い寄られて自分も寂しいので、つい受け入れてしまいそうになりますが、何せ実態は「痴女だけど喪女」だったりするので彼にバレるのがひたすら怖い。なんで一か八かでトイレで彼に出来うる限り満足させてやる、なんつう事してしまいます。これがヒジョーに緊迫感のある男女のやり取りというかどっか清廉な青春ラブコメ風なのか?で描く。ワルタはエリカにいきなりズボン下ろされてパンツに手ぇ突っ込まれてパ二クっている表情の上に何故か「可愛いピアノ小曲」みたいなBGMが乗っかるのがヘン。でも終わったらワルタがヒャッホーって喜んで小躍りしちゃうし。後、最後にもう一回ヘンテコなBGMが印象的に鳴り響くシーンがあります。これボクシングのゴングのつもりなんじゃないかと私思ってる。男と女の間の格闘技こそが恋愛で何ラウンドも続いていくから快楽もあるんだぜ商業的ポルノグラフティなんかくだらない!って手厳しい文明批評な感じもします。が、エリカとワルタのバトルはトイレ内での激闘のワンラウンド後、エリカ様のピアノ個人教授シーンに移り、数分に及ぶワルタのピアノ演奏とか(ブノワ・マジメル特訓したそうで演奏見事です)なんだか妙なアングルとか2人のコントみたいなやり取りとか、もしもここんとこ高尚なポルノだったらどうしよう(笑)と心配になるほどケッタイだったりするので・・・(..;)。

アッパー出してよ、俺のことグロッキーにしてよ

 トイレでの己の勝利に酔いしれたのにエリカとはこの後曖昧にかわされるばかりだったり、延々と理屈をこねられるし、誘われているのに俺はちっとも気持ちよくならないし、で徐々にワルタは不機嫌になります。エリカはエリカでそれでもうしょうが無いなって感じであきらめてしまう。エリカの家では父親が入院先で死んだという知らせが入り、母親が動揺し、なおかつ止めた時間がまた始まったように娘への態度が変わっていく。そういや娘は好い加減恋人ぐらい居なきゃおかしかったわあぁぁぁって。でもなんだか母娘ともあまり深く考えたくないしぃ・・・とボンヤリしてた所へ、いきなりワルタが殴り込みをかけてくるw(という表現が一番ふさわしいかも)。エリカと彼女に感情移入して観ているタイプは彼が彼女に怒ってとっくに興味を失っていると認識しているタイミングなんですよね、それなのに「散々じらしやがって何のつもりだコッチは全部お前の為にやってんだぞ」ってわめき散らすのですから、女の方は訳が分からない。第一ワルタのやってることはエリカ様の言いつけなど一個も従っていないし。ホントに女の話を聞かずに何時になったら本番のセックスが出来るのかどうかしか頭になかったらしい。ただの鬼畜野郎です。あと事が終わった際に「この事は他人に言っちゃ駄目だよ」とまで言い放つんだわ。エリカのおっかさんときたら娘に起きた事把握してる筈なのに、若い男の蛮行の恐れおののいて全く役に立たないし、もう無茶苦茶。例えば小津映画だったら娘の家の外でひっそりとハッキリ暴力的に描かない事を家の中でやっちゃうんでヤバすぎですし、悲惨。エリカ様は当然💢に震えます。

そして次のラウンドへ

 映画のラストはエリカのピアノ演奏会で、エリカはワルタを待っていると(彼女はぶっちゃけ彼が自分に完全に飽きてしまって内心来ないのではと気にしているので)すっげー自信に満ちあふれて爽やかなイケメンそのものでエリカの前に登場し「今日の演奏期待していますよ」と告げます。んで絶望したエリカが自分の片腕をナイフで刺して映画は終了。何じゃソレって思います? 付け加えると、ワルタが登場する直前に妙に甘えて媚びた女の笑い声が響くのですよ。エリカ自身が気づいているかどうかは解らないんですが、とにかくゴングが鳴って学ばなければならないの今度は彼女の番という事らしいですね。ひょっとしたら彼女が与えられる番になるのかもしれませんが、相手はなにしろとんでもなく自分勝手な野郎ですし。それとワルタと差し違えるの止めたからって何故自分の腕を刺すのだけは解らなかったは私だけですかね。(まあそれまでの経緯を考えるとヒントは在るかもですが)

 

 

 

 

 

お祓い/Purification される女 ④ 「奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせガール」の水原希子

 

 しかしタイトル名が長すぎてめんどくさい・・・

 以前にも書きましたがちょうどこの映画が劇場公開された折、「まだ首相でいたいボーイとすべての政党狂わせガール」というキャッチーなコピーをネットで見つけましたがそれ以上のできの良い換えフレーズがなかったってのが、この映画のやたらと面倒クサい部分を象徴しているような気がします。だいたいどうして奥田民生になんかなりたいのさ、若い男が。そこが当初から疑問だった。(笑)当然奥田民生になりたい理由は主人公コーロキ(妻夫木聡)にはキチンとあって映画冒頭にヒロインの天海あかり(水原希子)に延々と話すのですが、じゃあ奥田民生みたいになった自分って具体的にはどんな人間に出来上がるのか?というのはイメージがワカナイ。コーロキは編集者なのですが男性誌から出版社の看板であるスノッブなオシャレ雑誌「マレ」に移動することになり戸惑っている。名物編集長の木下(松尾スズキ)は多彩な個性の部員が欲しくてコーロキみたいな一見するとダサい感じの自分にもそれなりに期待はしてくれている様だけど、やっぱり慣れない。そんな落ち着かない引き継ぎ期間に取材先で出会ったのがアパレル会社の広報担当のあかりだったのさ。しかしながらこのあかりちゃんという娘、超ほれっぽいとおうかそこまでイージーにコーロキの告白承諾して大丈夫か?って感じ。(500)日のサマー [AmazonDVDコレクション]のサマーと一見似ているようであかりはだいぶ違います。両者とも相当に変わってますが、正直私自身はサマーの方がまだ親近感がわくといおうか話相手くらいにはなれそうな気がしてます。あかりはもう同じ女性だとしてもまったく別の生き物のようです。

猫のような女が好みのタイプなんだそうだっ

 あかりはコーロキとあっさり付き合う事に決めて、さっさとイチャイチャ初めてしまうけど、実は直前までコーロキの先輩編集者のヨシズミ(新井浩文)の彼女だった。特に理由もなくコーロキにアプローチされたから彼氏を取っ替えただけなのだ。普通の頭で考えたらあかりという女の子に不信感を感じても良さそうなもんだがコーロキはあかりに目がくらんで彼女の言いなりに振り回される・・・。しかし今どき大手出版社勤務の雑誌編集者って肩書きだけでもモテそうなのにぃ、何故?て観ながら思っちゃった。良い仕事についてるエリートなのに此奴らそんなにも普段モテないのかと。役柄が同じ編集者というだけで潔く柔く (2枚組 本編BD+特典DVD) [Blu-ray]に出てくる岡田将生だとかと比べてしまう。あんなんでモテるならこっちの映画の編集者だってさあ、てちょっとだけ思ったのだった。まあ互いの映画の演出の仕方によって独身男のむさ苦しさの表現が違うのだけど(笑)それだけじゃなく「奥田民生になりたいBOY」ですから当人の理想がかなり高めなのもおそらく一因、ってコーロキには自負もあるだろう。木下にあかりとの交際について相談して「猫のような女がタイプなんだよね」って互いに話し合ったりするし。でも21世紀を生きる大半の若い娘にとっちゃコーロキやヨシズミ、木下のような面倒なこだわりを抱えた男達は意外に恋愛の対象外なのかもしれない。下手すりゃ彼ら以上に面倒なこだわり屋のコラムニストの美上ゆう(安藤サクラ)のような女しか見当たらないのが、コーロキの周辺なのだから。

映画見る前から気になっていたのが

 この映画最初YOU TUBEで予告編をたまたま目にして「こんな映画誰が観に行くのだろう?私くらいしか居ないのでわ」と思ったんで観に行くことにしたのだが、公開前からムック本なんかも出てた所為か劇場ではそこそこ女性客が入っていた。実は観に行こうと思った理由のひとつに「ひょっとして映画後半からカジュアルな松本清張的サスペンスがあったりして」という期待があったの(笑)。コーロキとあかりに怒ったヨシズミとかさあ、いいぞお松本清張チック!と一人で盛り上がったのは良いんだが、話の締めはどうするのだろう・・・やっぱりアレは必要だろうアレはでも舞台は都内だしぃ、とゆうことだけ気になったのだ、そう松本清張に代表されるような日本の男女サスペンスに必要なのは「崖」じゃないですかあ、何といっても崖(笑)。男女間の激情を表す山の崖もよいけど(昔のあの頃映画 「事件」 [DVD]とかさ)松本清張原作だとなんと言っても海岸の崖モノ♡、諸行無常ってゆうか。実は2017年度に公開された邦画って「崖映画」が結構あったのだがこの映画のクライマックスにも崖は登場する。ぶっちゃけそこでアタシは狂喜したよ(笑笑)!!オサレな都会のど真ん中にも崖あったね~段差はスゴーく小さかったけれど、水はちゃんとあったし、哀れな男がちゃんと墜落していた。

ほろ苦い「サクセス」

 元から大根仁監督ファンの男性にはこの映画あんまり評判が芳しくないようなんだけど、その手のタイプほどラストは見応えあるんではないだろうか。まずコーロキはあかりには手痛く振られるけど、結局は仕事でもプライベートでもとりあえず成功を収めるんだよ、でも飛び上がる程の幸福感が感じられない。コーロキにはそんなつもりは無かったし、ただ好きな事がやりたくて名声が欲しかったわけでもないのに「マレ」に移動した時に自分には無理だと気後れした「センスが良いけど自然体」な業界人にいつの間にかなっちゃっているから。何だか嘘ついて生きているような気がしてしょうがなくてひとしきり立ち食いそば屋でコーロキは泣くんだけど、正確には「ためしにちょっと泣いてみる」んだよね。そんなコーロキの姿を冷徹な目で観察している「あかり」の表情で映画は終わるのだ。だからこの映画は終始ハードモード。あかりって女はもう存在が都市伝説て言っちゃって話終わらせているんですね。しかしこんな女世の中に居ますかね?でも日本の何処かには確実に居るんだろうな・・・と思わせる、結構リアル。少し前だと比較的高学歴で良いトコのお嬢さんで育った作家の小説やエッセイ等には登場するタイプの女でもあります。日本にだってエスタブリシュメントは有りますし、エスタブリッシュメントの家族一族が支配階級であり続ける為にはあかりみたいな娘が絶対に必要なんですね。自分が他人と比べて能力が抜きんでる必要は無いけど、抜きんでた能力の持ち主を自分に引き寄せてコントロールする能力は身につけないといけない、でもリーダーシップを取ってると気づかれちゃ困るからぶりっ子するという。ハリウッド映画に代表される日本以外の映画だと「ファムファタール」とか言ってポジティブに持ち上げますが、邦画だと隠微でなおかつ最も狡猾な悪女の部類になります。

 それにしても最近作の「SUNNY強い気持ち強い愛」の池田エライザにしてもそうなんですがちょっと度外れたスケールの女性のキャラクターを所謂「純粋日本人」には到底見えない容姿(水原希子池田エライザも両親の片方は海外出身者です)の女優に任せるのはまあしょうが無いとは言えますが、水原希子の場合は特に母親が(おそらく在日の)韓国人で父親がアメリカ人で幼い頃に両親が離婚しているというおよそ日本ではエスタブリッシュメントとは無縁の環境で表舞台に進出してきたはずなのに、この役なのね。皮肉だなあとは思ったりもしますが、その所為かあかり役の水原希子なんとも言えない孤高なる姿はちょっとだけカッコ良いなと思いました。

 

 

 

 

 

なんだか不運な女 ⑦ 「早春」のジェーン・アッシャー

 

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 永遠の「犠牲者」たるヒロイン

 原節子リリアン・ギッシュジーン・ティアニーに(現在のパワー系美熟女の姿が信じられない)ロビン・ライトジャネット・リー・・・よく考えたらこのブログを最初で取り上げた映画ほどクラシックといえる名作でしかも存在自体が超難解なヒロインばかりだったのに何故よく考えずに「なんだか不運な女」とまとめてブログアップしようとしたのか今振り返ると自分でも分かりません。とにかく共通するのは彼女たちは全員とことん悲劇的で映画のなかでひたすら犠牲者だって事。「早春」も今回名前だけは30年前くらいから知っててやっとこの間早稲田松竹で観たばっかりでした。しかしヒロインのスーザン(ジェーン・アッシャー)は前述した不運な女達の中でも最も酷い目に遭ってますね。なんせ映画全編にわたって童貞の少年マイケル(ジョン・モルダー・ブラウン)中年高校教師(カール・ミカエル・フォーグラー)スーザンの婚約者(クリストファー・サンドフォード)と三人の男どもの性欲の的にロックオンされてしまって、あげくの果てにはDEEP END に血まみれで漂う・・・姿で映画終わるんだもの。さすがオフィーリアを生んだ英国映画のヒロインと言ってもいいのかな?でも脚本書いて撮ったのは現在ポーランド映画界を代表するイエジー・スコリモフスキが冷戦時代に亡命していた英国で制作しました。かのポランスキーとは永年の友達だってさ。(苦笑)

思春期の少年がひたすら「年長の女達にセクハラ」される話(21世紀基準による)

 早稲田松竹にはいつもシニア男性が来ていてこの映画もとりわけ観客が多く、マイケルの出くわす熟女たちのお色気攻撃や性の悩みに悶々とする姿にゲラゲラ笑っておりました。でも主役のジョン・モルダー・ブラウンって子役出身の美少年(この後ビスコンティルートヴィヒ デジタル修復版 [Blu-ray]に出演したくらいだよ)ですからね、スーザンも含めて雇い主の公衆浴場のオーナーは(立派な事を言ってるけど)若い従業員の容姿で楽ちんなビジネスやりたいだけだったのかもしれない。マイケルはいきなり中年女性客(ダイアナ・ドースと言ってUKのマリリン・モンローと評されている)に襲われるし。彼女は演技派のセックスシンボルとして有名だったのでガチで怖い、男からしても怖いのじゃないかな。スーザンはぱっと見マイケルを手玉に取って翻弄しているような様子にも取れますがおそらく彼女としては真面目に教育しているつもりなんだと思いました。多分マイケルの前の男の子たちもすぐに辞めていったのではないのかな。ただ彼女はマイケルに本当のところ何を教えたがっているのかが謎。実は彼女自身もよく分かっていないのかもしれないけど。ヒントとしてはマイケルは学校が退屈で中退してしまって十代で勤労始めた所謂労働者家庭の子だけど、穏やかに育っていて「ママが大好き」って未だに普通にやってしまうようなヤツ。対してスーザンは母親を亡くしたおかげで非常に不安定な心理状態で十代を過ごしていたっぽいという事でしょうかね。

Would you like to play a Foot Ball ?

 マイケルはスーザンに徐々に煽られて彼女を追っかけ回して半ばストーキングをするようになる。でもあんまりスーザンはマイケルの振るまいを気にしない・・・というかどうも詳しく把握していないし、マイケルの行動の意味が理解出来ないんだよね。真剣に自分が求められているとはどういう事なのかが彼女には分かんない・・・まあ理解出来なくてもしょうがないよ、これまで男性に大事に扱われた経験がまずスーザンには無かったから。スーザンと不倫関係にある教師(マイケルも教わっていた)ってのが酷いヤツで自分はスーザンの勤務先でやることやってたのをマイケルに見られたのに気づいて「彼女は公衆浴場の客相手に売春している」って平気で嘘つくような男だもん。(映画見る前に読んだんですけど「早春」を批評したブログの書き手は教師の言うこと真に受けてホントにスーザンはチップで売春してると思ったようですが)そもそもスーザンはセックスすらあんまり好きじゃないんだ。婚約者とのセックスで自分がそうだって初めて気がついた。でなきゃ婚約者に連れて行かれる映画が「性生活の〇〇」なんてスウェーデンのドキュメンタリーなんてなワケないでしょ。不倫相手と婚約者じゃセックスするのにも彼女に求めるものが全然違う。一回りほど年上の婚約者はちょっと強引だけど彼はスーザンの事が自慢だし彼女の主張をある程度聞き入れてくれて待っててくれる。映画途中までだとスーザンと婚約者が何を揉めているのか私には分からなかったけど、スーザンは女性としての自分にあんまり「自信」持ってない、自分が大切に扱われて当たり前だってのが信じられない・・・スーザンの心理の過程をそうやって推察してみるとマイケルが寄せてくる自分への憧れも彼女にとっては癒やされるものかもって気がしてきました。

(スコリモフスキが描く)1970年代夜のLONDONには「小ネタ」がいっぱい

 中盤スーザンが婚約者とデートしに、それをマイケルが追いかけていく時に描写されていく70年代ロンドンのナイトシーンも興味深いです。比較的裕福な若い人達が行く会員制のナイトクラブやクラブのすぐ近所にある風俗店(というか売春の店舗)、その前にあるホットドッグの屋台・・・とかなりカオス。その辺を風俗客のオッサン達やオシャレなカップル、スキあれば誰かに奢って貰おうとする十代の女の子達だとかw。風俗店には若い女性の等身大の看板があって顔はスーザンにすごく似ているけど彼女より巨乳であったりするとか。んでまたその看板をマイケル盗んじゃうとかw。風俗店では若い美女の等身大の看板で客を呼ぶんだけど店内の女性は皆看板よりぐっと太めのオバちゃん世代が中心だから盗まれるとえらい迷惑だったりするだとか。ホットドッグの屋台はイレブン・ミニッツ [Blu-ray]にも登場しててワルシャワの屋台店主もくせ者親父だったけど、ロンドンの屋台を仕切っているのは「やたら快活な独自の接客スタイルを貫くアジア系のイケメン」(クレイジーリッチに出てくるヘンリー・ゴールディングの親父か?ってゆうぐらいに似てるっww)で、要は屋台よりも背が高いからマイケルと目を合わせて接客するたびに屋台の柱をくぐって顔を出すって動きを繰り返すだけなのに、もの凄くおかしいの。もうカッコ良いホットドック屋の兄ちゃんが顔を向けてくる度ごとにカンフー達人だとか板前だとかやってるキビキビしたアクションこそがアジア系男性のかっこ良さのキモなのかもしれないって思いつつ、でも笑えるっていう演出。これを現代では蔑視とみるか、リスペクトを込めて異なる人種の個性を見い出したさすが伝説のカルト映画監督の先見の明なのかは断定できませんが、是非見て欲しいです。

ポール・マッカートニーの元婚約者

 ジェーン・アッシャーについては日本でだとポール・マッカートニーと婚約して結婚寸前で分かれた・・・ってのが一番広く知られていますが、彼女自身はポールよりずっと「良いとこの家」で育ったお嬢さん。家族は両親が音楽教育を教えていて妹は舞台女優、彼女自身も演劇学校でしっかり学んだ女。だからスーザンの役柄についても取り込まれずに自分の中で消化して演じる事が出来たと思います。当時の若い女優さんだと役柄の境遇があまりにも自分に近すぎると演技と日常が分離できずにパニックを起こす事もあるので、かなり悲惨な境遇の役を比較的上流階級出身の方が演るケースが多かったみたい。ゲラゲラ笑っちゃうエピードの後にスーザンが不倫相手と対決して今まで彼女の身の上に起きた事がうっすらと解ってきてそれまで笑ってたオッさん達は皆青ざめてしまう。不倫相手のオッさんは終始暇なわりには良い車に乗ってたりやたら洒落た格好している気がしましたが、コレも奥さんの実家が裕福で尻に引かれてる日常の鬱屈を紛らわす為だけにバージンで十代の女学生ばっか狙ってたんだなってのも感じ取れます。そしてやっと一見落着と思えた瞬間に悲劇が起きる。何故にこんなラストになんのかなあ?って考えてしまいますが、かのロリータ (字幕版)と双璧と捉えても良いかなと。思春期の少年少女が性の興味に捕らわれて身動き出来なくなるのは自然なことかもしれませんが、相手が少年少女よりも圧倒的に年長者なのは問題が多い。なんと言っても対等な関係ではないからね。スーザンは過去の自分が被った性被害を今度はマイケルに対して行ってしまった、スーザンとしては優しさだと思った事がマイケルにとっては超残酷な体験でしかなかったの。だって上手くいかなくてマイケルは「ママ・・・」ってしくしく泣くんだもん。女の子が貞操を失いそうになった時に「ママぁ」って叫ぶのが定番だった時代があったのね、かつて。それとおんなじだって暗に言ってるシーンなんだよ。だからフェミニストに限らずいろんな人に「早春」て映画は今こそ観た方が良いって言いたい。私も長いことビビってたけど観に行って良かったわ。

 んでこの映画1970年に撮ってたそうです。丁度この頃にクイーンにフレディ・マーキュリーが加入しました。5年後にボヘミアン・ラプソティーで「ママ、僕人を殺したんだよ~」って歌うんですが、映画のマイケルはまさにこの唄のまんま。

 

 

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